12月19日は、世界初のパーソナルコンピュータが発売&日本人初の南極点に到達&第三京浜道路が全通&国際南南協力デー&日本人初飛行の日
【世界初のパーソナルコンピュータが発売】
1974(昭和49)年12月19日、アメリカのMITS社から、個人利用を目的とした世界初のコンピューター「Altair8800」が発売されました。
価格は、組み立て済みのもので約60万円と高額ながら、当時はコンピュータ自体が、研究所や企業で使用されているケースがほとんどだったご時世で、しかも、一室を占有するほど大掛かりなものや、小型のものでも、壁一面にそびえ立つような代物が一般的でした。
開発が進み、徐々にコンピュータを動かすハードウェア内のプロセッサ自体が小型されていき、性能を絞り込んでいくことで、革新的な小型化に成功した「Altair8800」の完成は大きな注目を集めました。
売れ行き的にはそこまでではなかったものの、個人利用向けに販売された最初期のコンピュータは、世界初のパーソナル・コンピューターとも目されています。
【日本人初の南極点に到達】
1968(昭和43)年12月19日、村山雅美(まさよし)隊長率いる第9次越冬隊が、日本人として初めて南極点に到達しました。
南極点は、1956(昭和31)年に建設された、アメリカのアムンゼン・スコット基地内に位置していて、自転する天体の最南端に当たる南緯90度地点のことを指しています。
が、南極点は、あくまでも地理学的な地点で、地震や地殻変動によって、年々ズレが生じているため、正確な南極点の見極めは困難です。
《余談》
人類初の南極点到達は、1911(明治44)年12月14日に達成された、ノルウェーのロアール・アムンセン南極点遠征隊で、12月14日は「南極の日」として記念日に制定されています。
また、以前は、南極点到達は、悪環境のため非常に困難なものとされていましたが、近年では、防寒グッズや移動手段等の大幅な技術革新もあり、旅行ツアーが組まれ、一種の観光地化されています。
【第三京浜道路が全通】
1965(昭和40)年12月19日、京浜川崎IC〜保土ヶ谷IC(いずれも神奈川県)が開通しました。
同開通に伴い、玉川IC(東京都)〜保土ヶ谷ICを結ぶ有料道路「第三京浜道路」が全線開通しました。
《第三京浜道路》
路線:国道466号
線番:E83
全長:16.6km
起点:東京都世田谷区野毛三丁目
終点:神奈川県横浜市神奈川区三ツ沢西町
第三京浜道路は、上り3車線、下り3車線の計6車線の日本初の自動車専用道路です。
また、水銀灯が全線に設置された、日本初めての道路としても記録されています。
第三京浜道路の全線開通によって、渋滞区間だった世田谷近辺〜横浜方面への流れはスムーズ化 され、信号も割と少ないことから、利便性の高い人気ルートです。
【国際南南協力デー】
1978(昭和53)年12月19日に国連総会で、「ブエノスアイレス行動計画」「発展途上の国々への技術協力推進と実施」が、それぞれ承認されたことにちなんで、国際デーとして記念日に制定されています。
国際表記:United Nations Day for South-South Cooperation
「ブエノスアイレス行動計画」は通称南南協力とも呼ばれていて、世界で問題となっている、政治、経済、社会、環境、技術革新といった各分野において、途上国同士が相互に協力し合い、しっかりと実行していこうとする取り組みです。
加えて、世界の気候変動に関する国連主導の世界的枠組みである京都議定書採決の際に、南南協力の残された課題に関しては、期限を設けて詳細を詰めていくことも盛り込まれています。
【日本人初飛行の日】
1910(明治43)年12月19日、東京代々木錬兵場(現:代々木公園)で、徳川好敏(よしとし)大尉が正式記録の日本初飛行に成功したことにちなんで、記念日が制定されています。
5日前の同年12月14日に、日野熊蔵(くまぞう)大尉が、高度:10m、飛距離:60m の日本初飛行実験に成功していたものの、この飛行は公式な飛行実験ではなかったため、滑走の余勢で誤って離陸と記録されていて、12月19日に徳川好敏大尉が行った、高度:70m、飛距離:3,000mが、正式な初飛行成功記録です。
(以上、ネット検索より)