2月26日は、二・二六事件&咸臨丸の日&血液銀行開業記念日&脱出の日
【二・二六事件】
1936(昭和11)年2月26日、皇道派思想の影響を受けた陸軍青年将校らがクーデターを目論み、首相官邸などを襲撃する事件が発生。
時の斉藤実(まこと):内大臣、高橋是清(これきよ):大蔵大臣を含む10名弱が、この襲撃により命を落としました。
閣僚や議員ではなく、天皇親政の下で国家改造を目指した活動思想で、昭和維新とも表現されています。
陸軍青年将校ら20代が中心となり、昭和維新・尊皇討奸をスローガンに掲げ、武力を以て元老重臣を殺害すれば、天皇親政が実現し、政財界の様々な腐食現象や、農村の困窮が収束するとの考えが広がっていました。
クーデーターの首謀者は約1,560名にも及び、総理大臣官邸、警視庁、内務大臣官邸、陸軍省参謀本部、陸軍大臣官邸、東京朝日新聞などを次々と占拠。
武力的圧力を強める中、昭和天皇に昭和維新を訴えるも、天皇はこれを拒否。
そのため、クーデーター実行者たちは叛乱軍(反乱軍)とみなされることとなり、政府軍に武力鎮圧や威圧されクーデターは未遂に終わりました。
首謀者でもある大半の将校は、法廷闘争の後に銃殺刑に処されました。
また、事件直後は(帝都)不祥事件と呼ばれていましたが、今日では、クーデーター未遂事件が起こったその日付から「二・二六事件」と呼ばれています。
そして、この日は、二・二六事件の日として記録されております。
【咸臨丸の日】
日米修好通商条約の批准書交換のため、万延元年1月13日に品川沖を出航し、アメリカへ旅立った江戸幕府の軍艦「咸臨丸(かんりんまる)」が、万延元年2月26日にサンフランシスコへ無事到着したことにちなんで記念日が設けられています。
新暦:1860年3月18日。
咸臨丸に乗船していた勝海舟:艦長、福沢諭吉、中浜万次郎(ジョン万次郎)ら一行は、批准書交換という大役に加えて、日本人初の正式な太平洋横断航海を成功させたことでも、歴史に刻まれています。
また、咸臨丸が品川沖を出航した1月13日は、旧暦の日付のまま「咸臨丸出航記念日」として制定されています。
《アイスクリームを初めて食べた日本人》
1846(弘化3)年に、アメリカで大衆向けアイスクリーム製造機械が発明され、贅沢品だったアイスクリームがアメリカで一般食として親しまれ始めた時代背景と合わせて、咸臨丸でアメリカに渡っていた一行が、初めてアイスクリームを食べた日本人なのでは?との見方が有力視されています。
【血液銀行開業記念日】
1951(昭和26)年2月26日にGHQ指導の下、日本初の血液銀行「日本ブラッドバンク」が設立されたことにちなんで記念日が設けられています。
血液銀行:献血などによって、提供者から採取した血液の保存や管理、必要時における輸血の供給を行う機関。
日本ブラッドバンクは、後に「ミドリ十字」として運用されていましたが、1998(平成10)年に法人格が消失。
変わって、1952(昭和27)年に日本赤十字社が設立した血液銀行が、血液センターとして全国各地で、その役割を引き継いでいます。
【脱出の日】
エルバ島へ流刑されていたナポレオン・ボナパルト(ナポレオン1世)が、1815(文化12)年2月26日に島を脱出して、パリに向かったことに由来して記念日が設けられています。
《脱出の日の由来と百日天下》
1814(文化3)年、諸外国の対フランス大包囲網により、パリは陥落していて、フランスを率いていたナポレオンは退位させられました。
退位させられたナポレオンは、地中海のコルシカ島とイタリア本土の間にあるエルバ島で実質的軟禁状態に。
しかし、1815(文化12)年2月26日に、ナポレオンはエルバ島を脱出。
パリに戻り、その後、皇帝への復位を成し遂げています。
《百日天下》
その後、イギリス・プロイセンの連合軍と対峙した「ワーテルローの戦い」で、ナポレオン率いるフランス軍が完敗すると、再び、その地位は追われることに。
エルバ島を脱出し、復位してから再び失墜するまでの約100日間の一時的支配を、欧州では百日天下といい、短期間政権のことを指す他、一般的には短い期間の例えとして、様々な比喩で用いられています。
(以上、ネット検索より)