私と人生と神様について
私はRADWIMPSという存在に救われ続けている29歳女性会社員。
ラッドの愛称で親しまれるRADWIMPSは、2001年結成の4人組だ。 作詞・作曲を手掛ける野田洋次郎(ギター・ボーカル)を中心に、桑原彰(ギター)、武田祐介(ベース)、山口智史(ドラム)からなる邦ロックの代表的なバンドのひとつだ。
山口智史(ドラム)は2009年の「イルトコロニーTOUR 09」の最中に、フォーカルジストニアと呼ばれる神経性の症状を右足に発症し、現在はサポートドラムを加えてライブを行っている。
前情報として「いかした」という意味の「RAD」と、「弱虫」「意気地なし」という意味の「WIMPS」を組み合わせた造語であり、「かっこいい弱虫」「見事な意気地なし」といった意味だ。ただ、これは知ってても別に古参ぶれることはない。
2016年に大ヒットした新海誠監督のアニメーション映画「君の名は。」や2019年の「天気の子」に起用された数々の楽曲を通してRADWIMPSというそのバンド名は爆発的に世の中に知れ渡った。あらゆる場所で「君の前前前世から僕は〜」と流れていた気がする。最近では、「すずめの戸締り」などタイアップを繰り返す度に、人気は上がっていく一方です。
まもなく30歳を迎える私は毎年音楽を浴びて、深いふかい音楽の海を泳ぎ続けている。いついかなる時もイヤフォンは欠かせないし、毎月のライブが欠かせない、人生の色んな場面でながれる音楽が存在し、共に想い出となっている。
中学生の頃から人よりもライヴやフェスに数多く参加し、現在もなお、お気に入りのバンドは増え続けている。音楽の海に溺れたきっかけを思い出すと小学5年生の時に偶然ラジオから流れてきたRADWIMPSの「25コ目の染色体」がはじまりだった。
小学五年生。幼いころは歌詞の意味を深く考える事はなかったが、兎にも角にも鼓膜を揺らす柔らかなバンドアンサンブルとボーカルである野田洋次郎の歌声は妙に居心地が良かった。
「一目惚れなの・・・」と明らかに顔面偏差値の高い男を好きになる友人を「顔が好きなんだろ?顔だろ?」と馬鹿にするタイプの私だが、都市伝説級の「一目惚れ」ならぬ「一聴き惚れ」をしていた、みたいだ。
当時インターネットをすぐ使えるほど普及していなかった為、その曲の最後にMCが言うバンド名と曲を咄嗟に紙にメモをしたのを今でも思い出す。「らっどうぃむぷす、25こめのせんしょくたい?」と昔の私は咄嗟に殴り書きをした。
お金がないからと母親にねだり倒して買ってもらったシングルCDを何度も流して、TSUTAYAで借りてきたお気に入りの曲を今や無きMDプレーヤーにいれて持ち歩いた。あの頃、父親を亡くしてすぐだったのもあり、どうにもならない心の隙間を丁寧に埋めていたのは彼らの音楽だったのだ。なんとなくだったが、歌詞に合わせて目を閉じて天国を想像していた。いつのまにか彼の歌声と奏でる演奏が身体の中に入り込んで心に住み着いていった。
そして時は4年程経ち、はじめて彼らに会いに行った。2009年5月ZeppTokyo「イルトコロニーTOUR09」。メディア露出もなくCD音源でしか聞いたことがなかったせいか、はじめてRADWIMPSを自分の肉体で直接感じた時は「本当に野田洋次郎は同じ世界線で存命しているのか・・」と神様を目の前で見てしまったといけない気分になったのを今でも覚えていた。
ライヴパフォーマンスを含めたいつも聴いているあの音楽が目の前に存在して肌を刺激している、この日、彼らの音楽を楽しみにしていた私に直接語り掛けている事実と彼らを好きな数百人と同じ空間で同じ時を過ごしているという現実に当時中学二年生の私は大興奮だった。
野田洋次郎が吐いた息を吸ってるじゃん!!!とまで考えた。数日間、余韻の波に襲われて、セットリストを書き出し今や無きipodclassicでプレイリストを作成して寝る前に何度も海に身を投げ出した日々もあった。
健康診断で白血球大暴走の結果を診断されて「死ぬのかな…」と思いに耽った時、5年付き合った恋人と別れた直後にライヴで聴いて爆泣きしたあの頃、友人と馬鹿みたいにはしゃいで歌ったあの曲とか、プロポーズの時も、ずっと「告白」がかかっていた。
自分の中の一部になると同時に想い出共に彼らを好きになり、彼らが好きな自分を好きだったりもした。なにより自分の事を好きにさせてくれる彼らが好きだったのだ。
儚い命と不確かな愛をテーマにした歌を歌いがちな野田洋次郎は私にとっての哲学者で、音楽と言葉を匠に生み出すセンスの塊で、変わった考えを布教する変態で、愛の重さは人の5倍くらいはある男で、愛しているという言葉がなかなか言えずに遠回しに難しいことを言うポエマーだった。
好きな女と別れると「通り魔に刺され、腑はこぼれ血反吐吐く君が助けを求めたとしてヘッドフォンで大好きな音楽は聴きながら溢れた腑で縄跳びをしたい」(五月の蝿)とまで歌うし、スキャンダルやスクープを狙う記者に中指をたてるような歌も歌う(PAPARAZZI)男なのだ。それでいて「生まれてはじめてと最初で最後の一世一代が君でした」(ラストバージン)とまでいうし、「僕は君のために死ぬし、同時に君のために生きていく。僕は君のためにしぬ。これ以上なにもない。本気で言えることだよ」(25コ目の染色体/和訳)と愛を綴るのだ。
彼の言葉(歌詞)には嘘偽りがなく、本心でいて、RADWIMPSの音楽自体が彼自身で、彼らという等身大なのだ。散らばっている伏線のような物語があって、この歌詞を読み解くというのは彼の心の絡まった糸を丁寧に解いていき、彼と真理を知ることだと思った。
読み解けば読み解くほど、答えなんていうものは出ないけれど、面白い彼の正体は全然神様でも天才でもなんでもなくて、それどころか人間臭くて仕方ない、真意と愛に溢れ妬み嫉みも兼ね備えた人間だった。
彼が作詞作曲をする全ての歌詞の意味や解釈を熟考し、人間の命や死を愛を多く想った。彼が生み出す楽曲たちを考えることによって、幼かった自分の人格や性格を創り出していったのかもしれない。なにより当時の心を保つ糧になっていたのは、自分にとって心強いものだった。巡り合いの人生の中で偶然にも彼らに出逢い、彼らを好きになったのには間違いなく意味があると思った。
自分を支えてくれていたり変化をもたらしてくれる音楽というのは、気づかないうちに傍にあるものだ。
いつの間にか彼らは今の人生の一部になって、あの時よく聴いていた曲は人生の宝になった。日々変化し続けている日常、一喜一憂する不安定な社会の中で好きな音楽を聴き救われてきた。それが思い出と一緒に過ぎ去り、またふとその音楽を聴くと、その時の淡い感情や、たくさん支えられてきたあの頃を思い出す。
私にとって彼らはそんな特別な存在です。
誕生日おめでとう。ただの数字、なんかじゃない。
貴方が人を救い続けた歳の数です。
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