猫を愛でたいだけ
人生で動物を飼ったことがありません。
周りに飼っている方はたくさんいらっしゃるのですがどうも動物とはご縁がなく、何年に一度母の実家へ帰省した時に猫を愛でるぐらい。
私は昔から猫が好きなのですが、父が猫アレルギーなのとペット禁止の住まいだったのもあり、いつしか猫を飼うのが夢なんて時期もありました。
猫は嫌がるひとのところにわざわざ行ったりしますよね。ずるい。
昔祖母の家にいたアメリカンショートヘアの猫が亡くなったと、電話越しに聞いた小学生の私は大泣きした記憶があります。
ずっとそばに居なくても好きなものは好きだったから。
まだ私が生まれたばかりの頃、寝返りでテーブルから落ちた私を必死に母に伝えに来たそう。
母いわく、私を妹だと思ってたのだろうと。
でっかい蛾を捕まえてきたり、でっかいカマキリを捕まえてきたりしたとか。覚えてませんが…。
確かに「ごはん」とか「おかわり」とか言ってたし、今思えば賢い猫だったなと思います。
最期は祖母が珍しく畳まずに敷いていた布団の枕に頭を乗せ、横たわった姿はまるで人間のようだった。と電話越しに聞きました。
その頃の私は死とかそういった概念を殆ど理解しておらず、友達が無闇やたらに虫を殺してもなんだか不愉快なだけでとくに命の重さなんて考えたこともありませんでした。
でも大切な何かの命の鼓動が感じられなくなるのは人間も動物も皆等しく辛くて苦しい。
知れたのがこのタイミングだっただけで、もっとはやくに知るひともいると思うと、本当にそれぞれの人生があるんだとおもえます。
知るものが動物であれ、人であっても。
最近出会った72歳のお祖母様は、3ヶ月ほど前にチワワを亡くされたそう。
長く生きて色々な別れを経験したとはいえ、別れはいつでもつらいのだけど、気持ちを切り替えるために新しいことを始めて私に出会ったそうです。
これも何かのご縁なのでしょうか。
このお話を聞いて、ひとは命を知らなければ生きていても知らないままなのではないかと想いました。
別れがあれば、出会いを知ることができます。
それは自分が生きているからこそ、他を知れて自分も知れるタイミングなのかもしれません。