見出し画像

【自問自答】生き方と働き方

昨今、働き方改革と言われて久しいですが、自分でも思うことがあってちょっと整理するために書いてみます

四十路を迎える前から、キャリアの棚卸だけでなく、人生の棚卸もやってみようと思って、3年日記を書いたり、死ぬまでにやりたいことリストを作ってみたり、アンガーマネジメントを齧ったり…とかなり内面に向き合うことが多かった。
その流れでnoteにも出会ったのかなとも思う

その棚卸活動で気づいたのが、自分の中で生き方と働き方がごちゃごちゃになっていたこと。

働き方を生き方より優先する思考になっていた

1.「どう生きたいか」より「どう働きたいか」ばかり考えていた

社会人、さらには会社員であれば、「仕事で認められなければ一人前ではない」という意識が強く、ひいては「認められていない自分が私生活を堪能するのは許されない」ぐらいまで思っていた時期もあった。

これは育った社会的な情勢だけでなく、家庭環境やら、元々の気質やら、様々な要因が絡み合って出来た思考なのだけども。
四十路を迎えるにあたって気付いたのだ。

もちろん、仕事で認められることは大事なんだけでも、すべて後回しにして最優先されるほどではないことに。

認められてこその職業もあるけれど(専門性高いものとか職人とか)
そうでない仕事も多いわけであり。
そういう場所で求められるのは成果の高さより、協調性だったり。

認めるのは誰か・何か、と考えたときに、上司だったり昇進という評価だったりするんだろうけども、こと上司や同僚との相性というものが幅を利かせていたりするし、その相性をカバーするために黒いものを白と言われて白と答えなければならなかったり。
正直、本人の努力より運というものが大きいケースも多く見てきた。

今まで思考の柱だったその部分が、「本当にそうか?」という疑問の前に瓦解しかけている。

働き方を優先していたのは、単純に、わかりやすい相対評価があったからだろうと思う。
「年収がいい」「〇〇さんよりしっかりした会社にお勤め」「△△業界より将来安定している」「バリバリ働いててカッコいい」…などなど
周りに理解されやすい仕事、サラリーマン像を見せることで。
学生時代のテストみたいに、今いるポジションを点数と見立てて比較しやすかったからだろう。

気付いた時、ほんまにこんな思考になっていたことに、軽いショックを受けた。

それが続いた時、会社と合わなくなってもしがみついてしまうんだろうか。
会社を辞めたら、解雇になったら…自分で自分の存在を否定してしまうのだろうか

強烈に、そこに「違うだろ」とツッコむ自分が大きくなってきた。

2.働き方を優先するのが悪いわけではない

「目指す生き方」なんて、就職前に明確になっている人は少数だろう。

宜しくなかったのは、働き方の延長線上に、生き方を描けていなかったこと。働き方と生き方のバランスが極めて悪かった。

また改めて書けたらと思うが、評価されても嬉しくない自分がいたのだ。
それどころか、胸につかえたようなモヤモヤがあり、欲しいものが別にある、まさに「ここじゃない」感。

自分がどういう感性で、どういうことを望み、どうしたら満たされるのか。
それが他者からの評価ではなかった。
自分に必要なのは、自分に下す絶対評価のようだ。

3.今さら…だけど、今から

四十路になってこんな根本的なところに気づくなんて、どんだけ人生遠回りやねん。
呆れるぐらい大バカ者だけども、気づいたんだから、蓋せず、残りの人生でやるだけやってみようかとも思う。
すでに四十路、されど四十路。

四十路の悪あがきを面白おかしく書いていければなぁ。
だって、シリアスな問答より面白人生ネタの方が書いてて楽しいではないか。
これまた新たなチャレンジでやってみよ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?