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嘘の素肌「第5話」

 二時間ほどカフェで過ごし、夕刻にはタクシーを拾って瑠菜を家まで送り届けた。昨晩からの睡眠不足が影響して欠伸が事あるごとに漏れたが、僕は送迎の足を使って瑠菜には言わず再び映画館へ戻った。それから、気になっていたホラー映画のチケットを買った。一日に二度も映画を観るとは思わなかったが、今日中にどうしても観ておきたかった。

 夜八時からのレイトショーはその内容もあってか、客席の埋まり具合はまばらだった。二時間半に及ぶ大作に睡魔が打ち勝てるか不安に思いつつ、僕は映画に臨んだ。体力に歯向かって鑑賞したことへ後悔の生じない、期待通りの良作だった。単なるホラーではなく、作品全体としてはサスペンス要素が強く、僕好みな演出も多かった。前作が世界的にヒットし、独特な緊張感と画作り、本来不可侵な人間の本質に踏み込んでくる不気味で風刺的なスタイルが定評の鬼才監督による二作目。心の傷を抱えた女性が、彼氏の故郷スウェーデンで行われる伝統的な夏至祭りに参加し、その祭りの儀式が次第に常軌を逸したヴァイオレンスであると気づき始めるが、逃げられない状況に追い込まれて(というより、自ら順応して)いく話。

 不穏さが終始漂い続け、鑑賞後も歪な心のままで館内から追い出された。この監督の過去作を観ようと、サブスクリプションで前作のダウンロードを済ませた後、喫煙所で煙草を蒸かしながら和弥にお勧めの映画があるとLINEを飛ばした。和弥が好きそうなサウンドデザインだと、鑑賞中に何度も感じたので報告せずにはいられなかった。

 和弥が敬愛する映画監督にスタンリー・キューブリックがある。中学でキューブリックの映画と出逢い、彼はその魅力に憑りつかれた。未だサブスク文化が浸透していなかったあの頃、インターネット上に違法アップロードされていた『時計じかけのオレンジ』を、学校をサボった日に観て以来、キューブリックの世界にどっぷりとハマったらしい。僕もそのタイトルぐらいは知っていたが、和弥に影響されてようやく鑑賞に至った。
強姦レイプ超暴力アルトラ・ベートヴェンが趣味の青年アレックスは、自らの承認欲求を満たす為に日夜仲間と犯罪行為を繰り返す。その最中、仲間の裏切りによって殺人の罪で刑務所へ投獄され、アレックスは刑期を免れる為に「ルドヴィコ療法」なる政府が打ち出した新療法を受ける。この療法に対し鑑賞者の倫理観が揺さぶられるのが当作の醍醐味なのだが、被験者に吐き気や眩暈を催す薬物を注射し、身動きができないよう四肢を固定、加えて瞬きすら不可能にさせるべく瞼を金属で開かせ、長時間に及ぶ残虐映像を強制的に見せ続ける。すると被験者の中で薬物による嫌悪感と暴力が結び付き、暴力を想像するだけで不快感を覚える条件反射が確立される。平たく言えば、暴力へのオペラント条件付けであろう。パブロフの犬を、より具体的に、残酷に再現した療法がルドヴィコ療法だった。

 この映画に感銘を受けた和弥は、それから倫理というものや、善悪に対し敏感になった。今の和弥が創作の中心に据えている物事の両義性・・・についても、此処がターニングポイントになっているのだろう。「例えば悪人を全員殺すとしたら、悪人を殺す役割を担う善人の存在が必要だろ。悪人に悪人を殺し続けさせても、最後に残った悪人を殺すのは勇気ある善人ってわけだ。じゃあその善人が殺しをやった瞬間、そいつは正真正銘の善人でいれると思うか? たとえ世界中がそいつを善人だと称え、英雄だと賛美しても、殺す前と後じゃそいつ自身の気持ちが違う。つまりな、善悪を大きく分立し、正誤性を問うて秩序を保とうとすることすら、最大の悪なんだよ。本来人間は動物なんだから、食って寝て生きて産んで殺して死ぬだけしかできないんだよ。他者の善悪を断言し、己が裁量を振りかざし、規律と違反の線引きができるほど、俺たちは精密で秩序的な生き物じゃねえからな」和弥の言葉はいつも僕を納得させる。しかし、反論の余地も少なからず与えてくれる。だから議論になって、それが僕には楽しかった。「それじゃあ悪人をほったらかすことが、僕ら人間的にはそれが一番自然ってことなの?」僕が詰め寄れば、「そういうわけにもいかねえけどな。あくまで理想論だよ」と、お道化て後ろ髪を掻いていた和弥の記憶が蘇った。

 一日二本の落差のある映画によって溜まった疲労を酒で癒そうと、単独で行きつけの居酒屋に入った。馬肉料理をメインに扱う店で、気さくなオーナーには随分前から贔屓にしてもらっている。カウンターに腰を下ろし、オーナーに昨晩から今までの話を語りながら、キープしていた麦焼酎のソーダ割りを呑み進めた。顎鬚を蓄えたオーナーが僕の女性関係についてのみピックアップして、「さすが桧山さん、色魔っすね」と笑った。ろくでなしの不埒者にそんな言い方をするのは太宰文学の世界だ。この人は『人間失格』に登場する堀木のような男だと考えながら、オーナーの厭味がない冗談で僕は心地よく酔って帰路に着いた。



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