バランス
バランス。
微妙な差異でお互いの隙間を調整し合っているような家族もあれば、ウチのように真逆ともいえるような大きな違いでざっくりとお互いを補い合い、その凸凹を埋め合う家族もある。そういう意味でウチはそれぞれが全く似てなくて共通点がないからこそ、家族という歴史を一緒に作っていくという組み合わせだったんだなと一家の長である父が亡くなってからよりハッキリとわかるようになった。
あまりにも違いすぎるから素直に普通にわかり合えないことも多く、未だに謎の部分もあるけれど。そして、私がその謎を謎のまま許容できるくらいに成長した、そんな頃に父が逝ってしまった。
父が逝って初めて、私が独り者なのを案じてあれやこれやと縁談を持ってこようとしていた父の気持ちが理解できるようになった。「こういうことやったんやね~お父さん」私はひとりで大丈夫な人間だと思っていたけど、案外そうでもないのかもしれないな。というか、自分一人で何もかもをやり切って自己完結してしまう、時に他者を立ち入れなくしてしまうところや、いろんなことを突き詰めてしまう危うさを父は見抜いていたのだろう。
これらは私の良いところでもあるし、育った環境の中で身につけた部分でもあり、これはこれでいいんだけど、結局自分の枠を超えられないというか、人生を小さく息苦しくしてしまうことにもなっている。自分で考えて自分で行動して形にする、その繰り返しは楽しくもあるが、自分の想像の範囲内でまかなわれる予定調和の連なりでしかない。
もっと大きな輪の中に自分を投入していくこと。未知の他人ともういちどタッグを組んで残りの人生を生きることにチャレンジしてみるのも悪くない。さみしさや弱さから相手を求めるなんてどうかしてると粋がっていた若くて青臭い自分はいったん脇に置いておいて「長く生きているとそういう気持ちになることってあるよね~そりゃ、人間だもの当然だよ」と言い合えるような関係性が築けたら、人生の後半(もうとっくに始まっているんだが・・・)は太陽の熱でふかふかした土みたいに豊かで温かいものになるはずだ。
百箇日も過ぎたし、ぼちぼち動き出してみようかな。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?