【#ユースレスマシン/ハンブレッダーズ】「くだらない少年は走り続ける」【ほめほめ感想文】
Kiitosです。少し趣向を変えて、がっちり文学的に感想文を書くことにしました。今回はハンブレッダーズさんの「ユースレスマシン」という曲です。これを見てからでもいいですし、見る前に聞いてもらっても楽しめると思います!
「くだらない少年は走り続ける」
VIVA LA ROCKでのハンブレッダーズのステージを見た。彼らは人気の高いバンドだが、私から見るといつまでもそばにいるようなバンドだ。いつも彼らは私のくすぶった思春期を刺激する。しかし、彼らの歌は個人の経験や思い出に干渉するのではなく、より彩度を高め、芸術に昇華するような効果を持ち合わせている。自分だけが良さを知っている。誰かに分かってたまるものか。どうせわからないだろうけど。こういう、ある人から見たらくだらない、とりとめもない感情を肯定してくれる存在なのだ。
そういったハンブレッダーズの魔法のエキスが詰まっている、と私が感じている曲が「ユースレスマシン」だ。Useless Machine。役に立たない機械。おそらくここには「実際の利益を生まない」という意味合いが含まれているのだろう。ギター少年が勉強や学校そっちのけでギターに向き合うことをuselessだと言う人々がいる。それはギターや彼の熱中するものが、社会に出て、大人になってお金を生み出す助けになる見込みが低いからだ。しかし、この世界で仕事はあるが、彼のように熱中できるものがある人はどれくらいいるのだろう。彼は、極論を言えば、仕事を失ったとしても「生きて」いけるかもしれないが、そうでない人は自分の居場所を失ったまま呆然とするだろう。コロナ禍でそのような「心を揺さぶるもの」の存在の有無が生活の質を左右しているのだと私は気づいた。私にとってそれは音楽であり、好きなアーティストの新曲PVやライブ映像を見ると心が揺れる。はっきりと揺さぶられているのだ。この感覚は、小さなころから変化はしていないだろう。しかし大人になってから、その時、私は普段おろそかにしている自分の内側のモニタリングを無意識的に行うことができている。意識と無意識の中で音楽を楽しんでいる。私にとっての音楽が売っても数円にならないもので手に入るようなものであれ、社会人になって微塵もお金にならないものであっても、誰かがそれによって心を揺さぶられることがあるということは変わらない事実である。加えて、その心の揺れが長い間等しく生み出され、長い間自分を支えているとしたらそれはもはや「ユースレス」ではない。そんな貴重なものを目先の利益にとらわれて捨ててしまうのは、なんとも言えない喪失感を生み出すだけである。「心の奥がざらつくような一瞬を」作り出す「ユースレスマシン」を私たちは大切に抱えることで自分を保ち、力強く人生を歩むことができる。
「世界を変える娯楽を」。いささか不思議な感覚を覚えるフレーズだが、とてつもない爆発力を持つ言葉の並びだと感じる。「娯楽が」世界を変えるのか。いや、「娯楽を通して僕が」世界を変えるのだ。
大好きなものを「ユースレス」などと呼ぶ人々がいるが、分かってもらわなくていい。むしろ、分かるはずがないのだ。だって、人はそんな愛を持ったことがないのだから。
言葉を超えるほどの愛を注いだ娯楽は、間違いなく人生を変える。それがアイデンティティにすらなる。そんな愛の対象がこの世界にあるだけで人生が輝く。世界は変わる。そんな素晴らしいものがあっていいのかとすら疑うほどだ。
この感動は人に伝えきれるものではない。もちろん「このバンドはこういった点で素晴らしい」などと熱を持って誉め言葉を発することはできるが、心の揺れをそのまま誰かに移送することはできない。心を揺さぶられるのは自分で、そこから何かを感じ取るのも自分である。絶えず心を揺らすギターのストローク。下から心を浮かそうと試みているようなリズミカルなベース音。そして、上に浮いた心臓を着地させてくれないようなドラムの爽快なリズム。これを聞いた少年の心は動かずにいられない。走る、走る。思春期をまだ走り続ける少年は。