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10月21日は、東京専門学校(現:早稲田大学)が開校&あかりの日&禅寺丸柿の日&国際反戦デー&関ヶ原の戦い

【東京専門学校が開校】

大隈重信氏

1882(明治15)年10月21日、当時、政治家で立憲改進党の党首を務めていた大隈重信氏が中心となり、牛込(東京都)に「東京専門学校」を創立しました。

当時、東京大学などで主流だったドイツ流法学ではなく、イギリス流政治学に重点を置き、時代的に文系学部が主流の学校が多かったなか、東京専門学校は、政治学と経済学を融合させ、欧米的感覚を養う教育が採用されました。

その後、1902(明治35)年10月21日には「早稲田大学」と改称され、開校式が行われていて、日本の私立大学の中では、最も古い段階で大学令に基づく大学となった一校です。

東京専門学校の創立と、早稲田大学に改称した日が、いずれも10月21日だったことから、同日は早稲田大学開校記念日として制定されています。


【あかりの日】

トーマス・エジソン氏

アメリカの発明家トーマス・エジソン氏が、1879(明治12)年10月21日に、京都産の竹を使って、実用的な白熱電球を完成させたことへの偉業を称えて、日本電気協会や日本電球工業会が、記念日に制定しています。

アメリカでも電気記念日として制定されていて、例年10月21日を中心に、日本やアメリカでは、あかりのある生活のありがたさを再認識し、上手に使うことで積極的に、省エネ、節電を追求していくことが提唱されています。


【禅寺丸柿の日】

約800年前の鎌倉時代のものとされる甘柿が、王禅寺(神奈川県川崎市麻生区)で発見されました。

これが、日本最古の甘柿とされていて、また、2012(平成24)年10月21日に、神奈川県川崎市麻生区が、区制30周年を迎え、区の木として、禅寺丸柿が決定されたことを合わせて、麻生環境協会が記念日に制定しています。

日本最古の柿が見つかった川崎市麻生区には、柿が生まれた村の由来から名が付いた「柿生(かきお)駅」が、現在も稼働しています。

柿生駅:小田急電鉄小田原線。


【国際反戦デー】

日本労働組合総評議会が、アメリカ軍のベトナム戦争介入に反対する全国政治ストライキ「ベトナム反戦統一スト」を、1966(昭和41)年10月21日に行い、全世界の反戦運動団体へ呼びかけたことに由来して、記念日が制定されています。

日本労働組合総評議会が反戦ストを呼びかけたことで、翌1967(昭和42)年10月21日には、ワシントンD.C.(アメリカ)でも、10万人を超える規模のベトナム戦争反対デモ「ペンタゴン大行進」が行われた他、ヨーロッパ諸国でも、反戦の意を表明する示威活動が展開されました。

記念日自体は日本独自のものとして制定されていますが、ベトナム戦争終結後も、世界平和実現のための行動の日として、世界的に展開されていて、各地で反戦に対する集会や、デモ抗議活動が行われています。


【関ヶ原の戦い】

徳川家康・東軍

1600年10月21日(旧暦:慶長5年9月15日)、美濃国不破郡関ヶ原で、徳川家康軍と石田三成軍が対峙した「関ヶ原の戦い」が開戦しました。

美濃国=現:岐阜県。

ちょっと乱暴な言い方ではありますが、関ヶ原の戦いは、当時絶対的権力者だった豊臣秀吉亡き後に、秀吉政権下での派閥間対立が表面化したもので、

[徳川家康:東軍]
福島正則、黒田長政、伊達政宗、加藤清正、細川忠興、池田輝政、山内一豊、藤堂高虎、
[石田三成:西軍]
毛利輝元、小西行長、上杉景勝、島津義弘、宇喜多秀家、長宗我部盛親、小早川秀秋(開戦後、東軍へ寝返り)

といった、当時の有力戦国武将のほとんどが挙兵しています。

石田三成・西軍

東西合わせて約20万人近い兵力が激突した、戦国時代最大にして最後の戦いだったにも関わらず、事前の調略や密約などの影響もあり、わずか半日ほどで、東軍・徳川家康側の勝利が確定。

徳川家康による覇権が決定的なものとなり、以後の日本の歴史を決定づけた戦いだったことから、「天下分け目の戦い」と目されています。


(以上、ネット検索より)

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