嘘の素肌「第29話」
世間一般が新生活だなんだと浮足立っていたその頃、変わりない毎日を送る僕は渋谷の純喫茶に松平から呼び出された。「巷を賑わした才者との邂逅タイム」と電話越しに松平は言っていたが、今回は表現者を集めたいつもの会とは違うらしかった。
渋谷駅から徒歩十分ほど歩けば着く、八幡通り沿いに位置するレンガ調の外壁が目印の古き良き喫茶店。正午を少し過ぎた待ち合わせというのが、夜にばかり顔を合わせる松平とはどうしても変な感じがした。店の中はブラウンで統一されており、昭和レトロの気品を存分に感じさせる。ドラマのロケ地としてもよく使用されている店で、来るのは初めてなのにどこか既視感があった。
背凭れが高い椅子たちの奥、カウンターに近いテーブル席に松平の姿を発見する。彼の対面に座り、純喫茶にしては低価格の六百円アメリカンを早速注文した。
「お待たせ。あれ、巷を賑わした才者は?」
松平は自分の腕に装着したアップルウォッチに視線を落としている。
「ちびっと遅れるらしいけど、もうすぐ来るはずだ」
「そっか」
店員から珈琲を受け取り、おしぼりで手を拭こうとした瞬間、松平は僕の手首を掴んでテーブルの中心に無理やり持っていき、黒いシャツの袖口をぐっと肘まで捲り上げた。危うくカップに肘がぶつかって珈琲を溢しそうになるほど、それは激しい動作だった。
「何だよいきなり」
「ふっ。あーらあら、こんな派手に傷だらけにして。痛くないのかよ」
僕の自傷痕を松平のネイル爪が撫でる。いずみのヌード作成以来、なんとなく習慣化してしまった自傷行為。真っ赤な切り傷が無数に腕へと刻まれている。人様に視られて生活するには気を遣うぐらいには、自分でも痛々しいと思う。
「全然。切った直後はほんとに切れてるかわからないくらいうっすらと線が入るだけで、実感が湧かないから何回も切るんだけど、寝て起きたらちゃんと切った数だけ傷になってる。この年齢になってリスカとか、正直恥ずかしいけどさ。別に誰かに構って欲しいわけじゃないし、単なる暇潰しだから莫迦にするのは勘弁してほしいな」
「ん、煽ってるわけじゃねえよ。いいんじゃないの。自殺未遂っぽくて桧山に似合うよ。コレ、いつからやってんの?」
「作品の為に切った時から」
「ふーん、どんな」
「女性ヌードの下腹部に自分の血を擦り付けたくて」
「いいねえ、バカでもわかるアバンギャルドさ。気色悪くてチョー最高」
僕はそのヌードモデルが「いずみ」とは言わなかったし、あの作品は後日デザインカッターで切り刻んでしまったので松平に見せられる状態のものは残っていなかった。いずみには額縁に入れて発送できるようにしたら部屋に送ると誤魔化した。彼女は僕に絵を描かせることに意味があっただけで、あの絵に価値そのものは感じていない。適当に言い逃れながら、もっと品の良い、テーマのないただのデッサンを新たに渡してやればいずみは気は済むのだろう。そうやって一か月間絵の所在を有耶無耶にしていたら、いずみの肖像画に対する興味は想像通り跡形もなく消えてくれた。
切り刻まれた絵をゴミ袋に詰めながら、肖像作成中、僕はいずみに対しても「自殺は予防すべきか」の問いを投げたことを思い出していた。彼女もまた松平同様に即答だった。
「すべき。当たり前でしょ。私さあ、死にたいですみたいなこと平気で言っちゃう人、ホントに無理なんだよね。誰だって辛いことも苦しいこともあって、それを何とか乗り越えようと頑張ってるのに、自分だけが被害者みたいな顔で死にたいって騒いで、迷惑かけてさ。かまってちゃんなだけだよね、実際問題。じゃああなたは死にたいって思う前、自分らしく生きる努力をしたのかなって疑っちゃう。鬱病になって会社辞めますとかも、鬱病になる前に誰かに相談とかすればいい話でしょ。正直さ、自殺なんて弱者のすることだよ。迷惑だもん。いや、死にたいとかそういう気持ちを全否定するわけじゃないよ? でもこの世界にはね、生きたくても生きられない人がいるの。例えば、ガザの紛争では今も罪のない子供たちの身体が弾け飛んでるんだよ。そんな子たちの前で、ちょっと人生が躓いた程度のあなたが死にたいって言えますか? って、私はすごく嫌な気持ちになる。SNSでハッシュタグつけて自殺界隈みたいなメンヘラ投稿とか見るとさすがに吐き気するしね。生きようとすること諦めんなよってムカムカする。だから私は死ぬ事で逃げる人って嫌いかな。自殺を肯定する考え方も苦手。命を全うするのは限りある使命の一つだからね」
いずみは僕が希死念慮を抱えていることを知らないし、彼女は僕の過去を網羅しているつもりでいるが、そこには多く嘘も混じっているから完全な史実ではない。僕はいずみの、こういう極端に自分と利害が一致しないものへ敵意を示す際の攻撃性が得意ではなかった。だから自分の話をしようとも、彼女の顔色を窺いながらでしかできない。勿論、自傷行為を始めてからは、僕の増幅し始めた希死念慮をいずみに悟られたくなくて素肌を見せる機会も回避していた。過度に心配されると却ってストレスになりそうだった。
結局、人間が生きるか死ぬかなどは運だ。死生観がどう変容し、希死念慮を抱える人間になるか、そんなものとは無縁に死ぬまで生きる人間でいるかも運だ。いずみは死に触れる環境が少なかったのだろう。運が良かっただけで、彼女が例えば僕の立場にあったら、ああいった発言はしないはずだ。聡明で知性的で、あまりに脆い理論武装。この質問をいずみにしたことは間違いだったかと、彼女の喋り終えた後の清々しい表情を視て反省した。
「俺さ、やっぱり桧山には才能があるなあって昨日の夜考えてたんだわ」
アメリカンに口をつけながら、黙って松平の言葉に耳を貸す。今日の彼は丸い銀フレームの伊達眼鏡にチェーンをつけている。肌の発色が好いのはメンズメイクでもしているのだろうか。
「ないよ、そんなもの」
「俺があるって言えばあるんだよ、認めろ」
「じゃあ根拠」
「んなもんいくらでも話せるな」余裕綽々に松平は鼻をスンと鳴らした。「才能ってさ、例えばパティシエを目指す青年を題材にしたドラマの中では、尊きものと呪い、その二観点から描写される存在だろ。で、お涙頂戴にするために、才能は結局努力の蓄積量でした、みたいなことが第六話あたりで発覚して、ああ、俺は才能がなかったんじゃなくて、努力が足りなかったんだって気づくみたいな展開、よくあるじゃん。でもあれ、極論間違ってるよな。努力は本来超絶主観的なものであって、じゃあ当事者の努力を周辺人物が何で図ってるかって言ったら、努力によって得られた成果そのものだろ。いくら努力家の青年でも、成果が出なきゃドラマにならないから、死ぬまで無成果の努力家が主人公に抜擢されることはない。これ、成果主義的努力観っていうらしいけどさ。努力した人が報われる社会でありますようにってメディアは世論に発信したがるから、ドラマみたいな媒体はこの成果主義的努力観の成功例ばっかりを台本に使う。でも実際どうだ? 努力したって才能が無くて夢半ばあきらめる人間、ごまんといるだろ。てかそういう奴のが多い。夢破れた人間たちが流した涙が海に出て、その海の美しさを知った人間がまた夢をみる構図。形式的には綺麗だけど、夢破れた人間が流すのは涙じゃなくてしょんべん、尿だ。失禁してんだよ、みんな。俺たちは常に、夢というものに対しチョー印象操作されてるってわけ。つまりな、努力したけど才能なくて諦める人間の逆、大した努力もないのに才能だけでポッと表舞台に出る輩もいちゃうのが現実ってわけ。才能はさ、ちゃんとこの世界に存在するんだよ。成果主義的努力観の根幹にも、才能の有無が確実に影響する。成し遂げる者だけに与えられた天性。目を背けたくなるぐらい残酷な、曖昧さの欠片もないのが才能の正体なんだよな。そういう意味では、桧山は努力を成果に変えることができた。狂ったように絵を描いた努力を、秘めた才能で他者へと可視化させ、成果主義的に努力の形を訴えることができた。主人公になれるタイプの男だったわけ。ラッキーなだけかもしれないけど、結果が全てだからな。俺さ、そんなお前を視てると大学時代の先輩を思い出すんだよ」
天井に吊り下げられたシャンデリア球を仰いだ松平が「いやーな記憶だけど」と言葉を足した。
「先輩?」
「そ。桧山と真逆。才能が少しもないくせに努力量だけ馬鹿みたいに積み重ねて、成果が得られず他者から努力を認められなかった人間。胸糞悪いよな。何者でもないくせに、いつか自分が何者かになれるっていう漠然とした自信だけを抱えて愚直に突き進む奴だった。あれだわ。そういう解釈の仕方、ビジネスシーンでは自己効力感とかいって評価されてるらしいが、桧山は自己効力感って知ってるか?」
僕は頷いた。会社員時代、新人研修の際に自己効力感については指導を受けた。自己肯定感とは非なる存在。確かに現在の自分は何者でもないが、目標に向け積み重ねた最適解の努力の先には、何者かになれるという圧倒的な確信がある精神状態のこと。きっとうまくいくという認知状態が継続する人間は自己効力感が高い。ビジネスシーンにおける自己効力感の存在は偉大で、目的を達成する為の惜しまぬ努力と最短経路を獲得するには必要不可欠だ。自己肯定感よりも自己効力感を持て。それが組織効力感へと発展し、会社は大きくなる。そんな話を上司からされたことを思い出した。
「でもよ、その考え方はクリエイターにとって命取りな気がするんだわ。ビジネスよりクリエイティブの方が実力主義だし。今の状態でなんも成せてないやつが、何自惚れてんのって感じ。サイコーにダサい。俺の大学時代の先輩、直接的に関わりがあったわけじゃないんだけどさ。大学内じゃ学部の垣根を越えて超絶有名人だった。とにかく狂ってたんだよ。それに憐れだった。桧山みたいに油画をメインにしてたんだけど、まあ浮いてたから」
僕を映す珈琲の黒い表面から視線を持ち上げ、松平の目をじっと視た。彼は首を傾げながら瞼を瞬かせている。
「んだよ」
「あのさ」
「あん」
「松平って、大学どこだっけ」
「あれ、言ってなかったか」
松平が手の甲で眼鏡のテンプルを押し上げる。垂れたチェーンが彼の指先を伝って弛んでいた。
「俺、こう見えて一応藝大出身なんだぜ。しかも油画畑。エリートっす」
東京藝大。先輩。油画専攻。単語が脳を反芻し、耳に膿が溜まったみたいに音が鈍くなった。一瞬で僕の中に浮かび上がった悍ましい妄想が、様々な条件を経て具体的な疑問へと形成されていく。それらが完全な貌を現わさんとした直後、松平が僕の背後に視線を伸ばし、「お、来たぞ。こっちです!」と、手を振り上げ立ち上がった。
振り返って、入店してきたワイシャツ姿の男を一瞥した。彼はジャケットを腕にかけ、紺色のネクタイを緩めながらこちらへ歩いてくる。理解ができなくて、視界が眩んだ。僕が何も言えないでいると、松平に促され、彼は僕の隣に腰を下ろした。
「ご無沙汰してます。桧山さん」
村上流心。
四年前まで後輩だった男が、「巷を賑わした才者」として僕の隣に座っていた。