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言葉を心に浸み込ませるのには時間がかかる

心というのは複雑なもので、表面上見えているものを吸収しようとしない。それがどんなに、いい言葉だとしても。
その言葉がどんなに美しくても、その言葉を発した相手の反応をよく見てその言葉を受け取るし、本に書かれた情報だってその言葉が真実なのかどうかの精査が必要だ。もちろん、それをそのまま受け取る人だっている。だが私は、言葉をそのまま受け取れない側の人間だ。

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「やさしい」という言葉には随分と悩まされてきた。
「やさしい」って言葉は本当に難しいのだ。受け取るにしても、送るにしても難しい。私がやさしいと思う人はいつだって、「やさしい」という言葉に怯えているように見えた。「やさしい」を送ると首を振る。いいえ、そんなことないですよ・・・じゃあ、この気持ちをどう伝えたら、相手に受け取ってもらえるんだろう、と試行錯誤して「あったかい人」とか「言葉がきれい」とかそういう表現をすることが多くなった。やさしい、は相手に認められてしまうと、途端に「偽善」という言葉にすり替わったりする。心の内にある時は「やさしさ」だったのに、外側に出たら「おせっかい」や「自己満足」になったりする。だから私も「やさしい」と言われると頷けないのだ。言ってもらえてうれしくはあるんだけれど。

難しいことに、世の中には「褒められたいけど褒めてといえないひと」とか、「褒めてくれと声高に言えるひと」とか、おおよそいろんなひとがいる。そして、「褒められるとマイナスな感情を抱いてしまう」というひとも。それはもちろん、人によって心持ちは、様々だ。そのどれもを、否定する気はない。褒めるのも褒められるのも、むずかしい。

嘉晶さんのnoteを見ていると、繊細だなと思う。それゆえの言葉の選び方がとても好きだ。褒められるとは難しい。褒めることも難しいのだ。その人の心を全部知ることはできないから、なおのこと。

それでも私は、心が見えなくてよかったと思う。
見えないから、私は、人の心を考えるし、好きなのだ。
絵の具の青よりも、さわれない空の青の方が好きだ。掬えない海の青の方が好きだ。
たぶん、それと一緒。

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言葉は、浸み込むまで時間がかかる。だから、何度も伝えるのだ。「すきだ」とか「ありがとう」とか「助かった」とか、一回だけで満足しちゃいかんのだ。思ったら、言う。伝える。そうして、少しずつ「本当にすきなんだな」「本当にありがとうって思ってくれてるんだな」って相手がじんわりゆっくり分かってくれたら、たぶんそれが一番いい。

このnoteを読んでくれて、ありがとう。


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四藤 汐 (Yotsufuji Ushio)
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