消極的自由と積極的自由とお金について
自分は自由なのか?自由になりたいのか?自由とは何なのか?という厨二病みたいな考えがいくらでも浮かんできます。暇なのかな。
僕自身は不自由を感じたことはあまりないし、日本に住んでいると、いきなり捕まったり、発言にビクビクしたり、というようなこともないので、平和だなアと思ったりします。
そういった反面、お金がない時などは自由じゃない、、、と感じてもいました。今はFIREをしたわけじゃないけど、気持ちにゆとりは持てているので、こんな自由についても考えたりしているのだと思います。
独裁国家などの国民は、いつ捕まるかとか、監視されているか、とか怖い思いをしそうですが、日本ではそれは感じてないです。少なくとも僕は。
そうなってくると日本では自由とお金というのが結構密接に関わってきそうだな、と。
そこで自由について考えると、どこかの哲学者が言っていた「消極的自由」と「積極的自由」という分け方を思い出したので、改めて考えてみます。
消極的自由=〜からの自由
積極的自由=〜への自由
ということで、消極的自由は、制限されないとか、束縛されないとか、そういったネガティブなことからの脱出、自由、という感じです。
積極的自由は、その先にある自己実現とか、ありたい自分、とか自分を乗り越えるとか、そういった感じです。
マズローの欲求5段階説、みたいな感じですね。
生理的欲求とか、安全欲求、社会的欲求のクリアまでが消極的自由(〜からの自由)で、承認欲求とか自己実現欲求が積極的自由(〜への自由)
日本に住んでいると、表現や言論の自由は比較的恵まれているし、生きている上で死にそうなことはそうそうないです。生理的欲求も安全欲求も満たされている。
でも不自由を感じる理由は、人間関係とか世間とか、そういった社会的なものもあるのでしょうが、お金問題もかなりあります。
資本主義社会のいく末について考えるのも好きで、よく本も読みますが、資本という運動の強さ、それと人の欲望が絡み付いた社会が劇的に変わっていくとは思えません(変わったらいいなあ、、、とは思いますが)
そうなってくると、この資本主義社会の中で、ある程度の経済的な自立を果たすことは消極的自由を獲得するためには必要になってくるのでは?
その後に、積極的自由では?とも思います。
世界のために、地球環境のために、という活動家や起業家はとても素晴らしいですが、背景には安定したお金があるからでは?と斜めに見てしまう部分もあります。本当にお金関係なくできる強者・超人もいると思いますが、僕含め大多数の凡人はそうはできない。。
お金よりもやりがいというのは素敵な言葉だと思いますが、それはある程度以上お金がある人が言える言葉だったり、まだお金によって苦労や不自由を感じたことがないのかなあ、、、とか思います。
40歳を超えて思うことは、若いうちにマネーリテラシーをつけて、できるだけ若いうちから消極的自由(〜からの自由)を達成して、その後は欲望に呑まれることなく、積極的自由(〜への自由)を目指すという切り替えをできるだけ早い段階でできると、人生豊かになるのでは?と感じます。
消極的自由を得られるのはどこなのか?資産が1,000万でOKか?5,000万必要なのか?稼げる自信がつけばOKか?年収500万いけばOKか?などは人によって違うのでしょうが、ハードルが高すぎると(資産1億とか)、そこまでに時間がかかってしまい、さらにお金を増やすことが人生の目的となってしまう、欲望に呑み込まれてしまう、などにもなってしまいそうです。
逆に、お金なんか関係ない!というやりがい優先で、そのまま行ければ良いですが、50代などになったタイミングでお金がないから何もできない、、、となってしまうとそれも厳しい、、、
僕は消極的自由は得ているので、ここから、〜への自由、といったことなどを考えていきたいのですが、この資本主義社会ってなんともシビアな世界だなー、そしてなんとかならないのかなー、どうするとより良いのかなー、とかモヤモヤしたものを考えてます。なんやかんやそういうのが好きらしい。
猫になりたい。