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変化のもたらすもの

周りから自分が
どういう風にみえているかわからないけど
今は交流していない年上のnoterさんに、
かつて
「人は多面体だから、
どんなうみちゃんでも受け止める」
という言葉をよくかけていただいていた

私はnoteに書いている部分はほぼ実話だ
(書いてないことが多いだけだ)
だけどあまりにも稚拙で赤裸々な内容から
少し前までは大分年下として扱われることが多かったように思う

でもそれはかまわない
リアルの私ではさらけ出せない本音が
きっと幼い私なのだ

脳内整理のためにnoteはとても必要な場で
リアルでは行動に移せないこと、
言葉に出せないこと、
心に思うことを書き綴っていた

ある人は私を柔らかく受け止め
ある人は私をまっすぐと受け止め
ある人は私を不快とし
ある人は私を応援したいたいと申し出
ある人は私を直視できないと言い
ある人は私に常に寄り添ってくれ
ある人は黙って去ってゆく

いつしかnoteは私の安らぎであり
リアルとのバランスをとる大切な場となった


noterさんの中で

連絡をいただいたことがあるのは4人
私が連絡したことがあるのも3人
サシで会ったことがあるのは2人
(2人とも初対面で飲んでいるという笑)
ブロックした人は2人

フォロワーの方ものぞきにいくと
もう部屋にいない(活動していない)方も複数いる

どうしてらっしゃるかなあ、と思いを馳せる
問合せすればわかることだけど、しない
そういう関係性もよいものだと思う

冒頭に出てきた年上の方も、
記事は残っているけどもう長いこと活動されていない


様々な事情を察した彼女が
どうして私にそのような言葉を
かけ続けてくれていたのかわからないけど、
その方がよくメールで言ってくれていた

「うみちゃんがおじさんでもおばあちゃんでも
 どこかの社長でも、うみちゃんが思ったことを
 綴っていることを応援したい
 人間は多面体だから、誰かから見えているのは
 誰であってもほんの一部のこと」
と言ってくれていた

泣きながら返信し
メッセージを交わし続けていたことを
今も大切に覚えている



最近、初期から交流のあったnoterさんが
休止宣言してリアルに戻っていった

アドレスを知っているけれど連絡をとっていない
彼女の美しさや足跡を
そのままにしておきたいとも思うし
連絡をとるのも無粋かなあと思ってしまうのだ

何度も見に行っては
そうだよね、休止ってそういうこと、と
小さく笑って戻る
寂しいんだなきっと私
ばかだねぇうみさんはって笑われそうだな笑



うみさんの記事はまぶしすぎて
見ているのがつらくなることがあった、
と男性からも言われたことがある

ごめんなさいとも違うし
そっかぁ(._.)みたいな気持ちになったこともある

私自身も変わるし
周りの人たちも変わるから
それは置かれている立場だったり
家族や近い人の病気だったり
転職や別れ、出産、転居、
単に自分の見える世界が変わることだってある

だから変化し続けている中で
このnoteの中で
もう交わらないこともあるだろうし
また出会うこともあるだろうし
これからも長くお付き合いいただくこともあると思うのです


私は私でいることを大切にしたいし
いろんな見方があるのは
誰しも同じだろうなとも思います

みんながそれぞれいる世界の中で
本当の笑顔がすこしでも
増えればいいなと思うんだよね


こういうこと書くから
偽善ぽいとか言われるのかな

別に何書いたっていいじゃんね


おしまい


河原を通ってウォーキング中
蛇に遭遇🐍
日差しが出て気持ちよかったもんね!



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