(小説)うちの社長の親子愛
私はとあるIT企業に勤めているエンジニア。今の会社の社長の直美さんとは大学の時からの友人で前の勤め先を世界的な大不況で追い出されたときに拾ってくれました。そんなうちの会社には社長室が2つあります。外部にもよく知られている来賓応接向けの部屋の他に社長さんが主に仕事している"秘密の"部屋があってそこにあるのは企業秘密に属する書類だけではなかったのです……
第1章 再会
うちの会社には来賓応接用と執務用の二つの社長室があります。今日も、社長の津田直美さんは朝の挨拶の後、社員たちが「秘密の部屋」と呼んでいる執務用の方の部屋に入って仕事をしています。彼女は大学のコンピ研仲間で、それがきっかけで知り合った親友です。私達二人は別々の会社に就職しました。彼女は就職した後27歳のときアメリカ短期交換留学時に知り合ったアンディさんと結婚して、そしてあまり間を置かずに娘のえみりさんを出産しました。そして娘がまだ小さかった30代前半で独立起業しました。私のほうはというとその時入った前職のとあるSIerを10年と少し前にリストラになった後ここに拾ってもらいました。ちなみに私は40年間独身です。彼女とはその間もオフ会とかで定期的に会っていて二人だけでお茶やスイーツしたりもしました。私も時間に余裕があったときはえみりさんをあやしたり一緒に遊んだりしました。その後のことはあまり自分から積極的に思い出したくはないのですが……
そんなある日、私は偶然その部屋に入る機会がありました。突然、田辺部長が目の前にやってきて、
「社長が明日出張するのでシアトルに行くんだけど、そのフライトが欠航になって出発が次の日になるっていう連絡をしたいのにいくらグループウエアに上げたりメールしたけど2時間たっても返事が来ないのよ。振替便やホテルの予約とか変更したんだけど承認の返事を急いでいるのに」
「ええ?なんで私が?」
「宮原さん、仕事終わったんでしょ?ちょっと社長室に行ってきて!社長の信頼の厚いあなたの出番でしょ?」
私がプライベートで仲が良い趣味仲間ということをなぜか知っている部長に無理やり書類を押し付けられて社長秘書の杉本さんと一緒に「秘密の部屋」の前まで連れて行かれました。社内では彼女と私の関係を変に知られるとやっかまれるから関係を匂わせることは一切していないはずだったのですが……なお、私は簿記が苦手なので秘書や事務員にはなりませんでした。
杉本さんが鍵を開けてドアを開けると彼女は机に突っ伏して寝ていました。ここ数日仕事が忙しかったようで表に出てくる回数は少なくなっていましたがやはりそうでしたね。そして私は彼女をなんとか起こしました。私は田辺部長からもらった書類を彼女に出しました。彼女は、
「ごめんごめん」
と言いながら大急ぎでメモ用紙にOKと書いて返事をしました。私はそれをスマホで撮って部長にメールしてグループウェアに上げました。私はホッとして部屋を後にしようとして横を見たら、大きなアクリルケースがあって、その中で制服風のブレザーを着ていすにじっと静かに座っている少女がいました。まだあどけなさが残っている彼女は少しうつむき気味にこちらを向いていました。
「もしかして3年前に交通事故で亡くなったえみりさん……」
「そうよ……わたしが仕事しているのをずっと見守ってもらっているのよ」
直美さんは今にも泣き出しそうな顔で私にそう言い終わった後、
「えみり、今日も一緒にいてくれてありがとう。今日はめずらしくまなお姉さんが来てるわ」
とつぶやきながらケースの隅をそっとなでました。そして私はつらいことを思い出させてしまった直美さんに申し訳無く思いながら、あの時から時間が止まっているようなえみりさんに向かって手を振りました。
当時私はえみりさんの葬儀に参列しましたが、わたしが受け持っていたプロジェクトの納期が迫っていたので、それが終わった後は泣く泣く会社に戻って仕事をして、また彼女もあえて口にしなかったこともあってその後どうなったのかは今日まで知りませんでした。その時以来もうIT消防士生活はイヤ、二度と炎上プロジェクトに放り込まれたくないと強く思っているんですが、いつかまた巻き込まれて放り込まれるんですよね……でもえみりさんと再会できたのはひとつの奇跡だろうかなと思います。彼女は、
「すまないけど今日はちょっと忙しいので出張から帰ってきたら土産話と一緒にどこかの喫茶店でお話しするわ」
ということなので別の日に詳しい話を聞くことにしました。私は部屋を離れるときにケースの中のえみりさんに、
「えみちゃん、お久しぶりだね。いい子にしてた?またここに用事があったら来るからね」
と話しかけてから「秘密の部屋」を後にしました。
第2章 土産話、そして
その2週間後、私は退勤後の夕方、会社近くにある昭和臭でムンムンしている昔ながらの喫茶店で彼女と再会しました。
「愛香《まなか》さんこんにちはー」
入り口に彼女に呼び止められて中に入りました。
彼女から、
「あんたの好きそうなもの買ってきたわ」
と私に紙袋を渡されました。中を開けてみるとマーケットスパイスの紅茶パックとスターバックス1号店タンブラー、そしてスペースニードルのマグネットが入っていました。わたしは、ボリュームたっぷりのお土産を目にして彼女に笑顔で言いました。
「ありがとう!このマグネットかわいい!」
「こちらこそ。今回の件ではあんたに甘えた結果になって相当迷惑をかけたのでそのお礼にね」
そして彼女はメロンフロート、私はアイスレモンティーを注文しました。彼女はシアトルでの思い出話を語りました。話の内容が成田空港についた頃、私は
「だいぶたったけど娘さんの話をもう少しお願いします」
と、切り出しました。彼女は語り始めました。
「重くなる話だけどいい?」
彼女は私にきくと、
「もちろんいいよ、覚悟はできているしいつかは知らなければいけないから」
と言いました。彼女は話を続けました。
「えみりは母と一緒に横断歩道を渡っていたのですがそのときに信号無視の車が突っ込んできたわ。その時は会社を当時最もマネージメントが得意だった部下に即任せて病院に急いだわ。母はなんとか助かったのですが、えみりはその時首の骨が折れていてもう……」
彼女の目には涙があふれていました。
一呼吸した後彼女は話を続けました。
「そのときはアンディがアメリカに里帰りしていて葬式自体一ヶ月待ってもらったのよ」
「当日、彼もわたしもチャペルではさんざん涙を流して涙が枯れたわ」
「その時はなんでそんなに遅かったんだろうと思っていたけどそういうことだったんですね……」
「式場の担当エンバーマーさんに最終的には海外に連れていくみたいだから保存液を薄めないで原液のまま使うので肌の感じがゴムのような作り物っぽくなるけど、と言われたけどそれは覚悟していたわ。そして数日後どうしてもえみりと別れたくないと思って職場の執務室にずっと一緒にいるつもりでもう一回保存液入れてと言ったら、彼女は建前上何日と公称しているけどお嬢さんの場合は原液使っているので10年くらいだったら大丈夫ですよと言われたわ。式が終わって、えみりを式の間寝かせて入れていた箱から出した後車に乗せて、あの部屋に連れて行って制服みたいなブレザーを着せた後、『えみり、そろそろ起きる時間よ』と言いながら座らせて目を開けて元々の目の色と同じエメラルド色のコンタクトレンズを入れたわ。その後アンディを呼んで何年かぶりの家族写真を撮ったわ。なんでブレザーを着せたかというのは中学校に行きたくても行けなかったからね。あと、いすの横に紙袋が置いてあるけどそこにえみりが好きな漫画やぬいぐるみを入れてあるわ」
「どうやって揺れたときでも動かないようにしているんですか?」
「ワイシャツの背中のところとかに機密情報保護のためうちで潰したハードディスクから取り出したネオジム磁石を縫い付けてあるわ。あと、靴底につけたり、磁石付きの指輪を作って手が動かないようにしたり。磁石はいくらでも手に入るから」
これを聞いてうちはさすがIT企業……と言いかけて言葉を飲み込みました。話は続きます。
「それでどうしてえみりさんを仕事場にいさせるんですか?」
「その頃は家に帰れない日が多かったのよ。ひどいときはあの部屋にベッドを持ち込んでいたわ。アンディも帰りが遅くて家には誰もいない時間のほうが多かったわ。最近優秀な部下もいい感じに育ってきて少しはマシになって落ち着いてきたわ。技術担当もマネージメント担当も。それでもまだ重要なプロジェクトを抱えて帰れない日があるわ。そしていつか上場するか事業譲渡できてわたしがもう少し長く家にいれるようになったら連れて帰るつもりよ」
「そしてえみりの『養育費』と『留学費用』をわたしが使うのとは別の口座でS&P500インデックスファンドを積み立てて貯めているわ。うちは無借金経営だけど万が一に備えて」
「その『養育費』とか『留学費用』ってどういう意味ですか?」
「『養育費』というのは定期的にエンバーマーさんに状態を見てもらう費用で、『留学費用』というのはわたしにもしものことがあったり年を取って福祉施設に入って一緒にいられなくなったときのためにアンディの実家近くに用意したファミリー・マゾリアムまで連れて行ってそこに入れる費用のことよ。わたしは普段えみりについて言うときはそんな感じで子育て世代に馴染みのある一般的な単語に置き換えて言うのよ。ああいう用語を直接口にするだけで涙が出てくるわ」
「で、その『ファミリー・マゾリアム』ってなんですか?」
「マゾリアムというのは、建物の中にコインロッカーのようなスペースが用意してあってそこに棺桶を入れるお墓の一種で、普通は巨大でそのスペースがたくさんあるマンションのようなタイプが主流だけどファミリー・マゾリアムというのは個人や家族単位の小規模なもので言うならば一戸建て」
「なるほど。結構なプライベートでセンシティブな話をしてくれてありがとう」
「わたしも愛香さんにはあれからずっといつか話さなければいけないと思っていて、ちょうどよかったわ」
私は、店を出て彼女と分かれて帰宅するため近くの地下鉄の駅から電車に乗りました。手元のスマホで乗換案内を見ると自宅最寄り駅までのそれは残りあと2本でした。
第3章 そして、妹ができました
それから2年後、直美さんは、娘、のえるちゃんを産みました。その後私は彼女に会う用事があって通称「秘密の部屋」に入りました。机の横にある不活性ガスで満たされたアクリルケースの中にいるえみりさんは表情を変えずまばたきもしないで、仕事の合間に母親として幼い娘をあやしている彼女をじっと見守っていました。お姉ちゃんになって年の離れた妹に対してなにか言いたいこととか思うところとかはあるのでしょうか。私は、
「えみちゃん、妹ちゃんできてお姉ちゃんになったけどどう思う?どんなことしてあげたい?抱いてみたいと思ったことある?」
と聞いてみましたがもちろん答えてくれませんでした。
更に月日が経って社内に「社長は秘密の部屋で亡くなった娘と一緒に仕事をしている」といううわさが少しづつ広まるようになって部屋の入口に花やお菓子といったものがポツポツ置かれるようになっていきました。そしてえみりさんの似顔絵が社内マスコットになったりしました。そして彼女の23歳の誕生日には名誉社員就任式をやって入社辞令を発行したそうで、その後はアクリルケースの横の壁に額装されて掲げられていました。その頃から「社長令嬢の部屋」とも呼ばれるようになりました。直美さんはごくたまにこれを知った社員に
「お言葉ですが、ずっと成長しないこのままの姿を見て悲しくならないんですか?」
と、聞かれることがあるそうですが、
「わたしにとってえみりが大きくならないことはちっとも悲しくなんかないわ。かわいいわたしの娘を写真だけでしか見ることができないほうが実在の人物じゃなくなったみたいでよっぽど悲しいわ。えみりはこの場所にいてくれることが大事だわ。いや、この場所にいてくれないと困るわ。わたし達はずっと一緒だから。それにこれからの世界も見てほしいわ」
と言ったことがあったそうです。そのときは直美さんの血と汗と涙の結晶が上場企業として独り立ちするまでもう一歩というところだったのでそれを娘にどうしても見てほしかったという意味もあったのでしょう。病気や突然の事故で亡くした我が子と一緒に暮らしているというような話もたまに聞くようになっても違和感を感じる人はそれなりにいるみたいです。
のえるちゃんが10歳のときに株式上場の日がやってきてテレビニュースに証券取引所で鐘を鳴らす直美さんの姿が流れました。彼女はIPOで6割位の株を手放してうちの会社はオーナー企業ではなくなりました。私はだいぶ前にボーナスとしてストックオプションをもらっていたのでささやかですが上場の恩恵はありました。直美さんはのえるちゃんのことも考えてテレワークメインで活動することにしました。本社の社長室を統合して「秘密の部屋」を閉じて、彼女は予告通りえみりさんを家に連れて帰ることにしました。それでささやかなお別れ会を開きました。そのときは少なくない社員が参加して彼女との別れを惜しみました。最後に学校帰りに立ち寄ったのえるちゃんとツーショットを撮っているときはまるで双子のようでした。
私はその後、直美さんの家に行きました。家の中にあのときの「秘密の部屋」が狭くなりましたがほぼそのまま再現されていて今でも10代前半の姿のままで名誉社員となったえみりさんに見守られながら会社の仕事やのえるちゃんの宿題のチェックなどをしていました。直美さんは、
「このアクリルケースはまず開けることはないけど、もし事情があって開けることになったらえみりにリクルートスーツを着せたいわ。本当はもう25歳だから」
と言っていました。