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1月14日は、尖閣諸島開拓の日&左義長/どんと焼き/どんどん焼き&南極大陸でタロとジロの生存を確認&マンリーデー

【尖閣諸島開拓の日】

1895(明治28)年1月14日、日本政府が尖閣諸島を日本領にし、沖縄県に編入する旨の閣議決定を行ったことを受けて、沖縄県石垣市が記念日に制定しています。

尖閣諸島は、魚釣島、北小島、南小島、久場島、大正島、沖の北岩、沖の南岩、飛瀬を含む無人島の総称で、日本領への編入に向けた調査を行った際に、中国や近郊諸国を含む、いづれの国領にもなっていない無主地であることを幾度に渡って確認。

国際法に則り、正式な手続きを経て、尖閣諸島を日本領へと編入しています。

尖閣諸島の日本領編入は、日本の領海が増えたことだけでなく、尖閣諸島にしかない自然や動植物の生態系調査を、日本が主導して行っていくことも考慮されていて、多くの分野で、国際的にも注目が集まっています。

《余談》
尖閣の名は、島自体が尖っている形状なことと、同場所が「イギリス海軍水路誌」の誌面内で、「The Pinnacle Islands」と記載されていて、その意訳とされています。

Pinnacle(ピナクル)=意味:頂点、尖塔、天頂


【左義長/どんと焼き/どんどん焼き】

正月に飾った門松や書き初めで書いたものを持ち寄って焼く行事で、古来より、正月に出迎えた歳神様を、炎とともに見送る風習が続いています。

地域によっては、門松等を燃やした火で、「餅や団子を焼いて食べると健康に良い」「焼け残った灰を持ち帰り、自宅の周囲にまくと病除けになる」「(正月に書いた)書き初めを燃やし、炎が高く上ると字が上手くなる」などなど、様々な言い伝えがあります。

また、呼び方も、地域によっては、どんど焼き、どんと祭、さいの神、才の神焼き、歳の神、と異なり、お焼きをする日も、1月14日ではなく、1月8日や1月10日だったりと、割とまちまちです。


【南極大陸でタロとジロの生存を確認】

1958(昭和33)年に実施された南極観測の際に、置き去りにされていた2匹のカラフト犬「タロ」と「ジロ」の生存が、1959(昭和34)年1月14日に確認されました。

《ごく簡単な経緯》
1956(昭和31)年秋、東京港を出発し、南極の昭和基地を目指した総勢53名の南極観測船「宗谷」の中に、22匹のカラフト犬も、犬ぞり隊として他の動物と共に参加していました。

1957(昭和32)年12月、宗谷が南極大陸付近に到着するも、稀にみる悪天候にみまわれ、観測船は昭和基地には到着できず、そのまま漂流してしまうことに。

漂流時に、アメリカ海軍氷艦「バートン・アイランド」号の支援を得ることに成功し、なんとか昭和基地へ到着。

昭和基地で待つ1次越冬隊との合流にも成功し、1次越冬隊の帰船業務が行われました。

昭和基地と艦の間をヘリコプターで空輸しながら、11名他がまず観測船に帰船。

しかし、帰船作業中にも天候はどんどん悪化していき、帰船を支援してくれていたアメリカ海軍氷艦自体の氷海脱出も危うくなる状況に。

加えて、空輸自体も、残り1回が限界となった時、昭和基地に残っていた人員全員と、動物全頭がヘリに乗り込むと、荷重超過で離陸できなくなることが判明。

密群氷が迫り、再度漂流してしまう危険性が高まり、時間にも差し迫られた中で、不時着用の燃料と食料を降ろすも、結果として、15頭のカラフト犬は救出することが出来ず、止む無く南極に置き去りにされました。

が、翌1959(昭和34)年1月14日、南極の昭和基地近辺を飛んでいた偵察ヘリコプターが、カラフト犬2頭の生存を確認。

南極から打電されたこのニュースは、世界を愛と希望と勇気と感動で包みこみました。

打電を受け、即座に救出へ向かい、カラフト犬2頭の保護に成功。

ジロは南極で亡くなってしまうも、タロは健康状態を戻しつつ、約5年後に日本へ生還し、北海道で余生を過ごしています。

この話を元に制作された映画「南極物語」は、当時大きな反響を呼ぶとともに、美談だけに留めず、様々な側面から南極観測への疑問や問題点を考える契機になりました。

そして、この日は、「タロとジロの日」「愛と希望と勇気の日」、それぞれの名で記念日に制定されています。


【マンリーデー】

2月14日のバレンタイン・デーは、一般的に、女性から男性に愛の告白をする日とされていることに先んじて、バレンタイン・デーの1ヶ月前の1月14日に、想いを寄せる女性に男性から愛の告白をして欲しいとの思いから、各種イベントの企画や運営を行っているJ.AIDING&Co.が、記念日に制定しています。

manly(マンリー)=男らしさ、雄々しい、男性的な、を意味する言葉。


(以上、ネット検索より)

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