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11月11日は、恋人たちの日&西陣の日&サムライの日&公共建築の日&ミュージカル「キャッツ」が日本初上演&第一次世界大戦停戦記念日&そろばんvs電算機の勝負

【恋人たちの日】

静岡県伊豆市には恋人の聖地のひとつとされている「恋人岬」があり、また、11月11日を「1111」とした際に、脚が4本あり、カップルが並んで立っているように見えることにちなんで、同市が記念日に制定しています。

恋人岬に設置されている愛の鐘を、恋人の名前を口にしながら3回鳴らすと、恋が長続きするのだとか。

また、恋人岬遊歩道の入り口にある恋人岬事務局では、「恋人宣言証明書」の発行も行われています。


【西陣の日】

(みやたけ工房さんより)

西陣織の名称の由来として、応仁の乱の戦火を逃れて、全国各地に散らばっていた織手たちが京都に戻った際、西軍の本陣が位置していた辺りに住み付いたことから、「西陣織」と呼ばれるようになったと言われていて、その応仁の乱が、文明9年11月11日に治まったとされていることから、京都府の西陣織関係の13団体が、旧暦の日付をとって、11月11日(新暦:1477年12月16日)に記念日を制定しています。

《西陣織の特徴》
京都の先染め織物の総称で、
綴(つづれ)織り:様々な種類や模様の糸を使い、爪掻(つめがき)を用いて織る伝統技法
錦(金錦)織り:金や銀の糸を使って織ること
繻子(朱子:しゅす)織り:タテ・ヨコ網目状に織る技法
緞子(どんす):繻子織地に繻子織の裏組織で模様を織り出した技法
絣(かすり):糸を特別な方法で染め、その染糸を使って模様を作りながら織る方法
紬(つむぎ):紬糸で織られた絹織物
他、多彩な物品や技法が用いられていて、高級絹織物の代表格とされています。

国の伝統工芸品にも指定されていて、海外からも高い評価を得ている西陣織は、日本の伝統技法で作られた一種の芸術作品とも言われています。


【サムライの日】

「SAMURAI」

「11」の漢数字「十」と「一」を組み合わせると、士(サムライ)になることと、運営している男性きもの専門店の名称が「SAMURAI」なことにちなんで、同店舗を運営している日本和装ホールディングスが、11月11日に記念日を制定しています。

主に、着物を着る機会の減った日本男子に向けて、着物の格好良さを再認識してもらい、日本が誇るべき伝統文化を継承していくことが提唱されています。


【公共建築の日】

建築の基本的構造を象徴する柱を「1」に見立て、支柱が4隅に、それぞれ計4本あることと、日本の政(まつりごと)が執り行われる国会議事堂の完成年月が、1936(昭和11)年11月だったことにちなんで、記念日が制定されています。

公共建築=市役所、各庁舎、警察署、消防署、保健所、公民館、図書館、駅、バスターミナルを含む、社会一般の人々にかかわる事業を行なうための建物のこと。


【ミュージカル「キャッツ」が日本初上演】

1983(昭和58)年11月11日、当時新宿(東京都)にあったキャッツ・シアターにて、劇団四季によるミュージカル「CATS(キャッツ)」が、日本で初めて公演されました。

「キャッツ」は、T・S・エリオット氏による詩集「キャッツ〜 ポッサムおじさんの猫とつき合う方法(英題:The Old Possum’s Book of Practical Cats)」が元であるミュージカルで、世界で最も成功したミュージカル作品のひとつに数えられています。

日本国内でも大ヒットを記録していて、国内ミュージカル上演回数としては、最多記録を更新中で、本場ブロードウェイの上演記録7,485回を抜く、超ロングラン公演作品です。

2023(令和5)年5月の時点で、11,111回。

そして、この日は、ミュージカル「キャッツ」の日として、記念日のひとつに制定されています。


【第一次世界大戦停戦記念日】

1918(大正7)年11月11日に、ドイツとアメリカの間で停戦協定が結ばれ、約4年続いた第一次世界大戦が終結したことにちなんで、国際デーとして記念日が設けられています。

国際表記:Armistice Day

主戦場であったヨーロッパの各国では、11月11日は祝日です。

また、世界大戦の終結日だったことから、当初は世界平和デーとして設けられていて、
在郷軍人デー:アメリカ:式典に軍帽を被り列席
ポピー・デー:イギリス:主に教会で礼拝
など、各地域それぞれの名称や方法で、世界的な大戦争を再び起こさないようにすることが念頭に置かれ、式典が執り行われていました。

しかし、第二次世界大戦が起きてからは、「第一次世界大戦休戦記念日」として、名称が統一、改称されました。


【そろばんvs電算機の勝負】

1946(昭和21)年11月11日に、日比谷(東京都)で、そろばん電気計算機の日米対抗試合が開催されました。

そろばんvs電気計算機の対戦は、戦後の娯楽として人気があり、1945(昭和20)年から、個人戦や団体戦を交えて、定期的に行われていました。

日米対抗試合となった一戦は、そろばん=東京貯金支局勤務・松崎喜雄氏:日本代表、電気計算機=トーマス・グッド二等兵:アメリカGHQ代表による3本勝負で行われ、結果は、日本代表・松崎氏のそろばんが勝利しています。

《貯金支局》
現:日本郵政の元の組織で、戦時中の行政簡素化のため、通信院内に創設された局。

主に、郵便為替、郵便貯金、簡易生命保険、郵便年金といった業務を担っていました。


(以上、ネット検索より)

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