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#21 恋愛依存症と向き合う③

強く輝きたい!30代、ゲイです。

恋愛依存体質ということで、家族関係を考えてみることで、何か見えないか、というのを始めて、父と姉のことについてはNoteに書いていました。

その後、母と兄についても振り返ってはいたのですが、他にNoteに書きたいことがあったり、逆に母と兄については情報量が多くなってしまって書くハードルが高くなっていて、後回しになっていました。

今日は母について書きたいと思います。振り返った時の内容をザックリと書くのと、その後、最近思うようになったことを書いていきたいと思います。


ザックリと言うと、昔の母はメンヘラヒステリックで、何が怒りスイッチになるのかが分からないので、子どもながらに気を遣っていました。

気を遣って発言したことが、逆に仇になって気まずくなったりもしました。

自分の非主張的な態度や、不安になりやすいのは、母の影響が大きいと思います。(父がいると楽しい!安全!なのですが、そんな父はいつ仕事の呼び出しでいなくなるかも分からない、という不安。急にいなくなっても不平不満や怒りを表出できなかったという点では父の影響もあると思いますが、そんな父がいなくなると、不安定な母のもとに残される、という不安もあったのだと思います)。

と、ずっとネガティブに思っていた母のことですが、今回ちゃんと振り返ってみると、優しい母もいました。

なんやかんやで自分が辛い時には「何かあったのかい?」と聞いてくれたり、自分が意地になってついた嘘も優しく「本当はこうだったんだよね」と分かってくれたり、兄が恐ろしかった時も母は自分を守ってくれました。

印象的なのは、幼稚園の時に足の爪を切ってもらっていた時です。母が爪ではなく、肉を切ってしまったのですが、そんな時も僕は『泣いたら怒られる!』と我慢しました。むしろ『お前がじっとしてないから肉を切ったんだろう!と言われる』くらいに思っていました。すると母は焦って「ごめーん!」と言いました。僕は『母が謝ったから怒られることはない』と確認してから、安心して泣きました。

母は、僕が泣くと、なんやかんやで優しいのでした。
口で要求などを伝えるのは『どうせ聞いてくれない』『どうせ怒られる』というのがあるので、言葉で主張することはほぼなかったのですが、泣けば優しくしてくれるという体験は、今でも職場や人間関係などで、”自分から適切なお願いは苦手だが、辛さを表出することで周囲からの助けを引き出している”という、不器用かまってちゃんの自分の姿に繋がったのだと思います。


また、”闇がある人が好き”というのも、母をどうにかしたい、救ってあげたいという気持ちがまだ残っているのかもしれません(父も精神疾患にかかっていたので、父に対してもあるのかもしれませんが)。

家の中で、安心というのをずっっっっっと感じてこなかったので、緊張があるのが当たり前の環境でした。なので、安心していると気持ちが悪かったり、やっぱり何か起きると思っているので不安なのかもしれません。だから、仕事でも恋愛でもトラブルがある方が安心しているのかもしれない(苦しいんですけどね)。

そして、もしかしたら母が元気だったらずっとそばにいてくれなかったかもしれない。元気ではなかったので、専業主婦で、ずっとそばにいてくれたのもあるのだと思います。だから、好きな人が闇を見せると安心するし、自分がどうにかしてあげたい、となるのでしょう。なんとかしなくちゃいけない、なのかもしれない。


で、最近思ったことは、母も”闇への対処”は実は上手だったのかもしれないということ。母自身病んでいたが、それでも子どもが闇を見せるとちゃんと対応していた。
それは僕の、”病んでる人にはどう接したらいいかはなんとなく分かるが、元気な時や、元気な人にどう接したらいいのか分からない”というのに繋がっていて、だから付き合う人とは湿っぽい関係に、相手の闇を大きくしてしまう関係になってしまうのではないかと思いました。

また、昨日、母と二人で出かけたときに、『あれ、母と話すときに気を遣っている』『思ったことがあっても言えてないな』『頭の中で言ってもいいか考えている自分がいるな』と思いました。その後、少し意識して考えないようにしたら、それなりに会話はできたのですが、その後父と合流してご飯を食べたら、父には何も考えずにポンポンと話す自分に気づきました。

これは、人間関係の中でも、気を遣う人には気を遣ってあまり話せないけれど、好きな友達や話しやすい人、姉に対してなどは何も考えずに勢いで話せている(話したことを後々覚えてないくらいなのだけど…)ことと繋がるのかなと思いました。

気を遣う人や、好きな人のことが分からなくなると、自分は”対母モード”になって、言うのを我慢したりして話が盛り上がらなくなり、
”対父モード”で話せると、ちょっと地雷を踏む可能性はあるが楽しく話せて良い関係になれるのかなと思いました。

しかし、この辺はバランスなので、基本”対父モード”で話すけど、状況によっては”対母モード”で慎重に深い話をしたり、相手のケアをした方がいいなという状況もあると思いました。

また、昨日の母も、自分が「頑張りたいと思うけど頑張れないんだよ」と弱音をこぼすと「頑張ってるよ」と認めてくれ、やはり優しいところがあるなと感じました。


頭で考えるだけでは、分からない、感じきれないこともあったので、こうして父母が元気に生きていて、関わる中でいろんな発見があることに昨日は感謝しました。

これからの僕は、とりあえず、自分が辛いアピールをすることで周囲からのサポートを得ようとするのをやめたい。
ダダ洩れになってしまうのは仕方がないと思うし、むしろ良いのかもしれないけれど、
ちょっとのことでも多少大げさに辛いですアピをすることによって、正直そこまでじゃなかった辛さが本当に辛く感じてきてしまったり、アピっても周囲が気づいてくれないときに余計に辛くなるので、もっと上手に表現できたらと思うし、
不幸じゃないと関心を得られないという考えも捨てたい。
好きな人とは楽しいことを共有するのをもっと多く、たのしく過ごしたい。
自分と一緒にいることで、楽しいことがたくさんあると思ってもらいたい。
そう思いました。

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