1974年 多様性を教えてくれた先生 16文
YS先生へ
前文失礼いたします。失礼かとは存じましたが、突然ご連絡をさせていただきましたこと、教え子に免じてお許しください。
1975年、昭和55年の3月にA中学校を卒業いたしましたSと申します。先生は多くの教え子をみてこられたので、ご記憶にはないもしれません。
私は最近、先生のことを思い出すことがあり、今どのようにされておられるのか、お礼を申し上げたいという衝動にかられご連絡させていただいた次第です。
中学校を卒業してから半世紀が過ぎようとしています。萩原健一(ショーケン)の傷だらけの天使というテレビ番組が話題になっていた頃です。当時もやんちゃで生意気であった(今もまだまだやんちゃですが)私を大きな心で受け止めていただいたことを鮮明に記憶しております。K大学付属高校を受験する学力もない私に、「受けてみたらいいじゃないか」と大きな目で励ましていただいたこと。私の様々な反抗行動に対しても、先生は常に肯定的ともとれる振る舞いされておられ、私自身が意図していない先生の心に嫉妬したことを覚えております。
インターネットで先生の名前を検索すると、今でも教育や福祉関連でご活躍されている記事を拝読してうれしく思いました。
今までの私の人間形成のプロセスにおいて、先生には大きな影響を受け感謝しております。例えば、自分とは異なった考えを持った方への聞く耳を持つ場合、今で言えば多様性の受け止め方や物事を肯定的に捉える姿勢に対して、先生の言動や振る舞いが今でも目に焼き付いています。私の多感な時期に一般的な大人の価値観ではない先生の姿は衝撃的であったからだと思っております。まだまだ私は未熟者で先生の姿を思い浮かべ精進していきたいと日々修行をしています。
50歳の時に得度して56歳で僧籍をいただきました。師僧は幼なじみのKN君です。私の実家はふるさとにはもうありません。時折、師僧のお寺で法要があった時にお手伝いに行くことはあります。
ふるさとに行くことがあった折には先生にぜひお会いしてお礼を申し上げたいと願っております。コロナ禍ではなかなか実現することは難しいかもしれませんが・・・。
本当に突然ご連絡をさせていただき、恐縮しております。
先生も体には気を付けていただきますようお願い申し上げます。
住所がわからないが、手紙を書いてみた。キーボートを打つたびに、先生とやりとりをしている映像が浮かび上がってくる。
もう、この世にいらっしゃらないかもしれないが、こうやって私の中では生きておられます。
本当にありがとうございます。 合掌
2023.0130