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120%から6割
私は昭和生まれで、ど根性世代の最後尾を歩んできました。少年時代はサッカーをしていたのですが、先輩、監督、コーチ、そして親までも、120%の力で練習をしろと言っていました。
練習内容も昭和で、サッカーボールを10秒以内に取って戻って来れなかったらケツキックといってボールを思い切り遠くへ蹴る先輩、階段の往復をするだけで終わる数ヶ月、20キロ走の後の練習、思い出すとよくやっていたなと少し気持ち悪くなります。理にかなっているかは分かりませんが120%の力で頑張りました。
120%の力で練習をしろと言う理由は、本番で100%の力を出すには練習で120%の力を出しておかないと、本番で出来ないということからです。確かに、本番は緊張もするし、不足の事態も起こるので、練習で100%ではダメなんなんだなと納得していました。
そんな考えでサッカーにも音楽にも、仕事にも遊びにも育児にも120%の力で挑んできた結果、壊れました。身体も心もボロボロでそんな生き方が出来なくなってしまったのです。
人生のお休み期間に色々な本を読み、なんでも6割ぐらいできれば合格点という考えに何度か出会いました。枡野俊明さんの「放っておく力」では、人との関わりに関しては「半分」分かってもらえれば上等、4割でも3割でも分かってくれる人がいたら十分と書いてあり、妙に納得しました。
6割に関しては最近読ませていただいた下記の記事にもナジャ・グランディーバさんの言葉として、「6割ぐらいでいい」と書いてありました。続く記事には真面目に生きる力を6割にしてみては?とも書かれていました。
私はこれまで120%で挑んできましたが、その半分でいいのかと、肩の荷がスッと降りたような気持ちになりました。ありがとうございました。
この記事のタイトルの「%」と「割」の単位が揃っていないのは、100%と実際に言われていたことと、全体を100で考えるより10で考えるぐらいの気持ちで良いと思い、6割という言い方を好んでいます。
まだまだ6割には慣れませんが、肩の力を抜いて生きていきたいと思いました。
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