私の恥ずかしい話
こんばんは!
きおかです。
メルマガの読者さんから
以前どうして看護師を
やめられたんですか?
と、お問い合わせがありましたので
こちらで
お伝えさせていただきます。
それにはまず、私の両親について
お話しさせていただきます。
私は、一人っ子なのですが
親は俗に言う
『毒親』でした。
当時、
毒親なんて言う言葉は
ありませんでしたから
親の言うことは絶対と、
お互いが思っておりました。
(なんて悲惨!笑)
私が
幼稚園に通い始めた頃から
母親は
他人と私を比べるのが
日常茶飯事でした。
『あの子があんなに肌が
綺麗なのはトマトをたくさん
食べてるからだ。
きよえももっと食べなさい!!!!!!』
(えっ!?今楽しく遊んでるのに
なんでトマトと肌で叱られてるんだ?)
習い事も同じです。
「あの子は
こんなにできてるのに…」
と、言われ続けてました。
よく人様に笑われる毒親話では
当時
卓球選手の福原愛さんが
まだ幼いにもかかわらず
卓球を
一生懸命やっており
うまくできずに悔し涙を流されて
それでも卓球と
向き合うと言うテレビ特集が
放送されていました。
はい、
御察の通り、テレビ越しに映っている
福原愛さんと
比べられていました。
兄弟がいなくても
そんな風に比べられて育った私は
なんとか、親に認めてもらおうと
様々な
習い事をしていましたが
結局どれも続かず…。
私は高校を卒業し、
いざ進路を決めなくちゃ!と言う時に
母と同じの看護師の道を
選ぼうと思いました。
なぜなら、
他の職業は
「お前には無理だ」と、
全否定されたからです。
そんな毒親母さんは
私が、新人ナースの時に
くも膜下出血で
亡くなるのですが、
看護師もそれなりに続けていた理由や
先輩や上司に認めて欲しい!
わかって欲しい!
が基準と言うことに
10年と言う年月をかけて
知ることが
できました。
そして今看護師の仕事はせず
起業1本で
やっていけた理由や想いは
話しが長くなるので
続きはまた〜!
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