メディアミックス考

僕ら世代(アラフォー)の大好物のドラマにIWGPがある。

もちろん、僕も大好きである。しかし、一つびっくりしたことがある。

ドラマと原作小説では色々と違うのだ。特に準主役である窪塚演じるキングのキャラクター、ファッションは全く違うと言っていいだろう。

しかし、原作者である石田衣良は脚本家である宮藤官九郎に対して、悪感情を抱いていない。それどころか、宮藤の小説の書評に以下のような言葉を残している。

あれは『池袋ウエストゲートパーク』の連続ドラマの打ち上げのときだから、もう十三年も昔の話になる。会場になったホテルメトロポリタンの宴会場で、ぼくは宮藤官九郎さんと初めて会った。宮藤さんは美大の留年生か、売れないバンドマンみたいな雰囲気で、頭をかきながらぼくにいった。

「こんなのが書いてて、すみません」

 いやいや、とてもおもしろい脚本だった。テンポがよくて、すごく笑わせてもらった。そんな返事をしたと思う。宮藤さんにとっては初の連続ドラマ脚本だったし、ぼくも『池袋』がデビュー作だったのだ。ふたりとも若かった。懐かしいなあ。

上記のように全く悪感情は抱いていない。お互いに謙譲とリスペクトがそこにはあると思う。

そこへ来て今回のセクシー田中さんの一連の騒動である。

インスタ、ツイッターの画像等からは脚本家、原作者ともに良感情は存在しない。リスペクトも何もあったものではない。

正直に言うと今回の騒動で、筒井康隆のエッセイ(確か笑犬褸からの眺望、だったか)の一節を思い出したのだ。

富豪刑事という小説のTV化についての話である。実際、深キョン主演でTV化されているが、それよりもっと前にTV化を持ち掛けれられたらしいのだ。しかし、条件が筒井先生と合わず、話が流れたそうだ。するとしばらくしてから、当該TV局関係者から、にやにやしながら「富豪刑事、TV化していいっていってるの、僕らだけですよ。」と言われたのだ。

あの筒井康隆相手にこれである。(まあ80年代くらいの話だが。)

つまり、正直に言うと、TVにしてやってる、私たちがTV向きにしてあげてる、という意識がまだTV局側にあるのではないか?私たちが優れた映像作品にしてあげている、という意識があるのではないか?TV局全体と言わないが、今回のTV局のチームにはそういった意識があったのではないか?

今回自殺された芦原妃名子さんは、今までに少なくとも2回ほど作品が映像化されている。いや、砂時計は2回されているので3回といった方がいいのか?

それらのメディアミックス過程において、今のところトラブルがあったという話は聞かない。

しかし、今回のTV局のチームは何回か同様のトラブルを起こしているようである。

おそらく日本テレビとしては、行き違いがあっただけです。私たちは悪くないですよ。それよりも、脚本家やプロデューサーを責めないであげないで下さい。誹謗中傷はダメですよ。SNSやネットでの言葉の暴力、ほんとに怖いですね。皆さんもそれだけはやめてくださいね。

という感じで話題をスライドさせてから、話をまとめたいのだと思う。

確かに、原作者としても、ネット上の誹謗中傷合戦、脚本家へのヘイト、そういった方向に話が持っていかれたのが心外で命を絶った、とも思える。というより、自分の大切な大切な作品が、ネット上での誹謗中傷の引き金になってしまったというのはとてもショックだろう。

自分の一生懸命作った作品が、自分の望まない形で映像化されて、映像化チームと適切な関係を築くことができず、これまでの経緯をネット上で説明したら、誹謗中傷合戦が始まってしまった。ひどい話である。

でも、である。そもそも砂時計の時のように、Pieceの時のようにスムーズにトラブルなくメディアミックスされていれば問題は生じなかったのだ。すべてはそこから始まっているとしか思えない。

なので、今回は第3者的機関に入ってもらい、調査をすべき事象と思う。そして、経緯を明らかにするべきと考える。

なんせ人が1人死んでいるのだ。

これからのために、未来のために。



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