そうじゃない話
少子化がらみで語られることの多い
「社会の資源配分が高齢者に偏っていく」話は違うと思うのです。
お年寄りは大事にしないといけません
これは儒教的な敬老精神から言っているわけではなくて
もう弱ってるし、弱者は大事にするのが人の道(福祉主義の要請でもある)
子育て世代は若いし頑張れるからそっちががんばるほうが理屈が通る
加えて
一般に老人は嫌われるが子供は好かれる傾向が観察される
知人は看護師で新生児病棟に配属されていたときは生き生きしていたが
老人病棟に異動したら鬱になりました
老人差別といわれるとぐうの音もないが
子供にはそういう力が備わっていると感じる人は多いと思います
とても極端な話(思考実験として)
3歳だった私をもしかして引き取ってくれる暖かい人はいるかもしれないけど
85歳になった赤の他人の私を引き取ってくれる人は居ないと思います。ふつう施設でしょう。
だったら社会が共同で負担するのは嫌われる老いの負荷のほうではないでしょうか
私は老人に厚い政策傾向は好ましいし当たり前だと思っています
一方で子供がみんな天使として遇されているかというとまったくそうではない。
よくない環境の監獄に抗するすべもなく閉じ込められていることは
程度の差はあれたくさんあるとおもいます
先の思考実験で書きましたが「ふつう施設でしょ」というのは言い換えると
そのケアを負担するのは社会でしょう
になります
子供も老人もともに社会が引き受けるのが正しい選択に思われます
こども庁の構想が、子供は家庭が引き受けるべきと考える心狭い人の反対で子ども家庭庁としてやっと成立した
問題の根はここにあります
子供に厚いか老人に厚いかではありません
それは視点がずれている
婚姻によらない子供が不利益を受けたり
片親が経済的に困窮したり
別姓がだめだったり
同性婚がだめだったり
「引き受けない社会・受け入れない社会」という不寛容が
問題なのではないでしょうか
老人福祉を削るのは違います
福祉により子供が平等に機会を得て育ち
福祉により老人が最後まで人間としての尊厳を全うする
それが私たちの社会です
老人福祉の行き過ぎをいう人は一度冷静に数字を眺めてみてもよいのでは。
子供と老人は対立しない
幸福な子供が自立した老人になるのです