鈴鹿御前の幕間2とかいう時系列が謎すぎる話
※この記事はFGOの1部終章のネタバレを若干含みます。未クリアの方はご注意ください。※
夏も目前、そろそろ様々なイベントが気になり出す今日この頃、FGOでは2800万ダウンロード記念キャンペーンをやっている。
そこで幕間の物語の消費APが半分になるということで、石稼ぎも兼ねて前々から溜めていた様々な幕間を読みまくった。オリオンやロムルスなど、どれも昔のものばかりだったが、読んでいると結構伏線が張ってあったりして面白い。その中でひときわ異彩を放つ幕間がある。
タイトルにもある、鈴鹿御前の幕間2である。
タイトルは『ミミ思う故にミミあり』。いかにもトンチキな雰囲気を醸し出すタイトルであり、内容もそれに違わずコメディ調のお話である。どこからどう見ても普通の幕間だが、これがなぜそれほどまでに引っかかるのか。
それは(タイトル通り)この話の時系列が謎すぎるからである。
謎さを理解してもらうためにまずは軽く内容を解説しよう。
あらすじ
鈴鹿御前とマスター、マシュはレイシフト先の森で薪集めをして野営の準備をしている。ドクターのぼっち度についての談義などをしながら和やかに仕事をする一行。そこに玉藻前が現れ、ケモミミキャラ被りについて因縁をつけ、非常に不毛な争いが始まる。
争いはアタランテやジャガーマンの乱入でカオス度を増していくが…
といった話。まあ、これだけ聞けばそんなに違和感はないだろう。いつも通りの幕間である。
しかし、明らかに時系列が矛盾している。
矛盾の最も大きい部分は「ドクターがいる」ということ。
鈴鹿御前はCCCコラボイベント実装サーヴァントであり、本編の時系列で考えればドクターがいるカルデアに鈴鹿御前がいるということは有り得ない。
百歩譲って、恒常なんだから初心者のカルデアで鈴鹿引いたら普通にロマニいることもあるだろ、そういう世界線の話なんじゃねーの、というご意見もあるだろう。
しかし、それにしてもおかしい点がひとつある。
この場面で鈴鹿が言及している「紅先生のヘルズキッチン」、これは言うまでもなく2019年開催のイベント。
鈴鹿御前は第四天魔王の娘ということもあり普通に紅閻魔のお宿に行き来していてもギリおかしくない人(存在)ではあるものの、やはり違和感がぬぐえない。
まあ、それもメタ的に言えば2019年くらいに初めてのんびりやっていたマスターであれば紅閻魔のイベントをクリアし、鈴鹿御前を召喚している上でドクターがまだいるカルデアというのも十分有り得る話ではあるのだが。
だとしてもこの幕間の時系列を100パーセント矛盾なく受け取れるマスターはそう多くないだろう。
なぜこのように謎の時系列の幕間が誕生してしまったのか。
それは恐らく、この幕間の主題がドクターについての掘り下げだったからなのだろう。
掘り下げ、というよりは補完、というか。
そもそも僕がこの(どうでもいい)違和感に気づいたのは、ドクターの登場する幕間の時系列の整理をしていたからだ。
幕間の中で終局特異点クリアが条件のものにはいくつか「過去を思い出す」といった体でドクターについて補完情報が出されるものがある。(ダビデの幕間など)
この鈴鹿御前の幕間もその変種的なものなのではないだろうか。
この幕間は確かに時系列こそ異次元だが、ドクターに関するいくつかの補完的な情報がある。
それがこの2つだ。
1つ目はおそらく、鈴鹿御前のスキル『才知の祝福』あるいは宝具『三千大千世界』によって鈴鹿御前がドクターの正体、もしくは本性を見抜いていたということ。なおかつ鈴鹿はそれについて言及を避けたということ。
鈴鹿自身にも、プロフィールで宝具『三千大千世界』について、第二魔法を思わせる効果と
という、意味深な一言がある。
僕はCCCもFOXtailも未履修なので詳しいことについてはちゃんと分からないのだが、少なくともFGOの範囲で英霊の資格を剥奪、といわれるとどうしても"彼"のことが思い浮かぶ。
もちろん"彼"の場合は「座からの消滅」であり厳密にはどうやら違うようなのだが。
似たような反動のある宝具を持つものとして、何らかの形で2人の関わりを回収しておきたかったのかもしれない。
2つ目は、「ウソから始まっても、ホントに好きになったならそこに価値はあるっしょ」という言葉について、ドクターが「───ああ」と答えること。
この言葉もやっぱりどことなく"彼"の人生を思わせる。
そして、そんな人生についてドクターがちゃんと肯定しているということ。そうだね、その通りだと頷いていること。
僕達は(と言うとオタク特有のクソデカ主語で各方面から突っかかられてしまうかもしれないが)あの日からずっと、"彼"のことを忘れられていない。それぞれの人がどれほど思い入れがあるかはさておき、FGOをプレイし、あの結末にたどり着いた人はみな"彼"のことが心に残っているだろう。
あの日から…人によってその日はまちまちだが、僕は2020年の7月11日から…ずっと心に引っかかって離れないことがある。
それは、"彼"はあの結末で本当に納得できたのか、ということ。
あなたは本当にそれで良かったのか。オレが憎くないのか。まだあんなに生きたかったのに、全然何も報われてないのに、怖くて怖くて仕方なかったのに、どうしてなんでもないみたいな顔して、オレがこんなに身勝手に生きたいって叫んでる横で、どうして当たり前みたいに笑顔で。
それが分からなかった。憎まれて、呪われて当然だと思った。そうでないと困るのだと。"彼"の決断が100パーセントの納得ずくで、そこにオレの関わる余地などひとつも無いのだとしたら、オレは一体どうしたらいいんだ、と困惑した。
どうしても整理がつかなくて作品を作ったという人も多くいるだろう。僕も分からなさすぎて人生初の中編マンガを描いてしまった。それにバカクソ長い解説までつけてしまった。
この幕間で提示されたこのやりとりは、そんな永劫の悩みに一つの答えをくれるものだ。
2017エイプリルフールでは、23時以降の特別演出としてロマニがゲーム画面に現れ、手を振っているという演出が見られる。
この演出について、竹箒日記では短いが決定的な言及がされている。
もうこんなん答えやん!!!!!!!全ての!!!!!!!!!!!!!!この世全ての答えやん!!!!!!!!!!!!
そう。これがたぶん、答えなのだ。
良かったんだ。心底、全く何の悔いもなく、満足していたのだ。
だからきっと、ちょっとだけ何かにおまけしてもらった時間でも笑顔で手を振っていたのだ。
だからきっと、それを伝えたかったからこの謎時系列の幕間は生まれたのだ。
ミスでもメタネタ的なものでも何でもなく、大丈夫なんだよ、ということを言うために誰かが書いてくれた優しさの塊が鈴鹿御前の幕間2なのだ。
最後に、じゃあ結局この幕間は何なのだろう?ということについて考えてみたい。(完全に妄想でしかない話にはなるのだが)
先程、鈴鹿御前の宝具『三千大千世界』は第二魔法に近い効果があるようだ、と述べた。というのも、
厳密には自身を未来演算装置、ムーンセル化するというトンデモな代物らしいが、この宝具の効果をよく考えてみると、この幕間の時系列の正体に思い当たる。
すなわち、この異次元時系列の幕間は鈴鹿御前の宝具によって垣間見られた、あったかもしれないカルデアの幕間である、ということ。
先程も述べたように、このカルデアの状態は本編の時系列上は絶対に有り得ないが、メタ的には十分に現れうる。
そんなカルデアでだけ見られた、わずかな"彼"の心が垣間見られる時間。
それを鈴鹿御前がマスターに対し見せてくれた、あるいは何らかの方法でカルデアの記録に登録したものがこの幕間なのでは無いだろうか。
そうなると、この幕間の解放条件が絆Lv5なのも納得がいく。
『三千大千世界』は先程も述べたように非常に使用のデメリットが大きい宝具。それを使ってまでマスターの心を救いたい、と思うためには絆Lvが十分に上がっている必要があるのだろう。
というわけで、今日は鈴鹿御前の幕間2の時系列の話だった。
最初は単に「何やねんこの異次元!」という話で終わらせるつもりだったのだが、思いがけず長くなってしまった。しかも全く旬では無い話題。
だが、少しでも楽しんでいただけたなら幸いである。