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1月6日は、東京消防庁出初め式&大陸移動説を提唱&佐久鯉誕生の日&ホーリー・スリー・キングス・デー&日本初のケーキの宣伝が実施

【東京消防庁出初め式】

年の初めに、東京消防庁の消防署員たちが、消防動作の型を演習・披露する出初式は、例年1月6日に行われています。

元は、江戸時代のとある正月6日に、旗本が率いる定火消たちが、上野東照宮で1年の働きを誓ったとの記録が残っていて、これが「出初式のはじまり」とされています。

当時は、平屋の木造住宅が密接して建っていたことから火事も多く、定火消や町火消の活躍は、とても重要で人気もありました。

今日行われている東京消防庁出初め式も、消火活動、救急演技、消防機械部隊分列行進、木遣り行進、梯子乗り、東京消防庁音楽隊といった、迫力ある演習は人気があり、例年たくさんの観客が行事を見守っています。

また、出初式は全国各地の消防署でも行われ、地域によって、その土地の特徴が活かされた一大イベント行事です。


【A・ヴェーゲナー博士が「大陸移動説」を提唱】

1912(明治45)年1月6日、気象学者のA・ヴェーゲナー博士が「大陸移動説」を発表しました。

大陸移動説=地球上の大陸は、かつて1つに繋がっていたが、長い年月をかけて分裂・移動を繰り返し、現在のような地理になったとする説。

なぜ、南アメリカとアフリカの海岸線は、パズルのようにぴったり合うのか?

あるとき、世界地図を見ていたヴェーゲナー博士のとある疑問から、今日、地球科学史上最大の発見のひとつと称される説の観察検証がはじまりました。

博士は研究を重ね、4つの科学的証拠を得たことで、大陸移動説を提唱。

現在の大陸は約2億年前、パンゲアという一つの巨大大陸だったと結論付け、現在の各大陸は、このパンゲアが分裂・移動して形成されたものだと発表しました。

Pangaea=意味:すべての大地、言語:ギリシャ語

《4つの科学的証拠》
[地形的証拠]
・異なる大陸間での地層の連続性
・異なる大陸間での海岸線の一致

[古生物学的証拠]
・異なる大陸での同一種の化石分布:南アフリカ、インド、南極大陸で「メソサウルスの化石」の発見
・約4,000km離れた南アメリカとアフリカ大陸に同属同種の生物を発見

[地質学的証拠]
・離れた大陸での類似した岩石層
・鉱床パターンの一致性

[古気候学的証拠]
・現在の寒冷地での熱帯植物の化石
・南極大陸での石炭層の存在

ヴェーゲナー博士の提唱した説は、発表当時の常識を根底から覆すものであり、多方面で批判を浴びました。

しかし、科学技術の進歩によって、プレートテクトニクス理論が確立されたことにより、ヴェーゲナー博士の「大陸移動説」は正しかったと証明されました。

プレートテクトニクス理論=地球の表面は、複数の「プレート」で構成されていて、マントル(地球内部の地殻と核の間にある岩石の層)の対流が、プレートを動かすことにより、海洋底が拡大されて、より新しい地殻が形成される考え。

現在では、ヴェーゲナー博士の考えが、地球科学における基本理論であるだけでなく、地球に対する理解を根本的に変えた革命的な発見であり、地震や火山活動をはじめとした、多くの地球現象の説明に不可欠な基礎です。

《余談》
現代では、ヴェーゲナー博士の理論をスーパーコンピュータで発展させ、
将来の大陸配置予測:「パンゲア・ウルティマ超大陸」説、プレート運動の詳細なモニタリング研究、地震予知への応用研究に、活用されています。


【佐久鯉誕生の日】

1746(延享3)年1月6日、信州佐久の篠澤佐吾衛門包道(ささざわさごえもんかねみち)が、伊勢神宮(三重県)の神主に鯉料理を献上したとの記録が残されていて、この記録が「佐久鯉」の確認出来る最古の記録とされていることから、篠澤佐吾衛門包道の子孫にあたり、老舗旅館「佐久ホテル」の社長を務める篠澤明剛氏が、記念日に制定しています。

佐久鯉は、長野県佐久市の、気候、風土、千曲川(信濃川)といった環境下で育った、身の締まった鯉で、以前は、宮内省や陸軍をはじめ、多くの官公庁ご用達でした。

今日でも、鯉の博覧会や品評会では「日本一の鯉」の称号を数多く得ています。


【ホーリー・スリー・キングス・デー】

ある年の1月6日、まだ幼かったイエス・キリストのもとに、贈り物を持った3人の王・東方の三博士が訪れたとされることを祝う日です。

一般的に欧米各国では、1月6日の「ホーリー・スリー・キングス・デー」をもって、クリスマスの飾り付け等を全て外す慣習があります。


【日本初のケーキの宣伝が実施】

1879(明治12)年1月6日、上野(東京都)の洋菓子店・風月堂が、東京日日新聞に日本初のケーキの宣伝を行いました。

当時の東京日日新聞に掲載された広告は、
『文化は日々開けていき、すべてのものが西洋風になってきていますが、西洋菓子をつくっている人はいません。そこで当店では外国から職人を雇ってケーキをつくり、博覧会へ出品したところ大好評でした。ぜひご賞味ください。』
という内容でした。

ケーキ自体の認知度も低かった当時、西洋菓子は、チョコレートと共に高級商品とされていました。

が、簡単なイラスト付きの新聞広告は大きな話題を呼び、話題に違わぬ味も人気となり、店は連日行列をなすほどの反響ぶりに。

同社が行ったケーキの新聞広告とその味は、日本にケーキを一気に普及させる大きな契機だったと目されています。

そして、この日は、ケーキの日として記念日に制定されています。


(以上、ネット検索より)

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