引きこもり時代の全て
今回は一年間以上引きこもりだった私が、どんな生活を送りどんな思考をしてどんな顔で親と接してきたかを書いていこうと思います。よろしくお願いします。
私が引きこもったきっかけは、被害妄想が始まりでした。外出した際、すれ違う人達の笑い声が自分を笑ってるように思えて怖かったのです。また、この感覚を理解してもらうのは難しいかもしれないのですが、自分の視線が他人に不快感を与えてないか。また他人の視線が自分を評価しているのではないか、悪い評価をつけられて笑われているきっかけになっているのではないか等と、中々に病的な思考をしていました。
そんな中でも一応バイトに応募してみたり、受かって舞い上がったのもつかの間、働き始めてから嫌われる想像ができてしまって怖くなり、辞退の連絡をしたり。実際働いてみたものの無能さと無愛想さで速攻嫌われ一日で辞めてみたり。そんな感じに雑に日々を過ごしていたんですが、とうとうある時ギリギリで保ってた心が折れて、引きこもるようになってしまいました。最初は外に行きたくない…程度だったのが、死んでも絶対外に出てなるものか!ぐらいの意思の強さに変わっていってしまいました。外に出なければ出ないほど、出るのが怖くなるんですよね。他人を敵として捉えてるのは、他の誰でもない自分でしかなくて。実際に敵な人というのはそこまでいないはずなのにも関わらず…。
当時から精神科に通っていたのですが、そこで受ける治療も自分には合っていなかったのか。改善されていってる感じはしませんでした。勿論、自分のせいであります。当時は薬ばかりに依存して、自分の課題をしっかり受け止めたりする努力をしていなかったのですから。どんな名医でも治せなかったと思いますし、何を治すために行ってるのか、段々分からなくなっていきましたしね。
何はともあれ引きこもるようになってからは、元々大して規則正しくない生活リズムが乱れに乱れ、その影響もあってかメンタルは常に絶不調で、たまに薬の効果でハイテンションっぽくなっても、現実があまりにも酷いものですから、それと対峙した瞬間にすぐ気分も元に戻ってしまいました。
そして結局何も行動せず、だらだらスマホで自◯ 方法 掲示板 と調べて出てきた検索結果を延々と眺めていました。そうして日がのぼりおりするまでを毎回繰り返していました。
その間、私の母親は必死で呼びかけてくれました。
外に出ようよと。
ですが私は、いつも理由をつけてこの誘いを断り、
母を怒らせ、時には泣かせてしまっていました。
本当に申し訳ないです。
ただ当時の私はネットに毒され…とネットのせいにするのもよくないですが、ネットに蔓延ってるような陰湿な思考が常に頭を埋めていました。産んだ親が悪い つくった親が悪い と。
そう言い聞かせることで、自分のあまりにも大きな愚かさから逃げることができる気になっていたから。
ところが、ここで真打ちの父親が出てきます。世話焼きな母親に比べて、父親は後ろで見守るタイプだったのですが。ついにしびれをきらしたようです。一番怖い怒り方である、たんたんとした怒り方で、ある日詰められました。そこでようやく私は重い腰を上げて、外に出たのでした。
いかがでしたでしょうか?長い引きこもり生活だったのですが、意外と呆気なく終わりましたよね。
ということでそんな感じでした。お読みいただきありがとうございました。ここを具体的に知りたいとかがあれば、ぜひお聞かせください。
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