失われつつあるありがとうの力
笑顔を守るときめたぼくだが、ふと気づいたことがある
ありがとうの力が失われはじめているのではないかということだ
接客業をしていると、1日に何度もありがとうを言う
ぼくもフルサービスのガソリンスタンドではたらき
何度もありがとうと言ってきた
にも関わらず、職場の人間関係によって鬱になった
スタンドを退職してもなかなか回復しなかった
むしろ金銭面できつくなり、拍車をかけた
いまのぼくの現状もフリーター、いや無職に近いのだけれども
で、なにが言いたいのかと言うと
接客業をしていて、ありがとうを言うのであれば
鬱になることは防げるのではないかということ
ありがとうの力とは
目の前の現実は、あたり前ではないということを気づかせるための力
目の前のことがあたり前ではないことに気づけるから
笑顔でありがとうと言える
接客業をしているとどうしても作業的になってしまう
だけど、
仕事ができるのはあたり前ではない
身体が動かせるのもあたり前ではない
食べものを食べられるのもあたり前ではない
あたり前ではないことに気づかないと、
ないものねだりばかりして、心は苦しくなってくる
笑顔になるためには、あたり前ではないということを「ありがとう」を通して、気づくことからはじめなければならないということに気づいた
ということは、ありがとうの力を先に伝えていかなければならないということだ
さて、だんだんと使命が明確になってくる
子ども関わる仕事をしたいと思っていたが
接客業であれば、ありがとうの力を伝えることはできるということだ
最近気になっているのは、サイゼリヤだ
地元のサイゼリヤは、雰囲気が明るい
もっと明るくしてみたいなと、気になってはいるところだ
やってみちゃおうかな?