8月30日は、富士山に測候所が設置&マッカサー元帥が日本に着任&冒険家の日&国際失踪者デー
【富士山に測候所が設置】
1895(明治28)年8月30日、富士山頂に天候観測施設「野中測候所」が開設しました。
同測候所は、気象学者の野中到(いたる)氏が私財を投じて建設したもので、通年測候所としては世界一標高の高い施設でした。
当時は、6畳ほどの小屋で、時に氷点下-30℃時に、風速60m/sといった生命の危険をはらんだ過酷な環境下でのチャレンジに、日本中の注目が集まりました。
富士山頂での越冬観測は不可能と考えられていた中、妻の野中千代子氏とともに観測を続けていましたが、観測から数ヶ月経った12月に、夫妻とも病気のため、残念ながら観測を断念しています。
が、同氏の意思は、その後、1923(大正12)年に気象庁が開設した「富士山測候所」に引き継がれました。
富士山測候所は、その後の技術革新により、自動観測機等が整備され、2004(平成16)年に、有人観測所としての役目を終えています。
今日では、「富士山特別地域気象観測所」として無人観測運営が続いていて、気圧、気温、湿度の観測データ集計が行われています。
ちなみに、富士山観測所で使用されていた旧レーダードーム等は、山梨県富士吉田市にある「富士山レーダードーム館」に移設されていて、見学が可能です。
そして、この日は、富士山測候所記念日として制定されています。
【マッカサー元帥が日本に着任】
1945(昭和20)年8月30日、太平洋戦争での勝利を受けて、日本を事実上占領した連合国軍の最高司令官=ダグラス・マッカーサーが、愛機「パターン号」から厚木飛行場(神奈川県)に降り立ちました。
サングラスにコーンパイプを加えた姿は、圧倒的な存在感を放ち、多くの日本人に深く印象づけられました。
以後、約6年間、マッカーサー元帥は、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)として、日本国内で数多くの改革を行い、戦後の日本の様々な体制や仕組みを方向づける手腕は、現在でも好意的に受け止められています。
そして、この日は、マッカーサー進駐記念日として制定されています。
【冒険家の日】
1965(昭和40)年に、同志社大学の南米アンデス・アマゾン遠征隊が、アマゾン川の源流から130kmのボート下りに、世界で初めて成功したことと、1989(平成元)年には、海洋冒険家の堀江謙一氏が、小型ヨットで太平洋の単独往復を達成したのが、どちらも8月30日だったことから、冒険家の日として、記念日が制定されています。
《余談》
堀江氏は、1962(昭和37)年8月12日に、小型ヨットで日本人初の太平洋単独横断に成功していて、その功績を讃えて、8月12日は太平洋横断記念日として制定されています。
【国際失踪者デー】
失踪し、どこかに監禁されているかもしれない人々への境遇に関心を寄せるため、アムネスティ・インターナショナル、赤十字国際委員会、国際連合人権高等弁務官事務所が呼びかけを実施し、8月30日に国際デーとして記念日が制定されています。
国際表記:International Day of the Disappeared
国連の調査によると、今なお世界の多くの国では、毎年何千人もの男女や子どもたちが、政府や組織に理由もなく拉致されている現実があり、世界約25カ国以上の国々では、強制的な失踪事件が繰り返されているとされています。
日本国内だけでも失踪者は、年間約10万人近くいると推測されていて、特に強制的拉致に関しては、日本政府が中心となり、解決策が講じられています。
(以上、ネット検索より)