1月27日は、国旗制定記念日&ハワイ移民出発の日&ホロコースト犠牲者を想起する国際デー&鳥羽・伏見の戦いが開戦&新聞求婚広告が始まる
【国旗制定記念日】
明治3年1月27日(新暦1870年2月27日)、太政官布告第57号の商船規則にて、日本国旗のデザインや規格が定められたことにちなんで、国旗協会が記念日に制定しています。
商船規則が出来るまでは、船ごとに様々な旗が自由に掲げられていて、どの船が日本の船か認識しづらい状況でした。
が、「商船規則」が出されたことで、以後統一されました。
国旗のデザイン元は、江戸時代に徳川幕府が「日本惚船印」として定めていた、白地に日の丸デザインを踏襲にしたもので、当時は、比率=縦:7、横:10、日の丸の位置:旗の中心から旗ざお側に横の長さの100分の1ずれた位置率と、されていました。
その後、1999(平成11)年8月13日に、公布・施行された「国旗及び国歌に関する法律」にて、
[日本国旗]
比率=縦:2、横:3、日の丸の位置:旗の中央、日の丸の直径:縦の長さの5分の3、色:白と紅色と、より詳細に定められました。
併せて、後述の同法では、日本の国旗:日の丸、日本の国歌:君が代が、正式に法制化されています。
【ハワイ移民出発の日】
1885(明治18)年1月27日、「日布移民条約」により、ハワイへの移民第一号の船が、横浜港(神奈川県)を出航したことにちなんで、記念日が制定されています。
漢字表記=ハワイ:布哇
急増するサトウキビ畑や、製糖工場で働く労働者を確保するため、1830年頃より、世界各国からハワイへの移民が勧められていて、地理的に近く、コストも安く抑えられるアジアからの移民が好まれる傾向にありました。
特に、日本、中国、フィリピンからは、多くの人がハワイへ移り住みました。
政府間条約によって、ハワイへ移民した日本人は「官約移民」とも称され、600人の公募に対し、28,000人以上の応募が殺到する人気ぶりでした。
しかし、ハワイ現地での実際の労働状況は、1日:10時間、休日:週一回、給与:月10ドル(現代換算:約3万円弱)と、過酷極まりないものでした。
【ホロコースト犠牲者を想起する国際デー】
2005(平成17)年に開かれた、第60回国連総会本会議にて、国際デーとして記念日が制定されています。
国際表記:International Holocaust Remembrance Day
日付は、1945(昭和20)年1月27日に、当時のソ連軍によって、アウシュビッツ強制収容所(ポーランド)が解放されたことから設けられています。
第二次世界大戦中のアウシュビッツ強制収容所で起きたホロコーストという悲劇を忘れず、繰り返さないと共に、特定の民族や宗教への差別・攻撃を止めさせることが目的とされています。
《ホロコースト》
第二次世界大戦中に、ナチス・ドイツが、ユダヤ人に対して断行した拷問や大量虐殺のこと。
元々は、神にお供えをするための犠牲という意味合いを持つギリシア語でしたが、転じて、大虐殺、大破壊、全滅を指す言葉として使われています。
【鳥羽・伏見の戦いが開戦】
1868年1月27日(旧暦:慶応4年1月3日)、現:京都府の南区=上鳥羽、伏見区=下鳥羽・伏見、八幡市=橋本辺り一帯を中心に、新政府軍vs.奥羽列藩同盟軍が激突した「鳥羽・伏見の戦い」が開戦しました。
江戸幕府・第15代将軍徳川慶喜が行った大政奉還によって、空席となった覇権を巡る思惑は、それぞれの立場で異なり、以後の日本を展望すべく2分された、新政府軍:薩摩藩・長州藩・ほか、奥羽列藩同盟軍:旧幕府勢力の戦いは、その後、京都以北の各地で展開されていきました。
日本の覇権を巡る内戦の数々は、その後に総称として「戊辰戦争」と呼ばれていることから、鳥羽・伏見の戦いは、「戊辰戦争」の初戦の戦いと目されています。
【新聞求婚広告が始まる】
1883(明治16)年1月27日、新聞に求婚広告が初めて掲載されました。
三重県で刊行されていた、伊勢新聞、三重日報の両紙面に、中尾勝三郎氏が、
[縁談広告]
拙者義某妻離別し虎独身者にて家事不行届甚だ困却致し間今般更妻娶り度有志の諸君い貧富を不論 照会ありたり 但し年齢十七年以上廿五年以下の者に限る
という内容を掲載。
《意訳》
離婚してから後、家事や身の回りのことに何かと困ってるから、縁談で妻になってくれる方を募集します。
貧乏でもお金持ちでも構いません。
気になったら連絡ください。
ただ、年齢は17~25歳くらいまででお願いします。
※伊勢新聞では「中尾藤三郎」と表記
中尾氏当人の年齢や詳細は、掲載が不明ながら、広告を見た近くに住む19歳の女性が応募し、後日結婚に至っています。
当時は、まだ新聞自体が刊行され始めた頃でもあり、求婚広告、人探し広告、物々交換ほか、割りとユニークな広告が多数掲載され、個人情報的概念もなく、それが許される時代だったとされています。
そして、この日は、「求婚の日」として、記念日に制定されています。
(以上、ネット検索より)