日記_240305
とんでもなく憂鬱な日々が続いている。訳は分からないけれど、ほとんど横になっている。胃が痛い。気持ち悪い。一日数回は吐いている。でも別に何か特別な悪いこと、ネガティブな事件などはない。むしろようやく立ち上がって前へ進もうと思えるようになったところだ。いまが人生で一番、前向きだ。今まで幾度も手にしてきたあいつらの言う"成功"、特別な賞も、お金も、名声も、何もない。信じているものもない。守るものさえもない。誠実さを取り繕うことさえできない。上手なウソもつけない。ただ、わからないけれど前を向いている。歩き始めている。みんなの言う幸せとはたぶん違うのだけれど、もしかしたら前の景色すら滲んで見えない、いまの無謀さがある種の幸せの一つの形なのかもしれない。でも憂鬱すぎて、仕事にも行けなくなってしまった。人間関係もこれ以上ないほど良好だし、一番好きとも思える仕事をしている。お金はたいして稼げないけれど、お金が稼げないことで不幸になっているとは思っていない。バンドも再出発していまレコーディングしている。どんなにダメになっても、曲は書き続けている。その曲が、やっとみんなに聴かせられる。あとはギターと歌を入れて完成させるだけ。待っていてね。楽しいよ、レコーディングって。曲を完成させることが、人生で一番楽しいことかもしれない。どんな"成功"よりも。でもなぜか身体が言うことを聞かない。ただもう悲しくて体を起こしていること自体が重労働で。どうにか元気を出そうとお笑いの動画を見てみて、笑ったりできているんだけれどなんか、急に涙が出てしまう。なんだろうこれは。何十年と自分を生きているはずなのに、自分の気持ちがいまだに理解できていない。
悲しいのはきっと前に進むことで、過去を忘れてしまうからかもしれない。今までの人生は決して褒められたものではないけれど、自分はとても愛しているのだと思う。だから、怖い。これまでの全部を忘れたくないし、忘れられたくもないのかもしれない。自殺しようとして夜明けまでずっと迷っていたら、始発電車に乗って駆け付けて抱きしめてくれたことも、忘れたくない。「本当の心を持った人などいない」。いや。本当の心を持った人はいる。そう言えた日を忘れたくない。
不思議だ、生きるのってなんでこんなにつらいのだろう。なんかもっとシンプルに、好きなことして、仕事認められて、多少お金稼いで、好きなもの食べて、家族作って、「山あり谷ありだねって」言って、少し病気したりしながらも、それなりの年齢まで生きて、それで「それなりに良かったなあ、この人生は」って言って看取られて逝く。そんなかんじじゃ、ダメですか。私には何が課せられているの。何かが課せられたとしても、それに理由だとか意味だとか無いのはわかっている。だからと言ってそれを「ないです」と言って生きられるほど強くない。馬鹿みたいだよね。何と戦っているの、君は。失くすものが多い。方向音痴だし。今更もう強くなりたくもないけれど、もう少し自分を許して上げられたらいいのにとは思う。もう少しだけ勇気があれば、生きることか死ぬことが選択できたはずなのに。
進むこと。忘れないこと。できるかな。こわい。「手放さないと手に入れられない」なんて、しょっぱいJ-POPの歌詞みたいなことを真に受けているわけではないけれど、大して持てないという現実をちゃんと叩き付けられている。明日は帰って来られるかな。ちゃんと色のある世界に。
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