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言語体系

気が合わない人は自身のいつの時代にもいる。職場なら必要外のコミュニケーションを取らないことで大概は済むからいい。

でも、気が合わない以前にコミュニケーション自体が難しい人は難儀だ。

例えば会話をしていても、言葉を額面通りに受けるだけではなく、大抵は意図を探りながら聞く。

その意図がまるで分からない人がたまに居る。適当に相槌を打って終われる会話ならまだしも、最終的に言いたいことを吐き出すだけが目的の人との会話には辟易する。

そういう言語体系が違う場合、打つ手がない。所謂、常識というものが違うからだ。

それは外国人と話すとよく分かる。何を伝えたいのか、彼らはハッキリしている。

確かに「暗黙知」的な感覚が必要な場面もあるけど、変な配慮とか遠慮を必要としないなら、意思は明確に伝えてくれた方が私はラクだ。

遠慮とか配慮が必要な信頼関係など、仕事以外はあってもなくても、人生の大勢に影響はないのではないかな。