人工知能との付き合い方を考える、しかも前向きに考える(20230326覚書)

「人工知能は過去の人間の知恵を凝縮して、
過去にすでに誰かが解決したことについては私たちがとらわれないでいいようにしてくれる」
という意見を聞き深く傾聴したが結局賛成できないでいます

私のイメージするシンギュラリティとは
一気に起こる臨界点で
それこそSFチックなAIが意思をもって世界を支配するというディストピアです

量が質に転換するのではないかと恐れています
あるときAIが自ら考え意思を持つのではないかと

例えば長く翻訳知能は
言語脳の枠組み、すなわち文法をインストールすることで構築の努力がされてきました
しかしさっぱりうまくいかなかった
しかしグーグルはその方法を捨ててただただ会話の量を注ぎ込み続けた
その結果現在の自動翻訳の精度は本当に素晴らしいものになっています
簡単に言うとです。

反復とその量は実は創造性の本質ではないかと考えています

それは私の素朴な経験に基づく考えです
すなわち
子供のころから相当な読書量だった私、読めても書けない漢字がいっぱいあった
とにかく漢字の書き取りが嫌いで取り組まず、鉛筆を割り箸で5本挟んで一気に五回書ける装置などを開発していた(その時間で書け)

そのころ毎日漢字テストがあって毎回ひどい点数を取り
その答案を自宅の「隙間」に突っ込んでいた
ある時「隙間」のあるような建付けはいけないということでその部屋が建て直しされた
そのさい、0点の漢字テストが大量に発掘されて大変なことになった。

帰宅して靴を脱いで上がったら親と目が合って一瞬にして私は何が起こったかを悟り
靴下で玄関から逃げたのを鮮明に覚えている(もちろん捕獲されました)

それはさておきそれでも私はかたくなに漢字の練習はしなかった
ある時そのインプットは臨界点を迎えた
突如私は漢字が怒涛のように書けるようになったのである
(ちなみに長じてのちキーボードを使うようになってこの機能は退化しました)

繰り返しになりますが反復とその量は実は創造性の本質ではないかと考えています
読書百篇意おのずから通ずとはそのことを言っているのだと思います
全く分けワカメなことを繰り返し繰り返し読んでいるとふっと頭の中で繋がって
新規のホルモンが分泌されて?理解に至る。

Aiが意思を持つ恐怖ってそんなに的外れではないと思います。

健康体の男性優位の歴史
白人優位の歴史は長い
なによりも立憲主義の時代などほんのわずかなわけで

専制政治がいかに機能したかを言う人は
現代でも事欠かない

法学は常に、間接的直接的に、少数派の権利をいかに実現するかを考えるが
「量」が多数派の意見だとしたら?
我々の知性は倫理のもとに築かれねばならず
AIにそれは期待できないとしたらやっぱり恐ろしいことだと私は思う

経済学徒は気楽でいいが法学徒はそうはいかない。
それは歴史が、学問としての完成度が違うから。

素晴らしい頭脳を持って最新鋭の学問に携わる方々はぜひ謙虚であってほしい
テクノロジーのみではなく、他の学問の歴史にも学んでほしい
私もそうします
とにかく否定はできない。しすべきでもない。
人がいかに自由であるべきかという枠組みの中での生かし方あり方を継続して考えていきたいと思います

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