私とコーヒー
あなたにとってコーヒーとはどんな存在ですか?
カフェイン、健康、パフォーマンス、娯楽、デザートのお供など人の数だけ答えはいろいろあるでしょう。
”あなた”だけが感じている大事な役割をもつものはありますか?
みんなからはちっぽけなものでも、自分にとっては大事なものってあるのではないでしょうか。その一つがコーヒーです。これはそのことについて語る文章。と言っても思い出を語るものかな。
ふと、最近 なぜコーヒーが好きな人間になったのだろうかと何か振り返ってみようと思う。今コーヒーが好きであると言えるが、なんで好きになったんだろう。
いろいろ書き出していくと、コーヒーという言葉、概念、役割が自分の成長に応じて変化してきたなと感じてそれをまとめたい
高校生。コーヒーとの出会い。カフェインを摂取するツール
たしか初めて飲んだのは高校生だったかな。勉強の合間にカフェインをとるためにコーヒーを飲む人をみていて真似したくなったのだ。それまでは集中力を切り替えるときはヤクルトを飲んでいたと思う。
ブラックは怖くてペットボトルの甘いカフェオレを飲んでいた。初めてのカフェオレは苦い、けど目が覚めるなぁという覚醒させるためのツールとして服用していた。
大学生。コメダ革命。課題を進める促進剤
1,2年生の頃も高校生と同様にレポート・テストのお供に自販機やコンビニの甘いカフェオレを飲んでいた。ただやはり必要性に駆られたものだった。ときおり、サイゼリヤなどのドリンクバーでコーヒーを飲んでみることがあった。ブラックはとても飲めたものではない味で砂糖ミルクましましでなんとか飲めていた。ただある意味戦闘モードになり、目は覚める。そんな中3年生となり、コメダ珈琲という革命的存在に気付いた。コメダ珈琲はちょっと高めだが、実家のダイニングか?ってくらい一人当たりの空間が広い。エアコンも効き、ご飯もでかく、パソコンも参考書もノートも広げて勉強がすごく取り組みやすいことに気づいた。空調の悪い大学自習室、だらけてしまう自宅よりは良いなと思った。モーニングではドリンク一杯で食パン無料で休みの日はよく行った。カフェオレが好きだったが、試しにコメダブレンドを飲んでみた。苦味はあるけど、あれ?前飲んでいたドリンクバーコーヒーやペットボトルコーヒーよりもおいしい。ここからコーヒーの味にはまりだした。勉強のために頻繁にコメダへ行くから、必然的にコーヒーを知っていくサイクルが出来上がった。コメ黒の渋みを楽しんだり(ミルクは入れる)、アイスコーヒーのSophiaで不快感のない酸味と苦味にはまった。
そのとき自分はコーヒー=コメダになっていた。
大学院。コメダ卒業。繊細な味を感じるもの
夜行バスで県外に行くときも、朝早くに開店するコメダにしか行かなかった。東京も愛知も大阪でもどこに行くにしてもコメダを探していた。そんな中とあるエリアのコメダのコメ黒で事件が起きた。コメ黒はその名の通りブラックで苦味が効いている商品だが、そのコメ黒はぬるく、苦くもなく、よくわからない液体だった。衝撃だった。これはなんだ。自分の中で神格化していたコメダという信頼、ブランドが壊れた瞬間だった。ここからはもうコメダに行けなくなった。次はどうするか、スタバのコーヒーを飲んでみる。また違う美味しさだ。少しずつ違うお店を知っていこうと動き出す。ただカフェの選び方が分からないのでチェーン店ばかり。またその頃、コーヒーを自分で淹れたりすることに挑戦していた。安い粉を大量買いし、まずいコーヒーをひたすら飲む。そこから器具をそろえ、いくつかのカフェで豆を買って… おおぉ、ってものもあればうーむ、となるものも多々あった。もやもや、ピンとこないまま修論をしていた。
そんなこんなでもう卒業間近。とあるサークルのイベントで出会ったカフェに詳しいインスタグラマーに私がこれまで行ったカフェを聞かれ、「チェーンばかりやん。」と言われ、卒業祝いに個人経営のカフェへ連れて行ってもらった。そこが衝撃だった。自分が欲しい味わいを満たすコーヒーに出会った。このコーヒーが舌に届けてくれる表現が解釈一致だった。好きな味だった。これを機にまたコーヒー熱が加速する。
社会人。関東を知る。自分の好きを分析・研究するもの
社会人となり、関東にきた。そうなると都心のカフェなどを飲みに行くことが容易になっていた。お気に入りをベースにときどき新しいカフェのコーヒーを飲みに行く。ただ適当に近場のカフェを選ぶと自分の満足する味わいのコーヒーが見つからなくなる。味わえないものが増えてきて、そうか。分析して自分の好みを言語化したり、ある程度の傾向をつけていけるようにしようと考え始め、notionにカフェ情報やコーヒー豆の情報をまとめていくようになった。コーヒー豆の種類 煎り方 味の感想 自分の好み度などをまとめていく。そうするとなんとなくだが、見えてくるものがある。ウガンダ、コロンビア、キリマンジャロ、ルワンダの中浅~中深くらいかなぁ。エチオピア飲むならサイフォンだな。温度は温めだと自分は楽しめないから80℃~85℃くらいかなとか。重みのあるベリー風味が好きなんだなぁとか。こういう自分の好きな味を探していく行為って自由研究みたいで楽しいと思える。
このように私にとってコーヒーの役割というものは変化していった。カフェイン剤というツールからコメダの勉強についてくるツールへ。繊細な味を感じるツール、そして自分の好きを知るための分析ツールに進化していったのだ。改めてまとめてみると、ただ好みというよりコーヒーの表現を注意深く楽しんだり、ある意味自分探しのツールとして使っている部分もあり、大きく自分の人生に入り組んでいると思った。同じ言葉でも存在でも自分の経験や触れ方で見え方がこんなに変化しているなんて見返すと感慨深い。今後コーヒーとはどう触れていくのか楽しみだ。