ドールリテラシーという言葉を起点に時分の立ち位置を考える
違法コピードールを平気で売ったり買ったり、
造形やブランドへのリスペクトや敬意の感じられない魔改造級のカスタムを褒め合ったり、
可愛かったらいいのモラルのなさなど、
いわゆる【ドールリテラシー】が感じられない不遜なドールオーナーがそもそも苦手で、それがアイシードール擁護派やインスタグラムに生息する一部のブライスカスタマイザーとそのフォロワーに重なる部分があってこんなにも嫌悪感を抱くのだと自己分析。
そしてドール界隈の外から見たらこういった人たちと自分も同一視されるようなこの状況にとても腹が立っていて、こういった人たちと自分(たち)を似て非なるものとして線引して切り分けたい。
だから【ドールリテラシー】を養えると思えるような情報やコンテンツを提供して課題に気づいて意識を高めてもらいたい。
理想は自ジャンルの発展のために【ドールリテラシー】を高めようとしている人たちとジャンルを超えて緩く連帯することで最低限のモラル・マナーや自浄作用が働き、誰もが安心してドールカルチャーを楽しめる場作り。
言語がするとちょっと抽象的な自分の思考が整理できた。