過去の自分へのメッセージー8年前
東日本大震災が起こった。世界中の人の記憶に残る3月11日14:46。
まるで、映画のワンシーンのように東北の町を津波が飲み込んでいった。これは、CGなのか?
いや、現実だった!恐ろしいを超えていた。
と同時に、私の頭に中は阪神大震災の恐ろしい光景がよみがえった。
フラッシュバックとは、このことなのか?
忘れようとした記憶が蘇る。
ただただ恐ろしかった。ニュースを見ると胸が苦しくなった。私はあの時神戸・三宮のすぐ近くにいたのだ。忘れられない。
夜も眠れなかった。テレビで何回も映す信じられない光景に唖然としていた。
何かしないと落ち着かなかった。
息子の折り紙が目に入って、夢中で鶴を折っていたら、いつの間にか朝になった。
息子が朝起きてきて、「何してるん?」と聞くので、「鶴を折ってるの」というと「やり方違うよ」と言って、正しく折ってくれた。
息子は保育園でも折り紙が得意だった。私がたくさん折りたいのというと、「手伝うね!」と言って学校に持っていって、たくさん折ってくれた。
「友達も先生も手伝ってくれたよ」そう言って次の日には山ほど持って帰ってきた。
「亡くなった人へ、送ろうかと思うの」そういう私を、横でニッコリ笑って手伝ってくれた。
沢山の千羽鶴が出来た頃、新聞社から取材させて欲しいと申し出があり、校長先生からの紹介だったので地元の新聞記者が家に来た。
何をしていいのかわからない中で、思ったことを話したのが、記事になった。すると小学校に多額の寄付と千羽鶴が届くようになった。
そこから、東北への本気のボランティアが始まった。そして、ようやく軌道に乗っていた、営業の仕事も、やめる決心をした。
きっかけは、さかのぼること4年前、生活していくのがやっとの苦しい時に、息子に聞かれた一言だった。
「母ちゃんは人を笑顔にする仕事をしているの?」
この鋭い質問にイエスと答えられなかった。
私は離婚して働くところがなく、ようやく見つけた仕事は保険の営業だったからだ。人を笑顔にさせるどころか、不安を煽って契約を取る仕事だった。
いつかはやめて、女性がもっと子育てしながら働ける会社を作りたいと思っていたからだ。女性が心から笑える会社を作ると思うようになっていった。
常日頃暖めていたアイデアをついに実行に移した。
震災が起こり、私の心の奥に火をつけ、私は無謀にも母子家庭でありながら、有り金を全部つぎ込んで会社を作ったのだった。
そんな自分に言いたいメッセージは
「よく決断した!考えるより実行することの方が難しいし、価値がある」
そう言ってやりたい。もう一つ
「本当に後先考えずやったわ!アホやな!
でも後悔はないぞ」
私の人生、常に「今」しかなかった。
続きは→
https://note.mu/kirakirakeiko/n/n4b720524dcf4
つづく→
最後まで読んでくれてありがとうございます😊💕あなたに雪崩のごとくしあわせが訪れますように。愛を込めて(*^_^*)
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