7月14日は、日本の呼称が正式決定&ペリーが日本に上陸&廃藩置県の日&ひまわりの日&しんぶん配達の日&フランス革命記念日/建国記念日/パリ祭&ゼラチンの日/ゼリーの日
【日本の呼称が正式決定】
1970(昭和45)年7月14日、閣議決定にて、日本の呼称が「ニッポン」に正式決定しました。
それまで、ニホン、ニッポンと併用されていたものを、ニッポンに統一しました。
が、例えば、日本語、日本地図、日本◯◯〜と、各名称の頭や後ろに「日本」が付く単語の呼び方は、「ニホン〜」「ニッポン〜」のどちらも併用されていて、明確な区別は線引きされていないのが現状です。
【ペリーが日本に上陸】
数日前から江戸湾・浦賀沖に停泊していたアメリカの黒船艦隊4隻が、1853年7月14日(旧暦:嘉永6年6月9日)、マシュー・ペリー提督を筆頭に、神奈川・久里浜に上陸。
開国等の要望を記した親書を、幕府へ渡しました。
見たこともない大きな蒸気船、圧倒的な航海技術力の差は、当時の日本人にとって、衝撃とともに脅威であり、恐怖だったとされ、江戸の街だけでなく、日本中が大騒ぎとなり、幕府も大混乱に陥りました。
幕府は、ペリー提督の再来に備え、品川沖に6基の砲台(台場)を作るも、一回も砲火されることなく、武力や圧力に半ば屈するかたちで、1854(嘉永7)年に再来航したペリーとの間に「日米和親条約」が結ばれました。
この結果、江戸初期から続いていた鎖国政策と呼ばれる極端な外交制限は、終焉を迎えました。
これにより、日本の(本格的な)開国が始まったとされていることから、7月14日は「ペリー上陸記念日」として制定されています。
【廃藩置県の日】
藩を廃止して県を設置する「廃藩置県の詔書」が、明治4年7月14日(新暦:1871年8月29日)に出されたことを受けて、記念日が設けられています。
1869(明治2)年になされた版籍奉還で、江戸時代の藩は形式上なくなっていたものの、ただ名称が「藩」から「県」に変わっただけの状況で、旧藩主がそのまま知事となっていて、領地も藩時代のままだったところがほとんどでした。
そのため、旧藩体制の刷新を図るべく、明治政府主導のもと廃藩置県を断行。
新たな方針として、各県ごとに中央政府から県知事を派遣することで、それまでの藩主が領地を治める方針を撤廃し、701(大宝元)年に出された大宝律令以来の中央集権国家を目指していきました。
以後、第1次・第2次と続く府県統合を経て、現在の1道1都2府43県に近い状態に、日本が再編されていきました。
【ひまわりの日】
1977(昭和52)年7月14日、日本初の静止気象衛星「ひまわり1号」が、アメリカ・ケネディ宇宙センターから打ち上げられたことにちなんで、記念日が制定されています。
「ひまわり1号」の名前の由来は、衛星が常に地球の方向を向いていることと、植物のひまわりが、常に太陽の方を向いていることになぞらえて命名されています。
宇宙からの気象観測を実施している「ひまわり」は、世界気象機関(WMO)と、国際学術連合会議(ICSU)が実施している地球大気開発計画(GARP)の一翼を担い、その役目は後継機に引き継がれています。
【しんぶん配達の日】
植物のひまわりは天候に左右されず、常に太陽の方向を向いていることと、天候に左右されず、毎日ほぼ同じ時刻に新聞を配達する人たちを労う意味合いを込めて、日本初の気象衛生「ひまわり」が打ち上げられた7月14日と同日に、日本新聞販売協会が記念日を制定しています。
【フランス革命記念日/建国記念日/パリ祭】
1789(寛政元)年7月14日に、バスティーユ牢獄を襲撃し、占領したことが、フランス革命勃発の日 とされていることにちなんで、記念日が設けられています。
フランスでは、建国記念日、フランス革命勃発の日として国民の祝日であり、例年7月14日は、フランスの各地で昼夜を問わず、花火が打ち上げられているのが慣例です。
日本では、映画の意訳の影響もあり、パリ祭として紹介されています。
【ゼラチンの日/ゼリーの日】
ゼラチンは、フランス料理によく使用されていることから、パリ祭(フランス革命記念日)と同日の7月14日に、日本ゼラチン工業組合が「ゼラチンの日」として記念日を制定しています。
また、ゼリーはゼラチンを主原料とすることから、同組合が後日「ゼリーの日」としても記念日を制定しています。
(以上、ネット検索より)