未来はとても柔らかいもの
ちょうど2年前の今日9月10日は中秋節だった。何してたっけ?とその日の日記を振り返って読み直してみる。リーディングについてメモした文章があったので、それをリライトしてみた。
今も当時と変わらぬ思いを持って人と星と向き合っている。相変わらず淡々と星を読み続ける日々。たくさんの情報に囲まれて暮らし、常に変化や成長、成功を求められる現代の暮らしの中で唯一の道しるべともいうべき天体の運行。それを自分なりに読み解き、翻訳し伝えている。こんな暮らしも、もうかれこれ16年ぐらい経つ。始めた当時はまだ冥王星が射手座にいたなんて・・・
自分にとってリーディングとは、外的な力を用いて、その人に変わることを強いるものではなく、星の導きとそのひと本来の生命力が交歓し合って自然に調整されていくプロセスに立ち会うことなんだと思う。即効性を謳う問題解決型のセラピーや誘導的なセラピーなどで一時的に改善方向に向かっていっても、それが不自然なものであったり、余計な圧がかかっていると結局元に戻ってしまうことがある。これは心でも身体でも同じだ。それを単なる失敗と捉えることはできないけれど、自分のリーディングでは、外から自己の改善を促され未来に誘導されていくのではなく、そのひと自身の内から生命力が自然と発動していくような働きかけを大切にしたい。
それはとても微細で静かで大人しい反応だから、一見すると何が起きているのかわからないけど、時が経つにつれてじんわりその人の生きる力が底上げされていくようなこと。仕事だけが人生じゃない、恋愛や結婚だけが幸せではない。暮らすこと、自分を生きること全体を包括していて、いろいろ問題は起こったとしても、快も不快も引っくるめて、それらを気持ち良く通過して自分の生きる糧に変えていく力を養ってくれるようなもの。
問題を敵視しないというか、そもそもそれは本当に問題なのか?というところまで遡って考えてみると、実はそれほど問題ではなかったりすることもたくさんある。失敗や敗北というものに対するイメージを改める。それは単なる通過点で、人生のあるプロセスのワンシーンでしかない。
自分が完璧であるということを思い出すところから始めてみるのは、とても重要な気がする。
未来はとても柔らかいもの。その未来の形を歪めないこと、そのひと本人の手で自分の未来の形を整えていけるようにすること。
星には未来を言い当てることなどできない。そこに「ある可能性」を見出しているのは、あくまでも読み手である人間なわけで、それも個々によって異なる解釈がある。そういう意味で未来には無限の可能性があるし、星を読む、読まれることの面白さもそこにあるのだと思う。