見出し画像

きらきらを捨てる日。〜Non to death〜

鬱で真っ暗闇に居た私は、憧れていました。

自分の思うように、自由に生きてキラキラ輝くことに。

そう思っていた頃の自分には「自分が本当に思っていること」も「自由ってどういうことか」も、わかっていなかった。

あの頃の自分が思っていた「自分の思うような自由」ってね、とってもとってもテンプレート的な内容だった。あの頃というか、きっと、つい最近までそうだった。

でも、今日(ていうかついさっき)気付いちゃった。気づいたというか、あきらめた。

私がずっとなりたかったり憧れてたのって、いわゆる「キラキラ起業」的なものだったんだよねえ。

3Kだとか5Kだとか8Kだとか言われている看護師っていう職業から卒業して、そういう「自由っぽい世界」に羽ばたきたかったんだわ。

「自分の思いを伝えること」を仕事にして、それでお金をいただいて生活できるようになりたかったんだわ。

そして、私が思ってたのはそれ↑一本で食べて行くこと。

看護師なんて大変なことはやめて、お話ししたり文章を書いたりすることで生計を立てたかった。

誤解を恐れずにいうと、お話ししたり文章を書いたりする事って、看護師を続けるよりも簡単だしそっちのが幸せって思ってたんだよね。簡単に「簡単」っていうと語弊がある。あくまで「自分にとって」、あくまで「好きだしやりたい事だから、どんな事も簡単に自由に感じるだろう」ってこと。

看護師が好きじゃない事を認めて、好きなことや自由なことを突き詰めて行くと、看護師に出戻ってきた。

好きなことってたくさんある。可愛いものや美味しいもの、旅行も大好きだし家でゴロゴロも大好き。そして何より、自分が大好きなことに気づいた。ナルシストと言われてもいい、自分で自分が大好き。どんな自分も。

そうやって、自己否定と未来への不安の塊だった私は、どんどん自分とお話しして自分は何が好きなのか、どう思っているのか、どう感じているのか、どうしたいのかを突き詰めて行った。明らかにしていった。好きなことも、嫌いなことも、ムカつくことも、誤解していることも。

看護師なんてもうやだなー、訪問看護にももう疲れたわー、こんなこき使われるハードな仕事やだわー、訪問看護界の重鎮なんて頭硬い古臭いのばっかでやだわー、意味不明なことばっか言うケアマネもうマジ勘弁w、って思ってること認められた。

もうやだー、看護師やだー、訪問看護やだー、管理者やだー。

もっと楽しいことしたい、もっと好きなことしたい、もっと自分の思いを伝えることをしたい・・・・・・

てかなんなのー、人口減少マジやばいじゃん、高齢者だらけの2020年、2040年、どうすんだこれ・・・・

そんな面倒臭いこと放り出したい。

日本の未来とかそういう大層で面倒臭いことは他の誰かに任せて、好きなときに好きな場所へ行って、好きなことして月収1000万円(てへっ)とかやりたい。

なのに、なのに。

好きなことを突き詰めれば突き詰めるほど、興味があることを掘り下げれば掘り下げるほど。

私が興味があるのは、人はどうやって死んで行くか、どんな風に人生を終えるか、ということで。

この先高齢者が溢れゆく日本で、みんなどうやって死ぬつもりなんだろう?

ということなのです。

そして、そこに関わりたい。「死」に関わりたい。

私自身、たくさん死んできた。いや、今こうやって生きているんだけれどもね、なんどもなんども死んできたんですよ。懲りずに、何度も。

・自己の死

・人間関係の死

・家庭の死

・恋愛の死

・お金の死

死の淵から帰ってくると、生物は進化する。

私は、少なくとも5種類の死を体験し、生還してきた。もう十分だと思う。

まだ未経験なのは、命の死というか、魂の死というか、身体の死、という本当にこの世界から消えてしまう死ぐらいだ。

いろんな死を体験してみて、私はとても「死」に興味があることに気づけた。

今、自分が生きているとして。この先確かなことはたったひとつだけ。

それは、いつか死ぬ、ということ。

なんで死ぬのか、どうやって死ぬのかは、わからない。

でも、いつか死ぬ、ということだけは分かる。

私は、いろんな人が、どうやって死んで行くのかとても興味がある。

その興味を満たせるのは、キラキラ起業じゃなくて、看護師だよね。

あーーーー、やだ。

看護師、やだ。だけど、看護師をすることで触れられる世界が好きなんだ。

認めるの、嫌だったのね。この先も看護師を続けるって、認めるのが嫌だったのね。

「いい死に方」がどんな死に方なのかまだわからない。

だけど、看護師として「死」に関わりたいと思う以上、「死」を見せてもらう以上、見せてくれる人が望む「死」へのお手伝いをして行くことが「見物料」になるんじゃないかな、と思う。

さて、キラキラになりたかった私はキラキラを多用していました。なんなら自分で「キラキラのんちゃん」って名乗っていました。

いったん、キラキラを捨てます。

百恵ちゃんがマイクをステージに置いたように。

手放しても永遠に自分のものだということがわかったから。

キラキラしたい!!!とか言ってたけど、いつも、どんな時も、辛い時も苦しい時もお金が十円しかなかった時も、鬱で死にかけてた時でさえも、私という命は、キラキラしてる事を認められたから。

わざわざ言わなくてもキラキラしてるんだよ。

「キラキラしたい!キラキラ生きたい!」なんて意気込んでた日には想像もつかなかったよ。

やりたい事がわかったことが、こんなにも憂鬱だなんてね。(笑)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?