1月31日は、晦日正月&日本で初めて五つ子が誕生&文學界が創刊&愛妻の日/愛妻感謝の日&生命保険の日
【晦日正月】
1月31日は、晦日正月(みそかしょうがつ)、晦日節(みそかぜち)とも呼ばれており、以前は、1月31日を、正月の終わりの日として祝っていた風習がありました。
地域によっては、正月や二十日正月に年始の挨拶ができなかった、普段お世話になっている方の家を訪ねる日とされていたり、お蕎麦を食べて家の中で静かに祝うほか、様々な過ごし方や慣習が、その土地その土地に残っています。
【日本で初めて五つ子が誕生】
1976(昭和51)年1月31日、鹿児島県鹿児島市立病院で、日本初の五つ子が誕生しました。
当時、NHK政治部記者だった山下頼充(のりみつ)氏と、妻・紀子さん夫妻が授かった子どもたちで、男:2、女:3の5卵生の赤ちゃんでした。
五つ子は、不妊治療で使用される排卵誘発剤によるものの影響が強いとされていて、山下夫妻の赤ちゃんたちは、生誕時の体重こそ普通児の半分程度でしたが、元気で、特に異常は見られませんでした。
五つ子誕生のニュースは全国的にも取り上げられ、新聞に五つ子全員の体重が連日掲載されたこともあり、祝福の声とともに、その成長過程を一喜一憂で温かく見守りました。
《余談》
多胎児に関しては、
九つ子:オーストラリア
八つ子:メキシコ
七つ子:スウェーデン、ベルギー、アメリカ
上記の報告が上がっています。
そして、この日は、五つ子誕生の日として、記念日に制定されています。
【文學界が創刊】
1893(明治26)年1月31日、作家や小説家として活躍していた、島崎藤村、星野天知(てんち)らが中心となって、月刊文芸雑誌「文學界」を創刊しました。
後に、明治期ロマン主義を一冊に詰め込んだような作者たちと評される同誌には、上記2名の他にも、
田山花袋(かたい):「蒲団」ほか
柳田國男:「遠野物語」ほか
樋口一葉:「たけくらべ」ほか
北村透谷(とうこく):「蓬莱曲」ほか
戸川秋骨(しゅうこつ)「エマスン論文集」ほか
平田禿木(とくぼく):「英文学散策」ほか
馬場孤蝶(こちょう):「明治の東京」ほか
上田敏(びん):「海潮音」ほか
と、明治後期を代表する多くの作家たちが、寄稿や執筆を行っていました。
※上記作品は、「文學界」掲載以外のものも含まれます。
作者の多くが、当時25歳以下の若者で構成されていて、(キリスト教)プロテスタントの洗礼を、或いは影響を受けていたこともあって、西欧文化への思い入れを感じさせる内容が多かったのも、同誌の特徴のひとつです。
多くの話題を集めた『文學界』の創刊号は、当時、異例中の異例の多さとされた、2,500部が瞬く間に売り切れ、さらなる話題と注目を集めました。
【愛妻の日/愛妻感謝の日】
1月の「1」を、アルファベットの「Iアイ」に見立て、あい(I)さい(31)の語呂合わせにちなんで、日本愛妻家協会が1月31日に記念日を制定しています。
夫から妻へ感謝や愛情を普段よりもしっかり伝え、妻という最も身近な他人を大切にしていこう との呼びかけとともに、その第一歩として、毎年1月31日の帰宅時には、夫が花を買って、妻に渡そうとする取り組みが提案されています。
また、上記とほぼ同じ理由から、愛妻感謝ひろめ隊が「愛妻感謝の日」として、別の記念日を制定しています。
【生命保険の日】
1882(明治15)年1月31日に、生命保険初の受取者が出たことにちなんで、生命保険トップセールスマンの集まりであるMDRT日本会が、記念日に制定しております。
受取者は、心臓病で急死された神奈川県警の部長で、支払われた保険金は、当時の金額で1,000円(現代換算約4,000万円相当)でした。
当人が払った保険料は30円(約12万円相当)だったため、保険会社は大損だったものの、新聞がこのことを大きく報じたことで、生命保険の存在が広く知られるきっかけともなり、以後、加入者が飛躍的に増えた契機とされています。
(以上、ネット検索より)