自主性と主体性
どちらも同じ意味だと思っていたら、違うようです。
自主性は、命令されなくても自ら動くこと。
主体性は、自分の頭で考えて判断して動くこと。
パノプティコン(囚人監視システム))では、
囚人は看守からは見えるけれど、
看守は囚人からは見えない。
ゆえに、囚人はいつも見られているような気になる。
視線の内面化、これで従順になっていくとか。
本校では、下校時、校門で、生徒は振り向いて一礼していく。
こんなバカらしいことが、伝統と讃えられていました。
これこそ、パノプティコン。
先生に見られているかもしれない、と。
結果、命令されなくても、
忖度して、自ら動く家畜の完成。
自主性のあるイイ生徒。
新学習指導要領では、
「知識・技能」に加え、
「思考・判断・表現」も評価の対象。
そして「主体性」も。
暗記計算忖度コンテストしかしてこなかった教師たちが、
今、うろたえています。
まさに迷える子羊たちが。
残念なことに、
そんな教師が多数、
で、赤点もみんなでとれば平均点、
みんな時代遅れでみんなイイ。
旧態依然万歳状態。
でも、そのうちオワコンになるでしょう。
時間の問題です。
ふふふ、楽しみ。