木伏その長い道のり4
ここで知り合った方が
とてつもないフィールドワークをして
木伏のルーツを調べている
彼は私と同じように
福島の伊南から新潟の矢代田を調べている
矢代田で割菱という家紋に出会っている
武田菱が有名な割菱紋の代表格だが
こちらの木伏は四つ目菱紋
静岡から出た人はこれが多い
似てはいるが…
割菱と菊池氏の関連はさほど感じられない
静岡の本拠は南松野だが
武田氏の駿河侵攻時には
今川氏方についていた安竹(安武)氏が
南松野を所領としていた時代があるそうで
松野六人衆の望月氏が
侵攻時に安武分として知行をあてがわれている
また蒲原城落城以降
木節(木伏)氏も含め
穴山氏から知行をあてがわれ
分割統治の時代でもある
この地の安竹氏は福岡に渡り
福岡市博多区の西林寺に
安武家の墓が50基ほどあるそうで
多くは菱紋(菱持、太陰菱、四つ目菱)だとブログに書いた方がいる(閉鎖中)
今川、北条、武田、徳川の世
松野という地域が戦場となり
まだ不穏な空気漂う時の話としては
四つ目菱で繋がるのは
かなり出来すぎた話ではある
穴山氏も含め
この地域は境目の人達であって
猫の目のように主従関係が変わり
住人も入れ替わる
富士宮市沼久保が
うちの両親に関係する地域だが
ほとんどが
甲斐から移住しているという話を
父方の親戚から聞いたことがある
松野六人衆は蒲原城の戦いで
今川方から寝返った南松野の土豪と言われるが
それ以前にこの地域にやってきたと思われる
この6人とは
望月氏2家 佐野氏 木伏氏 上野氏 稲葉氏
http://iiduna.blog49.fc2.com/blog-entry-502.html
調べてみると伝承があって
望月氏にはなかなか面白い話がある
全て信じることはできないにしろ
松野六人衆は何らかの意図をもって
穴山氏と行動を共にし
今川方の領地に進出した人達と言えよう
こちらでは
この地域の二重体制についても触れている
まさに境目の人々なのである