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「ニシダはどこにいるんだ」ラランド・ニシダ『ただ君に幸あらんことを』を読んで(「芸人本読書」③)

話題の小説、ラランド・ニシダさんの『ただ君に幸あらんことを』読了。一ページ目から、読者によっては少し過剰とも取られるかもしれないちょっと修飾過多な心理描写が続く。ここで一瞬ニシダの顔が思い浮かび、読み進められないかもしれない……と思ってしまった。正直なところ。

ところが。10ページ目ぐらいまで読み進めると、その顔は消滅していた。芸人さんが書く本の楽しみの一つが「その芸人の顔と声を思い浮かべながら読むこと」だと思うけれど、この本は特殊。逆。読み進めれば進めるほど、少しずつニシダの顔が消えていく。「国民的未亡人」を読み終わったとき、舞台で、テレビで観る「ニシダ」はどこにもいなくなっていた。恐らく、作者自身もそれを狙っているんだと思う。ニシダがニシダを消す企み。ラランド単独ライブでの「ニシダドッキリ」はもうお馴染みだけど、正直この作品が一番のドッキリです。

ネタバレ、があるわけじゃないんだけど、何の情報も持たずに読み進めた方が面白いと思う。反対に、先入観はあればあるほどいい。そのギャップを楽しむ本だと思う。で、読後。これを書いたのが、本当にあのラランド・ニシダと同一人物なのかという検証作業を頭の中で行う。突き詰めて考えた結果、ぼんやりと見えてきたものがある。それが「悔い」。

この小説の登場人物は、みな何かに悔いている。自分の決断。愛する人に向けることが出来なかった言葉。家族への思いやり。なんとなくであるが、芸人ニシダも何かに悔いている気がする。芸人になったことを悔いているのではなく、もっと根源的なもの。ダラしない俺だけど、本当はもっとまっとうに生きることができたはずなんだよな…というような悔い。それが、芸風にも、トークにも通底している気がする。こう思うに至ったとき、ようやく作家ニシダと芸人ニシダが一致して、ちょっと安心する。

物語に引き込まれることはもちろん、「芸人が書くものはこんな感じだろう」という先入観を久しぶりに打ち破ってくれる一冊でした。(2月23日、22時45分)

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