全血縁がカルト信者の話 その5
・全血縁がカルト信者だとどんなことになるのか ~高校生編~
先述の自己推薦入試で入学したこともあり、入学当初は30番には入るくらいの学力でしたが、学年末には後ろから10番くらいに真っ逆さまです。親や教員に学業面でいろいろ言われていたような気もしますが、ほとんど覚えていません。信用も関心もなかったからです。母親に関しては、
・姉が高校入学後すぐに落ちぶれたこと
・姉より数段賢い高校であったこと
・自身が商業高校のため何も分からないこと
の3点から、中学の頃ほど強く出られていなかったように思います。
教員に関しては地元との文化の違いが激しく(例:高校入学後初めて教員に敬語を使う文化を知るなど)、相性が悪かったです。また、高校生活自体も文化の差を激しく感じ、なんだかなぁみたいな状況でした。まあ卓球しか目的がなかったからね、しょうがないわね。
この卓球によってじわじわと不安障害になっていくのですが、これはまた別のお話。
中学から広げていった交友関係のおかげで練習場所には困らず、日付が変わるまで卓球をしたり、その影響でさぼった塾の補習をまとめて受けたりと、平日・休日ともに家には寝に帰るくらいの生活が確立していきました。やったね。
当然親と顔を合わせる時間も減りますが、隙あらば儀式を仕掛けてきます。その度に拒否→ヒスは相変わらずです。特に正月は祖母宅に連行され、カルト集団に囲まれていました。お年玉のために必要最低限我慢してました。
高校生になると、親側は未知の世界、かつ、親のわからない(姉がついていけなかった)勉強をしていることもあり、勉強を口実にすることでいろいろと強引に突破できるようになりました。ラッキー。
カルト宗教に関しては、この頃からだいぶ離れることが可能になってきました。高校時代はカルト宗教による直接的な被害より、そのようなものを盲信する生き物の中で孤軍奮闘することの影響の方が大きかったように思います。
これまでの記事でも便宜上「血縁」や「親」という様な単語を使っていますが、本当はこのような言葉で「あれら」を呼称したくありません。このように思うくらいには、高校あたりから「安全地帯」の不在を実感していきます。
こうして部活を引退する3年生夏までは授業時間に寝て夜中まで卓球をする生活を送るのでした。もちろん学力は底をつき、受験までは勉強着けの毎日にシフトします。
姉がFランにも満たない私立大学に進学&複数回留年したため暗黙の了解により国公立のみで受験するも1点差で不合格、高校の浪人生用講座(年15万円)と中学からの塾とで進化に次ぐ進化を遂げ、1浪で大阪の国公立大学に合格します。浪人生活は友人に恵まれた&勉強を口実に家にいる時間を極限まで減らせたのでまあまあ楽しかったです。
カルトの影響は施設から鳴る太鼓の音がうるさくて集中できなかったことくらいですが、どうせ学校か塾の自習室にいたので誤差でした(もっと言うと家を出る口実ができた)。高校入学から必要最低限しか家にいなかったためか、母親は「移動時間がもったいないのでは」などの難癖をつけてなんとか家で家族ごっこをしたかったようですが、そんなことは知りません。誰やねんお前。
次回、待望の一人暮らし!大学生編