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キルトの歴史とおばあちゃんのハギレ


寝室からほぼ出ることがなく、一日を過ごしているので、水彩にはまっていた時期には、いろいろな花を絶やさないようにしていました(花の絵を描くため)。

現在は、昼の間はリビングまで移動し(と、いっても壁に伝わり歩きして数歩ですが)、一日の大半はここで暮らしています。だから寝室に花を飾ることはやめて、おばあちゃんは自分のパッチワーク作品を飾っていました。


春の間、飾っていた作品『森の言葉』

正面から真っすぐ撮影していないので怒られるかもしれませんが。大きな作品はなかなか広げて正面から全体を撮影するのは難しいです。

毎年、色を決めてその色をテーマにした作品を作っていました。これは2010年の作品。
以下の解説はおばあちゃん本人ではなく、製作を横で見て、一緒にタイトルを考えたりしていたわたしが勝手にしているものです。

真ん中には森の精霊が宿っているような大きな樹をイメージしたサークルがあります。同心円状のキルティングが年輪をイメージさせます。
ランダムに縫い付けられた透明なボタンは、朝露や木漏れ日をイメージしたのでしょうか、期せずして森の精霊のオーブみたいにも感じます。

わざと1/4のサークル(扇形)の向きが変えられているので、森のサワサワとした生命のそよぎを感じます。それが、「森の言葉」。

パッチワークキルトのタペストリーは、設計して型紙を作り、それに合わせて布を切り(切り刻み)、各ピース(この作品なら1/4のサークルのある四角形)を作ります。
基本はすべて手縫いです。
その後、そのピースを並べていきます。各ピースを作る時にも、ピースをつなぎ合わせていく時にも、すべて、色合わせが重要になってきます。そして最終的にボーダー(縁)を付ける時にも、その色はかなり悩んだことでしょう。
みなさんだったら、どんな色にしますか?
同系色は難しいので、あえて薄い緑とか濃い緑。樹の幹の色や土をイメージする茶系、あえて白・・・・・。
ボーダーの色だけでもかなり雰囲気が変わります。


ところで、おばあちゃんの布を販売し始めて、「パッチワーク」って何?と聞かれましたので、少しお話をしていきたいと思います。


§1. ざっくり歴史 

何事もまずはその歴史から語るのがよいかと思いますが、実際のところ、パッチワークの歴史の最初はあまりわかっていないのです。1903年に発掘されたエジプト第一王朝時代のファラオの彫刻で、王はマントを着ていて、マントには菱型の模様があります。この模様が凹凸が大きく彫られていることと、その模様から、マントはキルティングであるとされています。彫刻は紀元前3400年頃のものなので、キルティングは6000千年も前から存在していたことになります。

現存する最古のキルトは1924年にモンゴルで発見されたものです。紀元前1~紀元後2世紀に製作されたと推測されています。キルトは墓の中から発見されました。墓の床に敷かれていたそうです。

キルト(quilt)の語源はラテン語のculcita(またはculcitra)で羊毛や羽毛が詰められた布団という意味です。2枚の布で羊毛などをはさみ、縫い合わせたものが最初です。

キルトの歴史をさかのぼると、国によってさまざまに発展しています。これがおばあちゃんがやっていた「パッチワークキルト」につながるのは、アメリカ開拓時代のものかと思います。

パッチワークというのは、古英語の「pacche(pactche)」 からきていると考えられています。パッチとは穴やほころびた部分を補強するために何か(布など)をあてることをいいます。
そこから小さなハギレをつなぎあわせてトップを作り、間にクッションとなる羊毛などをはさみ、裏布をつけて縫い合わせたものがパッチワークキルトと呼ばれるようになりました。


§2. キルティング・ビー

歴史について語っていてもあまり楽しくないと思いますので、ここでは、おばあちゃんがせっせと集めていたヴィンテージの布とキルティング・ビーについてお話します。

18世紀後半にアメリカがイギリスから独立し、アメリカ合衆国が生まれた頃から、少しづつ産業が発展してきました。産業が盛んになり、イギリスからの高価な布に頼らなくても、また、自宅の織機で織った布「ホームスパン」を使わなくても、アメリカでの紡織工場で様々な布が作られるようになって、布が豊富になり、キルティングが盛んになりました。

やがて、キルティング・ビーという女性の集まりが開かれるようになりました。ここでは、大作を数名で仕上げるということが行われていたと同時に、社交の場でもありました。

世界大恐慌以降、小さなハギレでも無駄にしないというパッチワークキルトの節約精神は多くの人に受け入れられていきました。19 世紀末にフィードサック(feedsack)で作るパッチワークが流行しました。フィードサックとは、アメリカで穀物・種・食べ物・飼料などをいれるのにつかわれていた袋のことです。日本だと無地の袋が主流ですが、 特に1930年代~50年代には華やかなプリントのものが出回り始めました。フィードサック人気に目を付けた企業が女性が気に入るような柄を穀物袋に取り入れたのです。この柄はとてもポップで、おばあちゃんもたくさん集めていました。

さて、キルティング・ビーの話の戻ります。19世紀に入り、キルティング・ビーはいろいろな場所で行われるようになり、女性たちはみな、スクラップバッグを持っていました。パッチワークをする人にとって、端切れは絵を描く人の絵具に等しく、いろいろなものが欲しいわけです。スクラップバッグには端切れがたくさん貯められていて、キルティング・ビーで出た端切れを分け合って持ち帰ったり、自分の端切れを交換したりしました。やがて、それぞれが考えたパッチワークのパターンなどもここから広まったとされています。

わたしが思うに、パッチワークが好きな人は布が好きな人なんですね。おばあちゃんがフォローしている、アメリカのYouTuberの女性は「ゴミ箱」に大量に貯めた端切れでクレージーキルトを作っていました。おばあちゃんは、その「ゴミ箱」が欲しいと言っていました。しかし、おばあちゃんも、その女性に負けないくらいの端切れを持っているはずなんですが。

おばあちゃんは「ウェディングキルト」も作っていました。白だけで作るキルトです。色合わせが楽しかったおばあちゃんには、あまり楽しい作品ではなかったようです。ウェディングキルトもキルティング・ビーから生まれました。


どうしても白だけで作れなかったおばあちゃんのウェディングキルト。
「これから、お嫁に行くわけではないので、これでいいの。」とのこと。


「嫁入りには13枚のキルトが必要」という風習が生まれ、若い娘たちはせっせと針仕事にいそしみました。「21歳までに仕上げられなければ、その男と結婚することはできないだろう」ということわざもあります。それで、娘たちは十代のうちに12枚のキルトを仕上げました。そして13枚目のキルトは白一色でハート型のデザインのあるキルト。これをキルティング・ビーで仕上げることで、婚約の報告にもなりました。この13枚目のキルトが、後のウェディングキルトなのです。



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