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落語にハマったワケ~多様で寛容な世界

引き続き、あつ森を語ろうかと思ったけども訳あって次回に。
今回はあつ森より先にハマった落語について少々。

1.落語との出会い

実は東京に暮らすのは人生で2回目。
1回目はホームシックにもなり、別の地に転勤。また転勤で東京に。
前回の失敗を繰り返さないように、自分らしく東京を楽しもうと、
東京でしか経験できないものがないかと思っていたところ。
近隣で結構活発に地域寄席が開かれていたので、飛び込んでみたわけです

有難いことに最初に拝聴した落語家さんが、自分の感性にドンピシャで。
それはまるで雛が最初に見たものを親と思うかのように、
その落語家さんを中心に地域寄席通いやYouTube、CDを漁りまくったのです

そして聞けば聞くほど、その世界観に惹かれていきました

2.魅力~多様なキャラ

噺毎に細かな違いはあれど、たいがい出てくるのは間が抜けている与太郎、知識人なのか知ったかぶりなのか怪しい大家さん、血の気が多いが頼れる兄い、嫉妬深い女将さんに遊び好きな若旦那、堅苦しいお侍などなど。

スーパーヒーロー的な中心人物がいるわけでなく、完璧な人もいない。
誰もかれも欠点あるし、褒められたことをするわけでもないが、それが人としての愛嬌であり。

出来なくたっていいじゃない、多少お馬鹿でもいいじゃない。
生きることにそんなに力入れなくていいじゃない。
あんたはあんたが思うように生活してたらいいんよと。
そんな風に、カチコチに固まっていた気持ちに温かな何かが生まれた気がしたのです。

3.魅力~全部ひっくるめて許容される世界

多様なキャラが織りなす世界、もちろん悲しい話もあるけれど
人間臭さがそういう話にもユーモアを与えていたり。

古典(寿限無など江戸時代の話)だけでなく、解釈を変えたりした改作、
現代を舞台にした新作、それぞれの世界観でも。

「こいつ馬鹿だな~」と呆れる人物や「ひどい話だなぁ」と無情を感じる展開でも。

それを包み込む世界(話)は、昔話のような「こうした方がいい」「こうしちゃだめよ」な教育的なものではなく。
「なるようになっちゃった、そんなもんだよ」と柔らかく包んでくれるのだ

まさしく「オケラだって~アメンボだって~生きているんだ」の世界。

しばらくして、立川談志師が「落語とは人間の業の肯定である」との言葉を残されていたと知ったのだが、まさしくそれ。

まとめ

この落語の世界、私は今言われているダイバーシティ、いわゆる多様性を寛容できる社会なんだと思っている。

自分の属性が何かなんて事細かに伝えなくても、「あなたがあなたで居て良い」とそれがごく当然のごとくある世界・・・
羨ましさとともに、実は身近にあるかもしれない、なんて思えてしまう。

それだけ私の見ている現実世界が厳しくなってきているのかも…

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