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興味を持つこと=疑問を持つこと

僕が料理をはじめたきっかけというのはちょっと変わっているかもしれない。

何かをやりだす時にだいたいが何か感銘を受けたり憧れたりして、かっこいいなぁと思った瞬間があるとやりだすひとは多い。

たとえば。
ギターを弾いてるひとを見て育ったんだとか。
綺麗な写真を撮れるのっていいなと思ったんだとか。
バスケットできるってかっこいいと思ったんだとかね。

勉強に関してもそうかなぁ。言葉がおもしろいと思って国語や英語が好きになったり、数学が美しいなぁと思ったりね。


「料理ができる人っていいよね」
ということを言われたりはするんだけど、言っている本人たちは自分でもできるようになりたいよはあんまり思っていないみたい。教えて欲しいとは言うんだけどね。

料理が学校で習うことでは、何に近いのかと言われると、おそらく美術と理科。
いや、家庭科があるじゃないかと思うかもしれないけど、家庭科をそのまま家庭科として習っていてもおもしろくないでしょ。
おもしろいかどうかは、何かと比べてみるとわかりやすかったりするし、何かに例えたり同じ湯な感覚でできるなぁと思うと、意外とスッと取り込みやすくなる。そう、そういう考えでいくと料理は美術と理科に近い。理科の何が近いのかというと「実験」だ。

料理とは、ほぼほぼ理科の実験の連続だと考えると「何だそうか」とか「ああ、なるほど!」と思えるひとも増えるんじゃないかと思う。
じゃあ美術は何に近いのかというと、“作品作り”として考えることだ。
料理は単純に理科の実験として考えていると、おもしろくなくなってくるし他人に食べさせてあげられるような見た目のものは作れない。
ひとり暮らしで作る抜群に美味しいんだけどぐちゃぐちゃの混ぜご飯を、かわいい女の子やできたての彼氏に披露したくはないでしょ。それと同じ。
見た目も美しく、しかもわりと美味しく実験する。これが料理だと僕は思っている。


ちなみに僕は理科の実験も家庭科も得意だったし好きだった。だから今も作るのが好きなんだと思う。

ところで僕が料理をやりだしたきっかけだ。
僕は筑前煮が好きで、給食で出ると友達のデザートと交換するくらいに好きだった。

ある日のこと、僕の母親が家でせっせと筑前煮を作っていた。
つまみ食いをしてみるが美味しくない。

母親が言う。

「味付けしてないから美味しくないよ。」

おお、なるほど。
そりゃそうか。味付けしなきゃ美味しくないのは当然の事か。

で、僕はあることに興味を持ちだす。


何をどれくらい入れて、どんな調合をすると美味しくなるのか?


という疑問だ。
当時この疑問を抱いていて良かったと、今は思う。
でなきゃたぶん僕は食べてばかりの男になつていたんじゃないかと思うのだ。

単純に、「そうやって作るのかぁおもしろいなあ」とか、「なるほどなぁ」で済ませていたら、たぶん続けてはいなかったんじゃないかと思う。


だから、

「疑問に思う」ってことが良かったのだな。


続けるためには疑問に思うだな、これからの僕は。

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二ノ宮金三郎
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