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(小説)Youは出張しに日本に行ってもお姉ちゃんのことで頭がいっぱい!(改稿)

 北米のとある街に住んでIT企業でプログラマーを勤めているシャーリー。彼女は日本で開かれる展示会「コンピューティング・アンド・インフォメーション・テクノロジー・エキスポ」に勤め先の提携先が出展することになってそこに販売代行してもらっている商品の紹介と海外顧客との問い合わせや商談対応として派遣されることになった。そして会場のブースでは設営準備、来場客の応対、回って視察、そして撤収。そんな出張中でも彼女の姉や親しい同僚のことは頭から消えなくて絵葉書を書いたりお土産を買ったりしました。展示会が終わった後は本格的に観光や買い物に熱を入れますが……



 今日はお姉ちゃんと一緒に夏休みの旅行に行く日です。市街地の西側にある家から車で北東の空港に向かうには少し遠かったので二人でキャリーバッグを持って家からバスを乗り継いで向かいました。空港のカウンターに着いて航空会社の地上スタッフに持ってきたキャリーバッグを預けてチェックインしました。免税店がいくつか並んでいる一角を横に見ながらボーディングブリッジに向かいました。指定された便の掲示があるベンチの前でお姉ちゃんと一緒にお菓子を食べてなにか他愛のないことをしゃべりながら搭乗開始を待ちました。搭乗開始時間が来てビジネスクラスの客の案内があって、その後しばらくたって、わたし達が呼ばれたので搭乗券を出して機内に入りました。デイバッグを座席の上の棚に入れて、二人で並んで座りました。もうすぐ出発です。

 目覚ましの音につられてガバッと起きました。朝の日差しがまぶしいです。ああ、なんて幸せな夢だったんでしょう。わたしは、昨日のうちにプリントして机の上に置いてあった航空券代わりの予約確認済証を見て出発時刻を確認しました。
「十五時出発か……十二時半には空港についていないと」
私はつぶやきながらキャリーバッグの中身を確認した後、ほとんど空に近い冷蔵庫の残り物を集めて朝食を済ませました。
「それじゃ行ってくるね」
今日もずっとすやすやと眠っているお姉ちゃんにあいさつをして家を後にしました。その時ふっと思い出す、昨日の夢の中に出てきた、たぶん想像上の大人になったお姉ちゃんと比べてしまって涙が出てきました。ただ、今回の旅は夢で見た純粋な観光旅行ヴァケーション・トリップではなく勤め先から旅費が出ている出張です。わたしは昼前に家を出て、バスを乗り継いで一時間くらいで空港に着きました。これから乗るWS八〇便の予約確認済証を航空会社のカウンターの係員に見せて荷物を預けた後、ボーディングブリッジ前のベンチでコーヒーを飲みながらしばらく待ちました。

 話は出張前最後の出勤日、一昨日の金曜日に戻りますが、その日任されていた比較的軽いコーディング作業を済ませ、これから行く展示会「コンピューティング・アンド・インフォメーション・テクノロジー・エキスポ」の概要と出展者案内が書かれたPDFファイルを見返した後、オフィスでささやかな送別会をしました。昼間だったのでアルコールはありませんが、ケーキを頂きました。遠い日本での展示会参加がんばってね、いい旅になることを祈っているよと同僚に言われながらコーヒーを飲みました。

 エコノミークラスの乗客の呼び出しが来たので、わたしは搭乗列に並んで、係員にチェックインのときにもらった搭乗券を出して機内に入りました。わたしが席に座るとしばらくの間ざわついていましたが、やがて静かになったところで離陸しました。乗務員による非常時の酸素吸引器や救命胴衣の付け方の説明がありました。それが終わって落ち着いたところで、わたしはスマホに入れたロンリープラネットの日本語会話本の電子版を開いて日常会話の復習をしました。そのほかの時間は機内食を食べたり、乗務員からいただいたコーヒーやコーラを飲んだり、そして大半の時間は寝ていました。

 わたしが乗っている飛行機は離陸から十時間ほどたってようやく目的地の成田空港に着陸しました。機体が完全に止まった後乗務員に誘導されて飛行機から出て長い通路を歩いて入国審査を済ませた後、カルーセルで荷物を回収しました。そこから出てすぐのところにある両替機にとりあえず薄いプラスチックでできていて透けて見えるところがある二十ドル札五枚を最低限必要な額として入れたら一万円くらい出てきたのでとりあえずの交通費とクレジットカードが使えないところでの食事代はなんとかなりそうです。そしてこのフロアには売店はなく、案内板を見たら出発ロビーのある四階にあることがわかったのでいったんそこに登ってそこにある売店で絵葉書と切手を買ってから、ターミナルの地下にある空港駅の案内所に向かいました。そこで、わたしは係員に地元のダウンタウンから一キロ半離れたところにある旅行会社のカウンターで買っておいたジャパン・レール・パスの引換券を出して、
「ワタシ、コレヲパスニ引換エタイデス。ソシテ、コレカラ千葉駅ノ近クノホテルニ行キタイノデスガ」
と片言のたどたどしい日本語で聞きました。彼女は、
少しお待ち下さいプリーズ・ウェイト・ヒュー・ミニッツ
と、その引換券の発行元を見て、流暢な英語で返してきました。そして後ろに消えてしばらくすると戻ってきました。
これがパスになります。ヒア・イズ・ヨアパス七日間用でよろしいでしょうかイズ・ディス・コレクト・フォー・セヴン・デイズ?」
と、パスを出して聞いてきたので
これで結構ですショアー・ノー・プロブレム
と答えたら彼女はそれに続いて、
右側の改札から入ってホームに降りたらプリーズ・エンター・ア・ゲート・オン・ザ・ライト・アンド青と白の線のある電車に乗ってください」・テイク・ザ・トレイン・ザット・ハズ・ブルー・アンド・ホワイト・ライン
と、千葉駅への行き方を教えてくれました。そこで長距離の移動はしない展示会出展参加日のために、ウェルカムスイカというものを別に勧められて買ったので改札機に言われたとおりにタッチしてホームに向かいました。説明によるとこのカードは観光客向けで、地元の人ローコー・ピーポーが使う普通のものでは必要なカード代デポジットがいらないかわりに四週間で使えなくなって残高も消えるとのことでした。このようなカードは私の国の別の街で使ったことがあるので詳しいことを言われなくてもだいたいわかったのですが、わたし達の市の交通局トランジット・システム・オヴ・アワ・シティでは導入するという話は今のところ聞かれません。そしてホームに停まっていたまだ真新しい銀色に青と白の横線がある長い電車に乗りました。窓の外を見ると田園風景が広がっていました。ドアの上には液晶モニタがついていて次の駅の案内と広告が流れます。走行しているうちに、
「次の駅は千葉です。JO二十八番です」ネクスト・ステーション・イズ・チバ・ジェイオー・トウェンティーエイト
という自動アナウンスが聞こえたので降りる準備をしました。

 荷物を手にホームに出て、エスカレーターを上ると改札を出る手前のコンコースに土産物店や食料品店などのちょっとした店がいくつも立ち並んでいて目を丸くしました。まだ改札を出ていないのにわたしが飛行機に乗った空港並みの店の数でした。まだ東京の都心から遠く離れた郊外なのに。うちの街では駅の出入口に出店したところで採算が合うかどうかは厳しいかなという感じがしました。改札を出て右に進んでデッキ伝いに進み、スマホの地図で確認したホテルに向かって数分歩いてホテルに着き、チェックインを済ませて部屋に荷物を置きました。持ってきたノートパソコンでホテルの無線LANにつなぐと、勤務先と業務提携していて、ブースの出展者であるノゾミシステムズの出展担当・ナギサさんからメールが来ていました。
「シャーリー・オニール・ポプロースキー様へ もう成田空港を出てホテルに着いた頃でしょうか。『コンピューティング・アンド・インフォメーション・テクノロジー・エキスポ』の出展者証をお渡ししたいので明日火曜日、幕張メッセの入場口前のベンチで午前八時ごろにお会いできないでしょうか? もしご都合が悪いようであれば、またお知らせください。明日お目にかかれますこと楽しみにしております。ノゾミシステムズ広報部 稲沢渚」
という内容だったので、私はその場で、
稲沢渚様へディア・ナギサ・イワザワ メールをいただきまして、ありがとうございます。それで大丈夫ですので明日の午前八時におうかがいします」
と返信しました。

 少し落ち着いたところで駅前付近を散歩しました。ちょうど目の前にあった電器店をのぞきました。私の国では見なかった九階建てという巨大な専門店で家電製品のほかおもちゃの他ちょっとした化粧品も扱っていました。わたしは最初に携帯電話売り場で観光客向けSIMカードを買った後、それなりの規模があったパソコンコーナーを回って最新機種を触ってみたりしました。本命の買い物は同僚の間でも知らないものはいないという……そう、あの秋葉原でする予定です。レストラン街がビル内にあってそこで軽く食事を済ませ、近くの線路の高架下にあった小さなスーパーに立ち寄った後、午後九時くらいにホテルに戻りました。そのスーパーには今まで見たことがなかったものもたくさんあって、もっと余裕のあるときにじっくり買い物したいです。わたしは、長い距離を移動して日本に着いた当日で、時差ボケでなんとなく眠いということもあって早めに寝ました。今日撮った写真をSNSにアップロードしたり大事なお姉ちゃんに初めて踏み入れた土地から絵葉書を書きたかったけど、体力ゲージがもう残り少ないので明日以降にします。時間に余裕があったら必ず書くからね、お姉ちゃん。


 わたしは火曜日の朝、六時過ぎに起きて昨日買っておいたSIMを携帯電話にセットしてパッケージに同封されていた説明書を読みながらAPNの設定を進めて動作を確認しました。それが終わったらホテルから少し離れた高架下にあったミニスーパーで買ったパンとドリンクを口にしました。そしてそれが済んだら千葉駅から電車に乗りました。途中、蘇我という駅で乗り換えて七時四十分頃に海浜幕張駅に着き、掲示物に書いてあるとおりに「コンピューティング・アンド・インフォメーション・テクノロジー・エキスポ」会場の幕張メッセに向かいました。入口付近のベンチで札を持って待っていたナギサさんから出展者証をもらいそれを首にかけて一緒に中に入りました。

 会場内のノゾミシステムズブース前に着くと専門の業者がブースを手際よく組み立てていました。その中で会場に届いた配布物の入ったダンボールの封を開けて中身の検品をしました。それが終わったら商談用のテーブルで会社概要やソリューション製品を宣伝するパンフレットやチラシ、ノベルティーのボールペンを一セットにまとめて袋詰めしました。それが終わる頃にはブース設営も終わり、今度はソフトウエアソリューション商品紹介用の大型モニタとデモ用ノートパソコンのセッティングをしました。コンクリート床にあるふたの下にあるコンセントアウトレットにコードをつなぎ、会場内に用意された出展者用Wi-Fiが使えるように設定をしてデモ用IDのログインをして動作確認をしました。

 昼過ぎの午後三時頃に全作業が終わって、その後ナギサさんを含むノゾミシステムズの社員エンプロイー数人と会場を出た後一緒に歩いて海浜幕張駅前のレストランで会食をしました。そこでわたしの勤務先の状況を軽く話しました。うちはウェブサイトと画像管理アプリの制作、運営管理をしていて、ノゾミはおもに通販サイト・アプリの運営管理をしています。そしてお互いがそれぞれのアプリ、ソリューションといった商品を販売する海外ディストリビューターでもあります。わたしがなにか話すと英語がわからないノゾミの社員たちア・エンプロイー・フー・キャノット・ヒアード・イングリッシュのためにナギサさんに日本語に要点を訳してもらってその社員エンプロイーが日本語でなにか話したときは彼女に訳してもらいました。わたしは夕方にホテルに戻って明日以降三日間の会期のために早めに寝ました。

 次の日わたしは朝、出展者証を持ってホテルを出て会場のノゾミシステムズブース前に直接向かいました。ナギサさんと軽く打ち合わせた後、うちの勤務先が開発したシステムのデモ機の最終チェックをして訪問客にすぐに見てもらえる状態にしました。展示物は日本語版アプリということもあって、念のため字が読めないわたしのかわりに彼女にも目を通してもらいました。彼女からは「仕事というよりはお祭りのようなつもりでやってくださいね。雰囲気が暗いと誰も寄ってきませんから」と言われました。開場時間になるとノゾミシステムズの社員数人エンプロイーズが表に立って通路を通る人たちに声をかけてパンフレット入りの袋を渡したり、ブース訪問客の入場者証のバーコードを読み取ったり、名刺をもらったりしていました。どんな内容の声をかけているんですか?と横にいたナギサさんに聞いたところ、「商品の登録が面倒、売上管理でお困りですか?でも大丈夫。弊社の通販プラットフォームならそれが解消できます!」みたいなことを言っているそうです。そして説明役の社員エンプロイーが関心を持ってくれて中の展示物を見てもらったときに訪問客の分からなかったことを答えたりしました。そして彼たち、彼女たちの帰り際にステッカーやマルチ充電ケーブルなどといったノベルティを渡していました。その中には少量ですがわたしが持ち込んだうちの勤務先のロゴが入ったポーチやTシャツもありました。わたしは日本語がビジネスで通用するレベルで話せるわけでもなかったので表に立つというより主に外国からの来場客との商談や問い合わせを受けていました。

 木曜日の比較的余裕のあった時間帯、ナギサさんに「シャーリーさん、会場を回っておいで。きっとなにか面白いものが見つかるよ」と言われて会場を回ることにしました。同業のシステム開発会社のブースはもちろん、その他に日本の大手電機メーカーの最新技術展示、特にスマホやパソコンからインターネット経由で操作できるIoT家電もし実際に商品化されて買うとなったとき、家電というのは長い間、物によっては十年以上使うのでセキュリティ向上のための通信規格のアップデートとかをいつまでやってくれるだろうか?ということを考えたりもしました。具体的に言うと、例えば買った食品のバーコードを読み取って中身を管理してくれる冷蔵庫があったとして、商品コードデータを毎月一、二回受信して自動更新することが必要で果たしてそれを十年以上続けられるのかどうかという疑問が出てきます。そしてパソコンやスマホなどの情報機器をリサイクルする会社のブースでは、使用済み機器の回収と販売・リースに付いてのパンフレットをもらった後ハードディスク破砕装置の実演やスクラップ業者に引き渡される破砕くずの見本を見ました。VR体験コーナーではヘッドセットをかぶって椅子に座って車を運転したり、スマホアプリを使ってアニメキャラクターと一緒に写真に写ったりしてみたりしました。一人で回ったので興味があったり、わからないことについて片言の日本語で聞くのが精一杯で、あまり深い話をすることはできなかったのが残念なところです。

 わたしは二時間くらい回った後ブースに戻って、ナギサさんにもらってきた他社のノベルティを見せました。社名が入ったボールペン、ロゴ入りステッカー、WEBカメラカバー、紙おしぼり、マスクケース、クリアファイルあたりの定番アイテムから、スナック菓子、チョコレートバーサム・スナックスやグミキャンディ、ミネラルウォーターボトルド・ウォーター、レギュラーコーヒーパック、付せん紙、ステンレス製の保温ボトル、折りたたみ傘、簡易ドライバー、小さく圧縮されたタオル、スマホスタンド、USBメモリ、モバイルバッテリーといったものです。スナック菓子やチョコレートバーサム・スナックスに関してはパッケージに直接配った社名が印刷されたものがあることに驚きました。 

 その中にアルミの袋に入った小さな石けんのようなものがあって、使い方が分からなくて彼女に「これはなんですか?」と聞いてみたら「これはね、固形の入浴剤バス・ボム・タブレットでね、バスタブにお湯を張って投げ込むと泡がブクブク出るのよ。家にあったらやってみて。本当に気持ちがいいから」と言われました。

 最終日となった金曜日は比較的混んでいたので、わたしはブースに張り付いてナギサさんと一緒に受付にいたり、会期中にノゾミシステムズの本社から追加で届いたパンフレットをセットして袋詰めする作業などをしていました。 そんな感じで会期の三日間が無事終わりました。ブース自体の集客の方はそれなりに盛況で、訪問した入場者証のバーコードを読み取ったり、名刺をもらった回数もそれなりにありました。よその会社のブースでは名刺回収枚数のノルマクオータがあるらしく、呼び込み担当の間で枚数を競っているという話を聞きましたが、うちでは特にありませんでした。わたしも広報がまだまだ足りず、知名度も十分ではなくて決して多いとは言えないうちの製品の日本でのユーザーから直接使い勝手エクスペリエンスについて、それ言い換えると、ここが良かったと思ったところや、使いにくかったところ、こんな機能がほしいといったことを直接聞くことができたので帰ったらうちの同僚たちコワーカーズに話したいです。うちの商品のパンフレットも一緒に配布したのでもっと知られるようになってくれるとうれしいです。

 開催時間が終わるとともに撤収作業がすぐに始まり、ブースの解体作業と並行してデモ用ノートパソコンと配線コードを折りたたみコンテナに入れて、大型モニタをダンボールに入れて、説明パネルを大きめの袋に入れた後たばね、商談スペースの椅子とテーブルをまとめて、それらをそれぞれ台車に積んで駐車場に止めてあるノゾミシステムズの車まで運んで積みました。ノベルティは少し余ったのでうちが地元で展示したときのために提供してもらいました。

 そして最終日に参加したノゾミシステムズの社員たちエンプロイーズとわたしで海浜幕張駅前のビルの中にあるレストランで会食をしました。途中メールアドレスや名刺の交換をしたりして別れを惜しみました。

 ホテルに戻ったわたしはお姉ちゃんに向けて成田空港の売店で買っておいた富士山と新幹線が一緒に写った絵葉書にこの展示会の出来事と思い出をびっちりと書いて一緒に買った七十円の切手を貼りました。そしていったんホテルを出て、軽食を買うために立ち寄った近くのコンビニのレジに立てかけてあったポストに入れました。

 土曜日の朝、わたしは午前九時すぎと遅めに起きました。出張での仕事がすべて終わってほっとしました。それで、今日から数日間はめったに来ることができないと思う日本の都市を満喫したいです。ということで、この日は東京都内を回ることにしました。わたしはホテルの部屋でパンを食べた後、千葉駅から総武線の青と白の線のある電車に乗って東京駅まで行ってそこで乗り換えて上野駅で降りました。東京国立博物館に入って古くからの日本の工芸品を見て回りました。わたしが展示品の想像以上の美しさと精巧さに見とれているうちに出る頃には午後三時を回ってしまいました。最後に立ち寄った館内売店に「見返り美人ミク・ポストカード」というものがあったので、お姉ちゃんとうちの同僚ア・コワーカーのジャネットさんに書いて出すために買いました。わたしはこれを見たとき、何かリアルタイムな日本を感じて面白かったです。

 この後なんとなくアメ横という人が多く集まって混み合う商店街マーケット・ストリートをぶらぶらと歩きました。そこで海から遠く離れたところに住んでいて魚介類といえばサケやマスしか思い浮かばないわたしがいままで見たこともないような海産物を見たりしました。御徒町オカチマチ駅から山手線にほんの少しの距離ですが乗って秋葉原で降りました。駅の横に大きな漫画専門店コミックショップがあったので少しのぞいてみました。七階建てのビル全体に漫画、雑誌、アニメや声優コンサートの入ったビデオソフト、アニメ関連の主題歌、効果音が収録されたサウンドトラック、オーディオドラマといったものが収録されたCD、キャラクターグッズと言ったものが詰め込まれていました。でも、わたしは漢字が読めないので漫画や雑誌を買っても絵を見て内容を想像するだけしかできなくて終わりなのが残念でした。漫画の本場だけあって一冊の値段はうちの国で売られている英訳版の半分くらいでした。もしわたしが日本語がある程度読めたらきっと天国なのかなぁ、と思いました。でも、さんざん苦労して一回覚えても、わたしが住んでいる街は日本人が少なくて言葉を習ったり話したりする機会を見つけるのが大変で忘れてしまいそうです。街から百キロちょっと離れて山沿いの国際的な観光地に行くとそれなりの数の日本人がいるそうなのでそこのホテル内や土産物店ギフトショップでわざと日本語で話しかけてみるとかしないといけないのかもしれません。妄想めいた余談はそのくらいにして、話を戻しましょうね。わたしはそこでとあるアニメのサウンドトラックCDを数枚買った後、駅の近くから離れて人で混み合う裏通りの一角にあるとある中古パソコンを扱っている店に立ち寄りました。表通りにあるきれいに整備され一週間くらいの動作保証がついたものが並んでいる店ではなく、売っているもののほとんどは動作の保証はなくで自分で店頭にある電源ケーブルにつないで状態の診断や確認する必要のある、いわゆる「ジャンクショップ」です。そこでわたし自身が使うノートパソコン二台をを四万円くらいで買いました。わたしが探していたタッチパネルでもペンでも操作できる機種です。もちろん、一部のものを除いてハードディスクやSSDといったストレージは機密情報保護のために抜かれていることは知っていたので別の店で新品を探しました。後のことを考えて思い切って、一テラバイトのものにしようと思いました。調べてみたらこの機種は第八世代Core i7を積んでいてNVMe接続のM.2 SSDが使えることがわかったので店員に念のため機種名を告げて買うことにしました。わたしは店員に、
一テラバイトのNVMe接続ドゥ・ユー・ハヴ・ア・テラバイト・のM・2 SSDはありますかエヌヴイエムイー・ストレージズ?」
とレジカウンターの前に掲示されている価格表に指をさしながらたずねて出してもらいました。目の前の店員はなにか言った後、後ろに下がって、別の店員がディスクの箱を持って出てきました。
これでしょうかイズ・イット・ライト・フォーユー?」
と英語で返ってきました。きっと最初の店員はわたしの話っていることが分からなかったので代わってもらったのでしょう。それでわたしは、
二つお願いしますトゥー・オブ・イット・プリーズ
それとこのSSDはシンクパッドアンド・イズ・ディス・ディスク・サポーテッド・X三八〇ヨガに組み込んで使えますかフォー・シンクパッド・エックス・スリーエイティー・ヨガ?」
と、店員に伝えました。彼は、
もちろんさシュアー
と言ってくれました。わたしはクレジットカードを出して精算しました。二枚で一万六千円くらいだったので思ったより安かったです。うちの国で通販で買うと一枚百ドルを下ることはありません。そしてわたしは別の店で同僚たちコワーカーズへのお土産に二五六ギガバイトのマイクロSDカードを何枚か買いました。秋葉原ここだと一枚二千五百円くらいですがうちの国では四十ドルくらいで売られています。そして、アニメや漫画に関するものなら何でも扱う中古ショップを何軒か回ってわたしが大好きなゲーム、アニメ作品、漫画家やアニメーターの画集やそれに登場するキャラクターの描かれているアクリルスタンドやキーホルダー、トートバッグと言ったものを買いました。好きなゲームと言っても数タイトルあるので買った画集の冊数は十五冊くらいになりました。

 秋葉原でいろいろな買い物を済ませたわたしはホテルに戻って先程の展示会でとある企業からもらったノベルティのドライバーを使い、買ってきたノートパソコンの裏ぶたを開けてSSDを取り付けました。ふたを戻して電源ボタンを押してBIOSを開くとちゃんと認識していたので用意していたUSBメモリーを差してOSをインストールしました。一台はウィンドウズ一一、そしてもう一台はウブントゥ二二・〇四LTSを。その間に夕食とシャワーを済ませました。わたしは一通り動くことを確認したあと寝ました。

 日曜日の朝、わたしは朝七時ごろにホテルを出て、これも前からうわさに聞いていた渋谷のスクランブル交差点を見に行きました。実際に信号が変わるたびにものすごい数の人が通過するのを駅の連絡通路から見下ろして圧倒されて、更に実際に渡ってみました。普段ここを通勤、通学、レジャーで通りかかっている地元の人達は一体どんな事を考え思っているのでしょうか……千人千通りあるのでしょうか?

 その後新宿に行って東京都庁の展望台に登りました。地平線の果てをはるかに越えてビルや家がどこまでも続く大都会というものを感じました。私の街の人口は最近になって増えて国の中で五本の指に入る大都市の一角を占めるようになったと言っても百三十万人そこそこで、東京を含む日本の首都圏の人口と比べると三十倍もの差があるので無限に広がるように見えるのもその通りかなぁと思えてきます。

 そして池袋に移動しました。駅から東に向かって十分くらい歩いたところにある、通称「乙女ロード」と呼ばれている一角にある古本店に向かいました。そこで昨日ジャネットさんから来たメールで頼まれた同人誌のリストを見ながら二十冊ほど買いました。彼女の趣味の幅は広くて男女間のラブラブな話だけでなく男の子同士とか女の子同士の友情物でもなんでもハマって読んでいます。そしてこれも彼女から存在を聞いてなんとか朝に予約できて入れた近くのメイドカフェに行って軽くお茶を楽しみました。この落ち着ける雰囲気とかわいい制服、こんなふうな感じが良かったです。私は紅茶を頼んでしばらくしてから店員がやってきました。ティーポットにお湯を注ぐ彼女のしぐさを見て、思わずきゅんとなってしまいました。この黒いワンピースと白いエプロンの制服、一度ジャネットさんに着せてみたいですね……彼女だったら絶対似合うって。いつか彼女が実際にここに来たらどんな顔するかなぁ。

 わたしは池袋駅に戻って地下鉄に乗って横浜に向かいました。終点の元町・中華街駅で降りて食べ歩きをしました。元町商店街にいくつかあったパン店で菓子パンペストリーを買って歩道にあるベンチで食べたり、中華街では混み合う人の間を縫いながら、肉まんポーク・バン湯気がもうもうとたっているシュウマイスチームド・ミート・アンド・オニオン・ダンプリングスあつあつの焼き小籠包グリルド・ジューシー・ダンプリングスタピオカティーバブル・ティーを買い集めて、近くにある山下公園の中のベンチに座って海をぼーっと見ながら食べました。地元に帰ったらもう感じることはなさそうな潮風を浴びて。海の方をよく見るとガンダムという有名なアニメに出てくる巨大ロボットが見えました。わたしのスマホで望遠を効かせてなんとか撮れたのでSNSに上げました。ここから貨物鉄道を改造したという七百メートルくらいある長い歩道橋を十分くらい歩いて赤レンガ倉庫群に着きました。途中、かつて私の国の港と定期便で直接つながっていた旅客船ターミナルを横に見ながら。景観維持のために看板がなくて外からの見た目では想像がしにくいですが、中はおしゃれなショッピングセンターになっていました。私の国の東の大都市に似たようなところがあるそうなのでいつかは行ってみたいです。そこは国内と言ってもかなり遠く空路で四時間と少し、陸路で車を運転してまる二日、列車とバスを乗り継いでまる三日かかります。市役所内にある土産物店でかつてこの地を走っていた路面電車を描いたポストカードを買った後、桜木町駅から電車に乗って次に停まる巨大ターミナル・横浜駅で乗り換え千葉のホテルに戻りました。帰り道の途中の武蔵小杉という駅から見えるたくさんの超高層マンションハイライズ・コンドは壮観でした。ここ、都心から離れた郊外なのに高さ百メートル以上のタワマンハイライズ・コンドが十棟以上まとまって建っているんですよ。ここもまるで近未来SF感がありました。わたしはホテルに着いてから、お姉ちゃん、友人、そして同僚ア・コワーカーのために今日の分のポストカードを書きました。

 月曜日の朝になりました。展示会で受け取った資料と昨日買った画集や同人誌といった重い紙ものをホテルから少し離れたスーパーグロサリーでもらっておいたダンボールに詰め込みました。フロントで借りたガムテープで封をして近くの郵便局から昨日書いたポストカードと一緒に窓口に出してEMSで発送しました。送料は最近上がったばかりのようで一万三千円もかかってしまいました。

 わたしはホテルに戻り、全荷物をキャリーバッグにまとめた後十時過ぎにホテルを出て千葉駅から電車に乗りました。東京駅に着いた後ジャパン・レール・パスを新幹線のホームに入るところにある窓口に見せて
「ワタシ、京都ニ行キタイノデスガ」
と手元のスマホに入っているロンリープラネットの旅行会話集の内容をまねてなんとか口にしたようなレベルの日本語で尋ねると、「東京から京都ゆき、ひかり六四一号、十一時三十三分発」と英語で書かれた切符をもらいました。残念ながら、わたしの日本語力はそれが精一杯でした。わたしはそれを持って改札を通りホームに登って乗りました。途中、富士山が見えたら思わず空席越しに自撮りしてしまいました。列車の中ではホテルの近くのコンビニで買っておいたペットボトル入りの緑茶を飲んだりお菓子サム・スナックスを食べたりして過ごしていました。

 わたしは午後二時すぎに京都駅に着きました。駅前にあるビジネスホテルバジェット・ホテルのフロントにキャリーケースを預けた後、地元の人より世界中から来た観光客の方が多くを占めているような電車に乗って奈良に向かいました。三時二十分ごろに奈良駅に着くとそこからバスに乗って、降りた後にたくさんの鹿が歩き回っている広場を抜けて東大寺に着きました。巨大な仏像とそれを覆うように作られた更に大きくて堂々とした大仏殿にただ圧倒されるばかりでした。建った当時はきっと昨日見た武蔵小杉のタワマン群ハイライズド・コンドズ以上の迫力があったのでしょうね。そこを出た後再びバスに乗って奈良駅に戻って京都方面の各駅停車に乗りました。

 そして、夕方六時前に稲荷駅に着きました。わたしは駅を出るとすぐ目の前にある大きな鳥居を通り過ぎて山を登りました。ここも狭い通路に人が密集しているところですが、他では見ることのできない、連続して立っている数え切れないほど無数の鳥居と頂上からの絶景が素晴らしかったです。山を下りるときは上りとは別のところを通るのですがそこにも鳥居がびっちり立っていました。稲荷駅からは京都駅まで電車に乗ってホテルに向かって改めてチェックインをしました。

 火曜日の朝は六時に起きて、電車を乗り継いで清水五条駅に行って清水寺に向かいました。地下にある駅から外に出て昼間だったらかなり混むだろうという道を歩いて中に入りました。まだ早いので人は少なかったです。崖の上に立つ有名な本堂からの眺めは最高でした。わたしはバスを乗り継いで、今度は銀閣寺に行き丁寧にメンテナンスされた美しい庭園の眺めを楽しみました。特に石庭は壊れやすいので手間がかかっているのだろうなあと思いました。再びバスに乗って、金閣寺へ行きました。この時間になるとだいぶ混んできました。人が多くてなかなか落ち着いてみることはできませんが、池の向こうに映える金箔で覆われた輝く建物と緑色が映える庭園と青い空の組み合わせが美しかったです。

 私は再びバスに乗って嵐山に向かいました。午後三時すぎにバスを降りてトロッコの乗り場をのぞくとたまたま空いていたので思い切って乗ってみることにしました。列車が動くとともに気持ちいい風が入ってきて川の眺めと合わさって涼しく感じられました。終点に着いた後、馬堀駅まで歩き電車で嵐山に戻りました。人で込み合っていたのですが有名な竹林を見ました。その後観光客であふれている土産物店が並ぶ商店街をのぞいてから電車で京都駅に戻り、夕方五時ごろにホテルに着きました。わたしはホテルでお姉ちゃんや友人たちのために今日行ったところの絵葉書を何枚か書いて駅前にある郵便局から出しました。

 水曜日の朝七時半、ホテルをチェックアウトした後荷物を預かってもらって京都駅から電車で宇治に向かいました。駅を出たら商店街を抜けて平等院鳳凰堂に行きました。八時半の開門のときに中に入りました。木造にもかかわらず建てられてから千年以上たって今に残っていることに驚異を感じました。同時に付属のミュージアムも見て、中で展示されていた二百年くらい前の入場券を見て当時の観光事情はどんな感じだったのだろうかと想像してみたりしました。平等院を出た後は川の中洲を散策しました。橋を渡って観光案内所に立ち寄ってポストカードを買った後、途中にあるベンチでペットボトルの緑茶を飲みながら少し休みました、そして十一時頃に近くのレストランで昼食のカレーライスを食べました。駅に行くまでの間の商店街でお土産用に緑茶のティーバッグを十パックくらい買いました。

 そしてわたしは、宇治駅から電車に乗って、午後三時頃に東福寺に着き、通天橋を渡りました。楓の林をまたぐようにして作られた日本では数少ない屋根付き橋カバード・ブリッジで、橋の下はあたり一面の緑一色です。きっと十一月か十二月に来たら全部真っ赤に色づいているのでしょうか。

 夕方五時ごろホテルに戻って荷物を回収して新快速電車に乗って大阪駅で降りました。そしてわたしは地下鉄に乗り換えました。今晩一泊だけは京都を離れてなんばにあるカプセルホテルに泊まります。わたしは以前「ニューロマンサー」を読んでからというもの、興味を持って憧れていて一度でいいからこんなところに泊まってみたいと思っていました。今はもう数少ない古いタイプの入り口が透明のふたになっているプラスチック製のユニットを組んで構成されているタイプです。こんな感じのところはしばしば男性のみ泊まれますということがあって探すのが大変でした。実際に泊まってみた感想としては、とりあえず一晩寝るだけだったら十分で、洗面台で髪の手入れもできたので、値段が安かったらこれでもいいかな?と思いました。

 わたしは、チェックインを済ませた後、近くを散策しました。最初に川を渡って南に向かって歩き日本橋電気街に行きました。ところどころにパソコン用自作パーツショップや中古パソコン店があって、地元の人にとっては重宝する、あってよかった場所なんだと思いました。その中にお約束のようにアニメショップもあってのぞいてみたところつい画集を一冊買ってしまいました。電気街を出てきた北方向に進み、地下街を通り抜けて北端の出口を通りました。少し歩くと旅行ガイドなどで有名な道頓堀の戎橋にたどりつきました。日が落ちた後なので派手なネオンサインが輝いていました。この周辺の東京で言うところの渋谷や池袋のような雰囲気の雑踏を抜けてホテルに戻りました。

 木曜日の朝八時頃にホテルを出て通勤客で混み合った地下鉄で梅田駅に向かいそこから新快速電車に乗って姫路に向かいました。電車を降りた後は駅のコインロッカーにキャリーケースを入れ、大通りを二十分くらい歩いて姫路城に着きました。中に入り、急な階段を登ってたどりついた天守閣からの眺めを楽しみました。数百年も前からある街のシンボルで、昔は街のどこにいても見ることができた存在だったんだろうなぁと思いました。

 わたしは、二時すぎに新幹線に乗って姫路駅を出て三時四十分すぎに名古屋駅に着いてそこで特急ひだに乗り換えて高山に向かいました。ひだ号は電気ではなくディーゼルカーで運行されていてエンジン音が響いていました。列車はまだ真新しくススもほとんどついていないピカピカの状態でした。高山駅には七時前に到着して駅の売店でポストカードを買った後ホテルに向かいました。そこに着いてチェックインを済ませた後は駅の西側にあるスーパーで朝に食べるものを買いました。そしてホテルに戻ってポストカードをお姉ちゃんに出すために書きました。


 高山のホテルで迎えた金曜の朝。午前八時すぎにホテルを出て町の中心で開催されている宮川朝市を見に行きました。平日ということもあって地元の人より観光客、特に外国人ノン・ジャパニーズのほうが多かったです。まぁ、わたしもその一人なのですが。川沿いの道には地元の野菜、果物や民芸品を売っている屋台が立ち並んでいました。そこから橋を渡って右に曲がって黒一色の古く美しい町並みが広がる通りを沢山の観光客に混じって歩きました。建物は一部は現在も住民が住んでいる民家ですが多くは観光客向けの土産物店や飲食店になっています。それを過ぎると陣屋という一六九二年から一九六九年までのおよそ三百年の間使われた昔の役所の跡を見に行きました。この時代の役所の建物というのが他に残ってなくて貴重なものとなっています。来た道を戻って途中にある喫茶店で一休みしてそこで紅茶を飲みました。最後に高山昭和館に行きました。今から五十から七十年前の街の雰囲気を伝えてくれる貴重な場所です。中には昔の学校の教室や商店、病院を再現しているところがあってうちの国の同じ時代とも似たようなところがあって面白かったです。

 市内を一通り回り終えて、ホテルに預けてあったキャリーケースを回収した後、特急ひだで夕方五時過ぎに高山駅を出て、富山で新幹線に乗り換えて東京に向かいました。午後十時前に東京駅に着いてそこから乗り換えて錦糸町のホテルに入りました。

 土曜日の朝が来ました。少し長かった日本滞在も今日までです。午後六時十五分の成田空港からの帰国便の時刻に間に合うように買い物していきたいです。わたしはホテルを九時頃に出て錦糸町駅から電車に乗りました。総武線の沿線には大きめのショッピングモールがなかったのでいったん東京駅に戻って京葉線に乗ることにしました。十時すぎに電車を幕張豊砂駅で降りて目の前にある巨大なショッピングセンターに入り食品売り場に行きました。もしかしたらもう見ることはないかもしれない日本の大型スーパーと言いますか食料品店をじっくり楽しむつもりで買い物しました。ジャネットさんを含む同僚コ・ワーカーズに頼まれた、めんつゆ、白だし、昆布などといったものを買いました。例のウエルカムスイカの残高もここできっちり使い切りました。時間が余ったので他の店もウインドーショッピングしてみました。

 わたしは、午後一時半過ぎに幕張豊砂駅を出て、電車を乗り継いで千葉駅で降りました。いったん改札を出て窓口で成田エクスプレスの特急・指定席券をもらって成田空港に向かい三時前に空港駅に到着しました。航空会社のカウンターにキャリーバッグを預けて出国手続きを済ませて免税店を冷やかしました。出発時間が近づき、エコノミークラスの客が搭乗口に呼ばれたので係員に搭乗券を見せて機内に入りました。わたしの乗った飛行機はたくさんの思い出とともに離陸しました。これからまた大海原の上を十時間くらい飛びます。機内食が済むとぐっすり寝てしまいました。そして無事着陸してバスを乗り継いで帰宅しました。地元の空港の国内線のカルーセルは派手な観光宣伝でちょっと有名ですが、国際線の方はベルトコンベア以外何もない殺風景なものでした。これからお姉ちゃんや会社の同僚たちへの思い出話が盛り上がりそうですね。


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