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*2 「括るということは想像を止めること」


人と会う時はとても緊張します。その人が自分にとってどういう人なのか、もしくはどんな存在になっていくかが、分からないから。

「その人をその人たらしめるもの」って、一体なんでしょうね。
性別?職業?考え方?笑い方?
きっといろんな見方や切り取り方があって、判断材料も千差万別。どれか正しくてそれが間違っているなんてことは、ないのだと思います。
ただ私個人としては、誰かを属性によって想像・判断することは好きではないので、出来る限り「決めつけようとする自分を意図的に遮断して」その人に向き合うと決めています。

過去の自分は、自分に向かって「この人は気を付けたほうがいい」だの「この人と自分は多分合わない」だの、余計な情報を投げかけてきます。
それは話し方の癖だったり、物事の価値観だったりで本能的に「合わないかも」と思ってしまうので、十中八九予感は的中するのですが、

それでもやっぱりやっぱり「決めつけることはよくない」のです。私にとっては。


今までは相性が合わなかったかもしれないけれど、今目の前にいる人はぴったり私に合う人かもしれない。
今までは受け入れてもらえなかったかもしれないけれど、今日出会った人は「それもいいね」って言ってくれるかもしれない。
もしくは私だって日々考え方や感じ方が変化しているのだから、今日出会った人にぴったりマッチングする自分になっているかもしれません。
はじめましての人は、いろんな人にちゃんと向き合えるように、建前やよそ行きの自分を纏っているから、「本音」や「本当のその人」にたどりつくまで、決めつけることはよくないと、そう思うのです。
そして、たまに疲れてそういう「思考すること」を放棄する自分を、「よくないよ」と怒れる自分でいたい。


皆さんは人と出会う時に、気をつけていることってありますか?
あなたは人と対峙した時に、どんな自分でいたいですか?


「こういう人でありたい」と背筋を伸ばしてしゃんとしていられる人は美しいと、私は思います。 もしもそんな自分でいられない時があっても、あなたはとっても素敵な人です。


今日はここまで。それじゃあ、またね。


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四藤 汐 (Yotsufuji Ushio)
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