嘘の素肌「第2話」
立川駅構内にあるグランデュオ前で和弥と落ち合い、挨拶も程々に常連の安居酒屋へと向かった。三千円で二時間食べ呑み放題ができる破格さの理由に納得のいく、薄くて不味い酒。それを量でなんとかこなすように呑み進めるのがこの店に用いる僕らの流儀だった。酔って気を大きくし、一般に対し呪詛を吐き合うだけの自慰的宴を今夜も興じる。
ゆくゆくヒートアップするこの会は、和弥が隣の席で呑んでいたサラリーマンと揉めたり、僕がトイレの順番待ちをしていた知らない女とそのままホテルへ行ったりと、とにかく耽溺の果てをお互いの目的とし、僕らは惰性で酒を酌み交わす。それでも大学生時代に比べれば、僕らの酒癖は大人しくなった方だ。体躯だけが取り柄のようなキャッチ男に胆汁が出るまで殴られることも、女子大生四人組を捕まえて六人で乱交に及ぶことも、二十六歳になった僕らからすれば過去の武勇伝に落ち着く。あの頃僕らは自分の武器を理解していたし、ふたりで過ごせばいつだって俗世間は皆、階級が下の俗物だと思い込むことができていたのだ。醜悪な行動も全て下等生物である一般の飯事に付き合う感覚があった。
小鉢に三人前盛られたサーモン刺しに醤油をぶっかけ、和弥はほとんど一人でそれを食べ切った。ハイボールばかりでよく腹が膨れないなと和弥の飲みっぷりに感心する一方で、ここ最近の衰弱具合を見ていると太れない理由は酒のせいだともわかる。ほとんどアル中に片足を突っ込んでいる和弥は五杯目を越えたあたりから酒を日本酒に切り替え、チェイサー代わりに用意した烏龍ハイでちゃんぽんしている。グラス交換制なので従業員の視線を盗んで適切なタイミングで次の酒を注文し、もうすぐ飲み切るという雰囲気を醸しながら次の酒をオーダー。貧婁らしい、ダサい飲み方を披露しながらも、和弥は聡明な風を装って喧騒の酒場で性懲りもなく自身の創作論について語っていた。
「俺が何のために絵を描いてるかって言ったら、結局は俺の為なんだけどさ、その自己満足が他者の共感を得た瞬間、誰かの為に絵を描く人間になれるんだよ。有名な画家がきまって肖像を遺すのはそれさ。売れてる絵描きってのは、たとえそれがオナニーみたいな創作であっても、いつしか他人を巻き込んだ大乱交になっちまうんだよ。つまり、早く乱交にならねえかなって毎日のように悶々としながら抜いてんのが俺なわけ。いや、抜いてるはおかしな表現だな。気抜けた心地に浸れた試しはここ数年一秒たりともねえわけだし。なんて言うか、いつか俺の参加しない、俺の為に開かれる大乱交パーティーの為に溜め込んでるのが俺なのかもな。どっちでもいいか、おい、次何飲む?」
僕は和弥の破綻しているようで芯を噛んでいそうな持論を聴くのが好きだった。自分が凡人であるからこそ、突飛な才能や着眼点を備える和弥は昔から尊敬の対象にあった。小学生の頃から、何をやっても和弥は僕の上にいた。徒競走はもちろん僕より二秒も早いし、テストの点は争えないレベルの差で和弥に負けていた。中学高校と進路だって和弥は優秀な志望校へ難なく進んだし、僕が苦し紛れにFラン大学へ進学した翌年、和弥は一年程度の浪人生活で藝大に合格した。天才だと思った。親友である僕の立場を以てしても、稀に彼の理解できない部分と遭遇する。しかしそれは僕自身が凡人なだけであって、別の天才が和弥を発見したらすぐに仲間に引き入れてくれるものだと長らく思い続けていた。だから手放しで和弥を褒め、和弥の敵視するものは脳死で一緒に悪く罵った。和弥はもうすぐ、僕の元を離れて遥か上のステージへ行く。それまでは、此処に居させてもらおう。そんな受け身で消極的なコンプレックスの塊が、僕の青春を象る要素の大部分を占めていた。
しかし、現実は僕の想定とは真逆に動いた。二十六歳になった僕は現職場であるベンチャーでSEO業務に取り組んだことを生かし、副業でウェブライティングを始めた。手取り二十五万に副業で毎月十万、三十五万の収入を得る二十代はFラン卒業にしては高給で、一方和弥はラブホテルでの夜勤アルバイトをしながら、生活の苦しさに苛まれつつ未だ売れない絵を描いている。僕はもう、こんな安居酒屋には和弥としか行かない。僕と和弥の関係であればコンビニで買った缶チューハイを公園で空けるだけでも楽しいのだが、一応屋根がある場所で呑みたいという和弥の意図を汲んで店に入っている。金がないことは表現者の箔である気がするから、却って和弥には喧騒塗れのこの店が似合ってもいる。
日本酒を飲み始めた和弥は時折便所へ行って、食ったものを全て吐いてまた飲む行為を繰り返す。それは食べ呑み放題二時間が終了し、新たに別の店へ飛び込んでも同じだった。僕には和弥が嘔吐する為に酒を呑んでいるように見えた。「メメント・モリを描くにはやっぱ破滅だよ。俺は今、半端なんだ、もっと苦しまなくちゃな」自分を追い込むことで何かをなせるのは天才の所業だ。口の端に黄緑色の斑点をこびりつかせながら卓へ戻ってくるかつての天才に悲しくなるのは、今日が五月の初日だからかもしれない。