人生にテスト範囲はない
そろそろセンセイたちは、テスト範囲の呪縛から解放されてもいいのではないでしょうか?
中間テストまでに、ここまでは教えなくてはならない。テスト範囲はすでに発表してしまったから。そんな風に追い込まれるセンセイ。
すると、教科書のテスト範囲を終わらせることが最優先事項となり、先へ先へ進み、生徒が深く学べるかどうかは後回しに。
で、センセイは、駆け足で軽く触れただけなのに、「テスト範囲は教えたからな。あとはがんばれ」と生徒たちに言うんです。
センセイお得意のアリバイ作り!
定期テストでは高得点を取れるのに、模擬試験では取れない。よく聞く話です。理由は簡単、定期テストは、範囲が決まっていて、短期記憶勝負。一方、模擬試験では、範囲が一夜漬けでではカバーできないほど広く、しっかり定着した長期記憶がなくては歯が立ちません。
そもそも、大学受験など、教科の指定はあれど、範囲などありません。だいたい、人生にテスト範囲などありますかって話です。
広く浅く教えても、どうせ何も残らないんです。だったら、いっそ、狭く深く教えて、生徒の心に刻み込む方がいいはず。
何かを深く深く学び、真理をつかむと、他のジャンルのことにも通用する知恵を得ることがあります。けっこう、あるものです。
たとえば、世界史で、一年かけてフランス革命だけを教える。グループで、推しを決め、ゆるキャラを作り、人気投票をしたり。ロベスピエールがギロチンされなかったら、どうなったか、アナザーストーリーを書かせたり、とか。
教師は教えた→生徒が覚えなかった→生徒の努力不足
ではなく
教師は教えた→生徒が覚えなかった→『教師』の努力不足
という発想でないと。