三国志演義原文を書き下し文にする第二回 翼德督郵を怒りて鞭う 何國舅宦豎を誅さんと謀る(張翼德怒鞭督郵 何國舅謀誅宦豎張)
第一回は下記のリンク参照。
第二回 張翼德怒鞭督郵 何國舅謀誅宦豎
且說董卓字仲穎,隴西臨洮人也。官拜河東太守,自來驕傲。當日怠慢了玄德,張飛性發,便欲殺之。玄德與關公急止之曰:「他是朝廷命官,豈可擅殺?」飛曰:「若不殺這廝,反要在他部下聽令,其實不甘!二兄要便住在此,我自投別處去也!」
且說さてまた董卓字は仲穎,隴西臨洮の人也なり。
官を河東太守拜すが,自來より驕傲なり。當日玄德に怠慢了し,張飛性を發し,便ただちに之を殺さんと欲す。玄德與と關公急いで之を止めて曰く:「他は是これ朝廷の命官なり,豈に擅殺可きか?」飛曰く:「若し這廝こやつを殺不ざれば,反って要在他の部下令を聽き,其の實は甘くない!二兄は便ち此ここに在り住むを要す,我は自投なげ別れて處ここを去さる也なり!」玄德曰く:「我三人は義と生死同じくして,豈に相離れる可べからんや?便すぐに都みな投げ別れ處ここを去さるに若かざる。」
飛曰く:「若し如此かくのごとくば、,稍ようやく吾れの恨み解く。」
於是三人連夜引軍來投朱儁。儁待之甚厚,合兵一處,進討張寶。是時曹操自跟皇甫嵩討張梁,大戰於曲陽。這裏朱儁進攻張寶。張寶引賊眾八九萬,屯於山後。儁令玄德為其先鋒,與賊對敵。張寶遣副將高昇出馬搦戰。玄德使張飛擊之。
於是ここにおいて三人は連夜軍を引きつれ朱儁に來投す。儁は之を甚だ厚く待かんたいし,兵を一處に合せ,張寶を進み討つ。是時このとき曹操は自跟皇甫嵩と張梁を討ち,曲陽に於て大戰す。這この裏うら朱儁は張寶に進攻す。張寶は賊眾八九萬を引きいて,山後に於て屯す。儁は玄德をして其その先鋒を為さ令しめ,賊與と對敵す。張寶は副將の高昇をして出馬せしめ搦戰す。玄德は使張飛をして之を擊つ。
飛縱馬挺矛,與昇交戰,不數合,刺昇落馬。玄德麾軍直衝過去。張寶就馬上披髮仗劍,作起妖法。只見風雷大作,一股黑氣,從天而降:黑氣中似有無限人馬殺來。飛は馬を縱にし矛を挺し,昇與と交戰す,數合せ不ず,昇を刺し落馬す。玄德は軍を麾(さしまね)き直ちに衝し過ぎ去ゆく。
張寶はすぐに披髮仗劍,妖法を作し起す。
就馬上:すぐに中国語(白話)で訳した
只見るは風雷大いに作し,一股の黑氣と,天に従い而して降る:
黑氣中似有無限人馬殺來。
玄德は連忙して軍を回かえし,軍中は大いに亂れ,敗陣而して歸り,朱儁と計議す。儁曰く:「彼は妖術を用いる、我は來日あくるひ豬(いのしし)羊狗の血を宰すべし,令軍士をして山頭に伏して;候賊趕おい來こし,從高坡上潑之,其の法を可解とくべし。」玄德令を聽き、關公に撥し、張飛各軍一千を引き、山の後の高岡之の上に伏し豬いのしし羊ひつじ狗いぬの血ちを盛り並びに穢物を準備す。次の日,張寶は旗を搖らし鼓,引軍して搦戰す,玄德は出迎えり。交鋒之の際,張寶は作法するは,風雷大いに作し,砂は飛び石走り,黑氣は漫天,滾滾と人馬,天自より而下る。
玄德は馬を撥して便すぐに走にげ,張寶は兵を驅かけ趕おい來り。將まさに山頭過ぎ,關、張は軍を伏して號砲を放し起こし,將まさにに穢物を齊潑す。但ただ見るは空中より紙の人、草の馬,紛紛として地に墜ち;風雷頓して息やみ,砂石も飛ば不ず。
張寶は法を見て解き了おえ,急に軍を退くことを欲す。左は關公,右は張飛,兩軍都みな出で,背後に玄德、朱儁は一齊に趕おい上げ,賊兵は大敗す。玄德は地公將軍旗號を望み見て,飛馬趕おい來て,張寶は落ち荒れて而走る。玄德は箭やを發し,其の左臂に中あたる。
張寶帶箭逃脫,走入陽城,堅守不出。朱儁引兵圍住陽城攻打,一面差人打探皇甫嵩消息。探子回報,具說:「皇甫嵩大獲勝捷,朝廷以董卓屢敗,命嵩代之。嵩到時,張角已死;張梁統其眾,與我軍相拒,被皇甫嵩連勝七陣,斬張梁於曲陽。發張角之棺,戮屍梟首,送往京師。餘眾俱降。朝廷加皇甫嵩為車騎將軍,領冀州牧。皇甫嵩又表奏盧植有功無罪,朝廷復盧植原官。曹操亦以有功,除濟南相,即日將班師赴任。」朱儁聽說,催促軍馬,悉力攻打陽城。賊勢危急,賊將嚴政,刺殺張寶,獻首投降。朱儁遂平數郡,上表獻捷。
張寶は箭を帶び逃げ脫し,陽城に走り入り,堅く守り出不ず。朱儁は兵圍を引き住陽城を攻め打ち,一面に人を差し皇甫嵩の消息を打ち探す。探子は回えりて報す,具說す:「皇甫嵩は勝捷を大いに獲る,朝廷以って董卓屢敗とし,嵩に命じて之に代えり。嵩の到る時,張角は已に死す;張梁は其眾を統べ,我軍與と相い拒み,皇甫嵩に連勝七陣せ被らる,張梁を曲陽に於いて斬る。張角之棺を發し,戮屍梟首,京師を送往す。餘眾俱に降る。朝廷は皇甫嵩を加え車騎將軍と為し,冀州を領し牧とす。皇甫嵩は又表奏するは盧植功有り無罪と,朝廷は復た盧植を原官とす。曹操は亦以って功有り,濟南相に除され,即日將班師赴任す。」朱儁は聽き說く,軍馬を催促し,悉力して陽城を攻打す。賊勢は危急し,賊將の嚴政は,張寶を刺殺し,獻首して投降す。朱儁は遂に數郡を平げ,獻捷を上表す。
箭:矢
被:前置詞の被。主語+被二+動作主+動詞一 (主語(ハ)動作主ニ動詞セラル)
餘眾:余衆。残りの張角の一味の衆という意味か
除:就任する
時は又た黃巾の餘黨三人,─趙弘、韓忠、孫仲─,聚眾は數萬,望風燒劫し,與ともに張角讎あだを報ずと稱す。
朝廷は朱儁に命じ即ち以って勝之師を得て之を討てと。
儁は詔を奉じ,
率軍前進。時賊據宛城,儁引兵攻之,趙弘遣韓忠出戰。儁遣玄德、關、張攻城西南角。韓忠盡率精銳之眾,來西南角抵敵。朱儁自縱鐵騎二千,逕取東北角。賊恐失城,急棄西南而回。玄德從背後掩殺,賊眾大敗,奔入宛城。朱儁分兵四面圍定,城中斷糧,韓忠使人出城投降。儁不許。玄德曰:「昔高祖之得天下,蓋為能招降納順;公何拒韓忠耶?」儁曰:「彼一時,此一時也。昔秦項之際,天下大亂,民無定主,故招降賞附,以勸來耳。今海內一統,惟黃巾造反;若容其降,無以勸善。使賊得利恣意劫掠,失利便投降:此長寇之志,非良策也。」玄德曰:「不容寇降是矣。今四面圍如鐵桶,賊乞降不得,必然死戰,萬人一心,尚不可當,況城中有數萬死命之人乎?不若撤去東南,獨攻西北。賊必棄城而走,無心戀戰,可即擒也。」儁然之,遂撤東南二面軍馬,一齊攻打西北。韓忠果引軍棄城而奔。儁與玄德、關、張率三軍掩殺,射死韓忠,餘皆四散奔走。
時又黃巾の餘黨の三人,─趙弘、韓忠、孫仲─,眾(衆)を數萬聚あつめ,望風燒劫し,張角與のために報讎せんことを稱す。朝廷は朱儁即ち以って勝を得る之の師之を討つを命ず。儁は奉詔し,軍を率いて前進す。時賊は宛城に據り,儁は兵を引き」之を攻め,趙弘は韓忠を遣り戰に出ず。儁は玄德、關、張を遣り西南角を攻城す。韓忠盡く精銳之眾を率い,西南角に來て敵を抵す。朱儁は自ら鐵騎二千を縱ち,逕ちに東北角を取り。賊は恐れ城を失い,急に西南を棄て而回る。玄德は背後從り掩殺し,賊眾は大敗し,宛城に奔入す。朱儁は兵を分ち四面を圍い定め,城中は糧を斷し,韓忠は人をして出城投降せ使む。儁は許さ不ず。玄德曰く:「昔高祖の天下を得て,蓋し能く招降して納順を為す;公は何ぞ韓忠を拒むか?」儁曰く:「彼は一時,此の一時也。昔秦項の際,天下は大亂し,民に定主なく,故に招降して賞附く,以て勸來する耳のみ。今は海內一統し,惟だ黃巾の造反;若し其の降を容せば,以て勸善する無し。使賊をして恣意劫掠の利得て
,失利せば便ち投降す:此れ長寇之志,良策に非ず也。」玄德曰く:「寇の降を容いれずは是これ矣なり。今四面の圍い如くの鐵桶,賊は降るを乞うも得不ざれば,必然死戰し,萬人は一心し,尚當る可から不ず,況いわんや城中の有數萬死の命之の人をや乎?若し東南に撤去せ不ざれば,獨り西北を攻む。賊は必ず城を棄すて而走り,無心に戀戰し,即ち擒にす可べし也。」儁は之を然りとして,遂に東南二面軍馬を撤し,一齊に西北を攻打す。韓忠は果して軍を引き城を棄て而奔る。儁與と玄德、關、張は三軍率いて掩殺し,韓忠を射死し,餘の皆は四散奔走す。
据(據) よる。立て籠る
與:のためにと訳した
朝廷命朱儁即以得勝之師討之:朝廷命~朝廷は命じた、朱儁即ち以って勝を得る之師之を討つ。
即は判断文か?そうだとすると朱儁=得勝之師となる。
朝廷命「朱儁即以得勝之師討之」
朱儁即「以得勝之師討之」
以得勝之師「討之」
のような文構造なのだろう。
逕;みち・こみち・ただちに①みち。こみち。ちかみち。「逕路」「山逕」②まっすぐ。ただちに。「逕進」
正に追い趕かける間あいだ,趙弘、孫仲は賊眾を引いて到たり,儁與と交戰す。儁は弘の勢い大いなるを見て,軍を引いて暫く退く。弘は勢に乘り復た宛城を奪う。
儁離十里下寨,方欲攻打,忽見正東一彪人馬到來。為首一將,生得廣額闊面,虎體熊腰;吳郡富春人也:姓孫,名堅,字文臺,乃孫武子之後。年十七歲,與父至錢塘,見海賊十餘人,劫取商人財物,於岸上分贓。堅謂父曰:「此賊可擒也。」遂奮力提刀上岸,揚聲大叫,東西指揮,如喚人狀。賊以為官兵至,盡棄財物奔走。堅趕上,殺一賊。由是郡縣知名,薦為校尉。後會稽妖賊許昌造反,自稱陽明皇帝,聚眾數萬;堅與郡司馬招募勇士千餘人,會合州郡破之,斬許昌並其子許韶。刺史臧旻上表奏其功,除堅為鹽瀆丞,又除盱眙丞、下邳丞。今見黃巾寇起,聚集鄉中少年及諸商旅,並淮泗精兵一千五百餘人,前來接應。
儁離十里下寨し、方に攻打せんと欲す。忽ち見て、正東に一彪の人馬到来す。為首の一将、広額闊面、虎体熊腰なり。呉郡富春の人、姓は孫、名は堅、字は文台、乃ち孫武子の後なり。年十七歳、父と共に錢塘に至り、海賊十余人を見、商人の財物を劫取し、岸上にて贓を分けていたる。堅は父に謂いて曰く、「此の賊は擒うべし」と。遂に奮って力を振るい刀を提げて岸に上り、揚声大叫して東西を指揮し、人を呼ぶ如くの状をなしければ、賊は官兵の到来を恐れて、財物を棄てて奔走す。堅はこれに趕い、賊を一人殺す。これによって郡県に名を知られ、校尉に薦めらる。後、会稽の妖賊許昌が反乱を起こし、自ら陽明皇帝を称し、数万の人を集める。堅は郡司馬と共に勇士千余人を募り、州郡と会合してこれを破り、許昌及びその子許韶を斬る。刺史臧旻は表を上げてその功を奏し、堅を鹽瀆丞に任じ、また盱眙丞、下邳丞にも任じられたり。今、黄巾賊が起こり、鄉中の少年や諸商旅を集め、淮泗の精兵一千五百余人を率いて前来して接応する。
朱儁大喜,便令堅攻打南門,玄德打北門,朱儁打西門,留東門與賊走。孫堅首先登城,斬賊二十餘人,賊眾奔潰。趙弘飛馬突槊,直取孫堅。堅從城上飛身奪弘槊,刺弘下馬;卻騎弘馬,飛身往來殺賊。孫仲引賊突出北門,正迎玄德,無心戀戰,只待奔逃。玄德張弓一箭,正中孫仲,翻身落馬。朱儁大軍,隨後掩殺,斬首數萬級,降者不可勝計。南陽一路,十數郡皆平。儁班師回京,詔封為車騎将軍,河南尹。儁表奏孫堅、劉備等功。堅有人情,除別郡司馬上任去了;惟玄德聽候日久,不得除授。
三人鬱鬱不樂,上街閒行,正值郎中張鈞車到。玄德見之,自陳功績。鈞大驚,隨入朝見帝曰:「昔黃巾造反,其原皆由十常侍賣官鬻爵,非親不用,非讎不誅,以致天下大亂。今宜斬十常侍,懸首南郊,遣使者布告天下,有功者重加賞賜,則四海自清平也。」十常侍奏帝曰:「張鈞欺主。」帝令武士逐出張鈞。十常侍共議:「此必破黃巾有功者,不得除授,故生怨言。權且教省家銓註微名,待後卻再理會未晚。」因此玄德除授定州中山府安喜縣尉,剋日赴任。玄德將兵散回鄉里,止帶親隨二十餘人,與關、張來安喜縣中到任。署縣事一月,與民秋毫無犯,民皆感化。到任之後,與關、張食則同桌,寢則同床。如玄德在稠人廣坐,關、張侍立,終日不倦。
到縣未及四月,朝廷降詔,凡有軍功為長吏者當沙汰。玄德疑在遣中。適督郵行部至縣,玄德出墎迎接,見督郵施禮。督郵坐於馬上,惟微以鞭指回答。關、張二公俱怒。及到館驛,督郵南面高坐,玄德侍立階下。良久,督郵問曰:「劉縣尉是何出身?」玄德曰:「備乃中山靖王之後;自涿郡剿戮黃巾,大小三十餘戰,頗有微功,因得除今職。」督郵大喝曰:「汝詐稱皇親,虛報功績!目今朝廷降詔,正要沙汰這等濫官汙吏!」玄德喏喏連聲而退。歸到縣中,與縣吏商議。吏曰:「督郵入威,無非要賄賂耳。」玄德曰:「我與民秋毫無犯,那得財物與他?」次日,督郵先提縣吏去,勒令指稱縣尉害民。玄德幾番自往求免,俱被門役阻住,不肯放參。
郤說張飛飲了數盃悶酒,乘馬從館驛前過,見五六十個老人,皆在門前痛哭。飛問其故。眾老人答曰:「督郵逼勒縣吏,欲害劉公;我等皆來苦告,不得放入,反遭把門人趕打!」張飛大怒,睜圓環眼,咬碎鋼牙,滾鞍下馬,逕入館驛,把門人那裏阻擋得住。直奔後堂,見督郵正坐廳上,將縣吏綁倒在地。飛大喝:「害民賊!認得我麼?」督郵未及開言,早被張飛揪住頭髮,扯出館驛,直到縣前馬樁上縛住;扳下柳條,去督郵兩腿上著力鞭打,一連打折柳條十數枝。
玄德正納悶間,聽得縣前喧鬧,問左右,答曰:「張將軍綁一人在縣前痛打。」玄德忙去觀之,見綁縛者乃督郵也。玄德驚問其故。飛曰:「此等害民賊,不打死等甚!」督郵告曰:「玄德公救我性命!」玄德終是仁慈的人,急喝張飛住手。傍邊轉過關公來,曰:「兄長建許多大功,僅得縣尉,今反被督郵侮辱。吾思枳棘叢中,非棲鸞鳳之所;不如殺督郵,棄官歸鄉,別圖遠大之計。」
朱儁(しゅしゅん)大いに喜び、すなわち孫堅に南門を攻め打たせ、玄德に北門を攻めさせ、朱儁は西門を攻め、東門を賊の逃げ道として残す。孫堅まず城に登り、賊二十余人を斬ると、賊衆は奔潰す。趙弘馬を飛ばして槊(やり)を突き、直ちに孫堅を取らんとす。堅は城上より飛びかかりて弘の槊を奪い、弘を刺して馬より落とす。却って弘の馬に騎りて、飛身往来して賊を殺す。孫仲は賊を引き北門を突出し、正に玄德に迎わるも、戦に恋々とせず、ただ奔逃を待つのみ。玄德弓を張りて一箭、正に孫仲の中り、翻身して馬より落つ。朱儁の大軍、後に随いて掩殺し、斬首数万級、降者勝げて計ふべからず。南陽一路、十数郡皆平らぐ。儁班師して京に回り、詔を賜りて車騎将軍、河南尹となる。儁表を立てて孫堅、劉備等の功を奏す。堅は人情を有し、別郡の司馬に除されて任に就き去る;ただ玄德のみは久しく待つも、除授を得ず。
三人鬱鬱として楽しまざるに、街に上りて閒行し、正に郎中張鈞の車の到るに値ふ。玄德これを見て、自ら功績を陳ぶ。鈞大いに驚き、随いて朝に入りて帝に見え、曰く、「昔黄巾反を造りしは、その原は皆十常侍が官を売り爵を鬻ぐるに由りて、親ならざれば用ゐず、讎ならざれば誅せず、以て天下をして大いに乱れしむ。今宜しく十常侍を斬りて首を南郊に懸け、使者を遣して天下に布告し、有功者には重ねて賞賜を加ふべし。しかれば四海自ら清平ならん」と。十常侍帝に奏して曰く、「張鈞主を欺く」と。帝武士をして張鈞を逐い出だしむ。十常侍共に議して曰く、「此れ必ず黄巾を破りて功ある者にして、除授を得ずして怨言を生ずるなり。権じて省家に教へて微名を銓註せしめ、後を待ちて再び理会するも未だ晩からず」と。この故に玄德定州中山府安喜県尉に除授され、剋日任に赴く。玄德兵を散じて郷里に回り、ただ親随二十余人を帯びて、關、張と共に安喜県に来たりて任に就く。県事を署すること一月にして、民に秋毫も犯すことなく、民皆感化す。任に就きたる後、關、張と食すれば則ち同桌にし、寝すれば則ち同床にす。玄德稠人廣坐に在れば、關、張侍立し、終日倦まず。
県に到りて未だ四月を及ばず、朝廷詔を降し、凡そ軍功有りて長吏となる者は沙汰せらるべしとす。玄德自ら遣に在りと疑ふ。適(たまたま)督郵行部して県に至り、玄德墎を出でて迎接し、督郵に礼を施す。督郵馬上に坐し、惟だ鞭を以て微かに指して答ふるのみ。關、張の二公倶に怒る。館驛に到るに及び、督郵南面して高坐し、玄德階下に侍立す。良久して督郵問ひて曰く、「劉県尉は何の出身ぞや」と。玄德曰く、「備は乃ち中山靖王の後なり;涿郡より黄巾を剿戮し、大小三十余戦、頗る微功有り、因りて今の職に除されしなり」と。督郵大喝して曰く、「汝詐りて皇親を称し、虚しく功績を報ず!目今朝廷詔を降し、正にこの等の濫官汚吏を沙汰せんと要す!」玄德喏喏として連声しつつ退く。県中に帰りて県吏と商議す。吏曰く、「督郵の入威は、賄賂を要するに非ざるなし」と。玄德曰く、「我は民に秋毫も犯すこと無し、いかで財物を彼に与へんや」と。次の日、督郵まず県吏を提して去り、勒令して県尉を指称し害民せしめんとす。玄德幾番も自ら往きて免れんことを求むるも、俱に門役に阻まれて放たれざるなり。
却説(かえっていふ)張飛数杯の悶酒を飲み、馬に乗りて館驛の前を過ぎ、五六十人の老人が皆門前にて痛哭するを見たり。飛その故を問ふ。衆老人答へて曰く、「督郵縣吏を逼勒し、劉公を害せんと欲す。我等皆苦しみて告に来れども、放たるるを得ず、反って門人に把まりて趕打せられたり!」張飛大いに怒り、円環の眼を睜(みひら)き、鋼牙を噛み砕き、鞍を滾(お)りて馬を下り、逕(ただち)に館驛に入り、門人を阻擋せんとすれどもそれを得ず。直に後堂に奔り、督郵が正に廳上に坐し、県吏を地に綁倒するを見る。飛大喝して曰く、「害民の賊め!我を認るや否や?」督郵未だ言を開かざるに、早くも張飛頭髪を揪(つか)みて、館驛を扯(ひきず)り出で、県前の馬樁に至りて縛り住(しづ)む;柳條を扳(ひ)き下ろし、督郵の両腿を著力して鞭打し、一連の打にて柳條を十数枝折る。
玄德正に納悶する間、縣前の喧鬧を聽き、左右に問ふに、答へて曰く、「張将軍一人を縣前に綁して痛打す」と。玄德忙しく去りて之を觀るに、綁縛せらる者は乃ち督郵なるを見て、その故を驚きて問ふ。飛曰く、「此の等の害民の賊、打ち死なずして等しいとは何ぞや!」督郵告げて曰く、「玄德公、我が性命を救へ!」玄德は終に仁慈の人なるが故に、急ぎ張飛に住手せんことを喝す。傍ら關公が轉りて來り、曰く、「兄長かくのごとく多くの大功を建てしに、僅かに縣尉を得て、今は反って督郵の侮辱を受く。我思ふに枳棘の叢中は、鸞鳳の棲む所に非ず;督郵を殺して官を棄てて郷に帰り、別に遠大の計を図らんには如かず」と。
玄德乃取印綬,掛於督郵之頸,責之曰:「據汝害民,本當殺卻;今姑饒汝命。吾繳還印綬,從此去矣!」督郵歸告定州太守,太守申文省府,差人捕捉。玄德、關、張三人往代州投劉恢。恢見玄德乃漢室宗親,留匿在家不題。
卻說十常侍既握重權,互相商議:但有不從己者,誅之。趙忠,張讓,差人問破黃巾將士索金帛,不從者奏罷職。皇甫嵩、朱儁皆不肯與,趙忠等俱奏罷其官。帝又封趙忠等為車騎將軍,張讓等十三人皆封列侯。朝政愈壞,人民嗟怨。於是長沙賊區星作亂;漁陽張舉、張純反:舉稱天子,純稱大將軍。表章雪片告急,十常侍皆藏匿不奏。
一日,帝在後園與十常侍飲宴,諫議大夫劉陶,逕到帝前大慟。帝問其故。陶曰:「天下危在旦夕,陛下尚自與閹官共飲耶!」帝曰:「國家承平,有何危急?」陶曰:「四方盜賊並起,侵掠州郡。其禍皆由十常侍賣官害民,欺君罔上。朝廷正人皆去,禍在目前矣!」十常侍皆免冠跪伏於帝前曰:「大臣不相容,臣等不能活矣!願乞性命歸田里,盡將家產以助軍資。」言罷痛哭。帝怒謂陶曰:「汝亦有近侍之人,何獨不容朕耶?」呼武士推出斬之。劉陶大呼:「臣死不惜!可憐漢室天下,四百餘年,到此一旦休矣!」
武士擁陶出,方欲行刑,一大臣喝住曰:「勿得下手,待我諫去。」眾視之,乃司徒陳耽。逕入室中來諫帝曰:「劉諫議得何罪而受誅?」帝曰:「毀謗近臣,冒朕躬。」耽曰:「天下人民,欲食十常侍之肉,陛下敬之如父母,身無寸功,皆封列侯;況封諝等結連黃巾,欲為內亂:陛下今不自省,社稷立見崩摧矣!」帝曰:「封諝作亂,其事不明。十常侍中,豈無一二忠臣?」陳耽以頭撞階而諫。帝怒,命牽出,與劉陶皆下獄。是夜,十常侍即於獄中謀殺之;假帝詔以孫堅為長沙太守,討區星。
不五十日,報捷,江夏平。詔封堅為烏程侯;封劉虞為幽州牧,領兵往漁陽征張舉、張純。代州劉恢以書薦玄德見虞。虞大喜,令玄德為都尉,引兵直抵賊巢,與賊大戰數日,挫動銳氣。張純專一兇暴,士卒心變,帳下頭目刺殺張純,將頭納獻,率眾來降。張舉見勢敗,亦自縊死。漁陽盡平。劉虞表奏劉備大功,朝廷赦免鞭督郵之罪,除下密丞,遷高堂尉。公孫瓚又表陳玄德前功,薦為別部司馬,守平原縣令。玄德在平原,頗有錢糧軍馬,重整舊日氣象。劉虞平寇有功,封太尉。
中平六年,夏四月,靈帝病篤,召大將軍何進入宮,商議後事。
玄德(げんとく)乃ち印綬を取り、督郵の頸に掛けて之を責めて曰く、「汝の害民に拠り、本当に殺すべきなれども、今は姑く汝の命を饒さむ。吾印綬を繳還して、ここより去らん!」督郵は帰りて定州太守に告げ、太守は省府に申文し、人を差し捕捉せしむ。玄德、關、張の三人は代州に往きて劉恢に投ず。恢は玄德が乃ち漢室の宗親なるを見て、家に留め匿し、不題とす。
さて十常侍は既に重權を握りて、互いに商議して曰く、「もし己に従わざる者あらば、之を誅せん」と。趙忠と張讓は人を差し遣はして、黄巾を破りたる将士に金帛を索むるも、従はざる者は奏して職を罷めしむ。皇甫嵩、朱儁は皆これを肯せず、趙忠等は共に奏して彼らの官を罷む。帝また趙忠等を封じて車騎将軍と為し、張讓等十三人を皆封じて列侯と為す。朝政は愈よ壊れ、人民は嗟怨す。
ここに於いて長沙の賊、區星(おうせい)乱を作し、漁陽に張舉・張純反す。舉は天子を称し、純は大将軍を称す。雪片の如き表章、急を告ぐるも、十常侍は皆これを藏匿し奏さず。
ある日、帝は後園に在りて十常侍と飲宴す。諫議大夫劉陶(りゅうとう)は、逕(ただち)に帝の前に至りて大いに慟哭す。帝その故を問ふ。陶曰く、「天下危きこと旦夕に在り、陛下尚お閹官と共に飲すや!」帝曰く、「国家承平なり、何の危急かある?」陶曰く、「四方に盗賊並び起こり、州郡を侵掠す。その禍は皆十常侍が官を賣り民を害し、君を欺き上を罔(あざむ)くに由る。朝廷の正人は皆去り、禍は目前に在り!」十常侍は皆冠を免じ帝の前に跪伏して曰く、「大臣は互いに相容れず、臣等は活を得ず。願わくは性命を乞ひて田里に帰し、家産を盡くして軍資に助けん」と。言ひ終りて痛哭す。帝は怒りて陶に謂ひて曰く、「汝も亦近侍の人を有するも、何ぞ独り朕を容れずや?」武士を呼びて劉陶を推し出だして之を斬らしむ。劉陶大いに呼びて曰く、「臣死するも惜しまず!哀れむべし漢室の天下、四百余年、ここに至りて一旦休すと!」
武士は陶を擁し出で、方に刑を行はんとす。一人の大臣喝して之を止めて曰く、「下手すること勿れ、我諫めん」と。衆視れば、乃ち司徒陳耽(ちんたん)なり。逕に室中に入りて帝に諫めて曰く、「劉諫議何の罪かありて誅を受くるや?」帝曰く、「近臣を毀謗し、朕躬を冒したればなり」と。耽曰く、「天下の人民は十常侍の肉を食はんと欲し、陛下はこれを父母の如く敬ふ。彼ら寸功無くして皆列侯に封ぜられたり。況んや封諝等は黄巾と結連し、内乱を為さんと欲す。陛下今自ら省みずんば、社稷は立ちどころに崩摧するを見ん!」帝曰く、「封諝が乱を作す、その事未だ明らかならず。十常侍の中にも、豈に一二の忠臣無からんや?」陳耽は頭を以て階に撞(う)ちて諫む。帝怒りて、牽き出ださしめ、劉陶と共に獄に下さしむ。是の夜、十常侍は即ち獄中に於いて之を謀殺す;帝の詔を偽りて孫堅を長沙太守と為し、區星を討たしむ。
五十日に満たざるにして捷報あり、江夏は平らぐ。詔して孫堅を烏程侯に封じ、劉虞(りゅうぐ)を幽州牧に封じ、兵を領して漁陽に往き、張舉・張純を征せしむ。代州の劉恢は書を以て玄德を薦めて劉虞に見えしむ。虞は大いに喜び、玄德をして都尉と為し、兵を引き賊巣に直抵して賊と数日にわたり大戦し、賊の鋭気を挫動す。張純は専ら兇暴を事とし、士卒の心は変ず。帳下の頭目は張純を刺殺し、頭を納献し、率いて降る。張舉は勢の敗るを見て、亦た自ら縊死す。漁陽尽く平ぐ。劉虞は劉備の大功を表奏し、朝廷は督郵を鞭打ちし罪を赦免し、密丞に除し、高堂尉に遷す。公孫瓚もまた玄德の前功を表し、薦めて別部司馬と為し、平原県令を守らしむ。玄德は平原に在りて、頗る錢糧軍馬を有し、旧日気象を重整す。劉虞は寇を平らげるに功有り、太尉に封ぜらる。
中平六年、夏四月、霊帝病篤く、大将軍何進を召して宮に入り、後事を商議せしむ。
那何進起身屠家;因妹入宮為貴人,生皇子辯,遂立為皇后,進由是得權重任。帝又寵幸王美人,生皇子協。何后嫉妒,鴆殺王美人。皇子協養於董太后宮中。董太后乃靈帝之母,解瀆亭侯劉萇之妻也。初因桓帝無子,迎立解瀆亭侯之子,是為靈帝。靈帝入繼大統,遂迎養母氏於宮中,尊為太后。董太后嘗勸帝立皇子協為太子。帝亦偏愛協,欲立之。當時病篤,中常侍蹇碩奏曰:「若欲立協,必先誅何進,以絕後患。」帝然其說,因宣進入宮。進至宮門,司馬潘隱謂進曰:「不可入宮:蹇碩欲謀殺公。」進大驚,急歸私宅,召諸大臣,欲盡誅宦官。座上一人挺身出曰:「宦官之勢,起自沖、質之時;朝廷滋蔓極廣,安能盡誅?倘機不密,必有滅族之禍:請細詳之。」進視之,乃典軍校尉曹操也。進叱曰:「汝小輩安知朝廷大事!」正躊躇間,潘隱至,言:「帝已崩。今蹇碩與十常侍商議,秘不發喪,矯詔宣何國舅入宮,欲絕後患,冊立皇子協為帝。」說未了,使命至,宣進速入,以定後事。操曰:「今日之計,先宜正君位,然後圖賊。」進曰:「誰敢與吾正君討賊?」一人挺身出曰:「願借精兵五千,斬關入內,冊立新君,盡誅閹豎,掃清朝廷,以安天下!」進視之,乃司徒袁逢之子,袁隗之姪:名紹,字本初,見為司隸校尉。何進大喜,遂點御林軍五千。紹全身披掛。何進引何顒、荀攸、鄭泰等大臣三十餘員,相繼而入,就靈帝柩前,扶立太子辯即皇帝位。
百官呼拜已畢,袁紹入宮收蹇碩。碩慌走入御花園花陰下,為中常侍郭勝所殺。碩所領禁軍,盡皆投順。紹謂何進曰:「中官結黨。今日可乘勢盡誅之。」張讓等知事急,慌入告何后曰:「始初設謀陷害大將軍者,止蹇碩一人,並不干臣等事。今大將軍聽袁紹之言,欲盡誅臣等,乞娘娘憐憫!」何太后曰:「汝等勿憂,我當保汝。」傳旨宣何進入。太后密謂曰:「我與汝出身寒微,非張讓等,焉能享此富貴?今蹇碩不仁,既已伏誅,汝何信人言,欲盡誅宦官耶?」何進聽罷,出謂眾官曰:「蹇碩設謀害我,可族滅其家。其餘不必妄加殘害。」袁紹曰:「若不斬草除根,必為喪身之本。」進曰:「吾意已決,汝勿多言。」眾官皆退。
次日,太后命何進參錄尚書事,其餘皆封官職。董太后宣張讓等入宮商議曰:「何進之妹,始初我抬舉他。今日他孩兒即皇帝位,內外臣僚,皆其心腹:威權太重,我將如何?」讓奏曰:「娘娘可臨朝,垂簾聽政;封皇子協為王;加國舅董重大官,掌握軍權;重用臣等:大事可圖矣。」董太后大喜。次日設朝,董太后降旨,封皇子協為陳留王,董重為驃騎將軍,張讓等共預朝政。何太后見董太后專權,於宮中設一宴,請董太后赴席。酒至半酣,何太后起身捧盃再拜曰:「我等皆婦人也,參預朝政,非其所宜。昔呂后因握重權,宗族千口皆被戮。今我等宜深居九重;朝廷大事,任大臣元老自行商議,此國家之幸也。願垂聽焉。」董太后大怒曰:「汝鴆死王美人,設心嫉妒。今倚汝子為君,與汝兄何進之勢,輒敢亂言!吾敕驃騎斷汝兄首,如反掌耳!」何后亦怒曰:「吾以好言相勸,何反怒耶?」董后曰:「汝家屠沽小輩,有何見識!」
兩宮互相爭競,張讓等各勸歸宮。何后連夜召何進入宮,告以前事。何進出,召三公共議:來早設朝,使廷臣奏董太后原係藩妃,不宜久居宮中,
那の何進は屠家より起身す。妹の因りて宮に入り貴人となり、皇子辯を生み、遂に立てて皇后と為す。進は是に由りて権重任を得たり。帝また王美人を寵幸し、皇子協を生む。何后嫉妬し、鴆して王美人を殺す。皇子協は董太后の宮中に養わる。董太后は乃ち靈帝の母、解瀆亭侯劉萇の妻なり。初め桓帝に子無きに因り、解瀆亭侯の子を迎え立て、是を靈帝と為す。靈帝大統を継ぎ、遂に養母氏を宮中に迎え、尊して太后と為す。董太后嘗て帝に勧めて皇子協を立てて太子と為さしむ。帝もまた偏に協を愛し、之を立てんと欲す。当時病篤く、中常侍蹇碩奏して曰く、「若し協を立てんと欲せば、必ず先ず何進を誅して、以て後患を絶つべし。」帝その説を然とし、因りて進を宣して宮に入らしむ。進宮門に至り、司馬潘隱進に謂いて曰く、「宮に入るべからず。蹇碩公を謀殺せんと欲す。」進大いに驚き、急ぎ私宅に帰り、諸大臣を召して、尽く宦官を誅せんと欲す。座上一人挺身して出でて曰く、「宦官の勢、沖、質の時より起こり、朝廷滋蔓して極めて広し。安んぞ尽く誅するを得んや。倘し機密ならずんば、必ず滅族の禍有らん。請う細かに之を詳せ。」進之を視るに、乃ち典軍校尉曹操なり。進叱して曰く、「汝小輩安んぞ朝廷の大事を知るや。」正に躊躇する間、潘隱至りて言う、「帝已に崩ず。今蹇碩十常侍と商議し、秘かに発喪せず、矯詔して何国舅を宣して宮に入らしめ、以て後患を絶ち、皇子協を冊立して帝と為さんと欲す。」言未だ了らざるに、使命至り、進を宣して速やかに入り、以て後事を定めんとす。操曰く、「今日の計、先ず宜しく君位を正し、然る後に賊を図るべし。」進曰く、「誰か敢えて吾と共に君を正し賊を討たん。」一人挺身して出でて曰く、「願わくは精兵五千を借り、関を斬りて内に入り、新君を冊立し、尽く閹豎を誅し、朝廷を掃清して、以て天下を安んぜん。」進之を視るに、乃ち司徒袁逢の子、袁隗の姪、名は紹、字は本初、見えて司隸校尉と為る。何進大いに喜び、遂に御林軍五千を点す。紹全身披掛す。何進何顒、荀攸、鄭泰等大臣三十余員を引き、相繼いで入り、靈帝柩前に就き、太子辯を扶立して即ち皇帝位と為す。 百官呼拜已に畢り、袁紹宮に入りて蹇碩を収む。碩慌てて御花園の花陰に走り入り、中常侍郭勝に殺さる。碩の領する所の禁軍、尽く皆投順す。紹何進に謂いて曰く、「中官結党す。今日勢いに乗じて尽く誅すべし。」張讓等事の急を知り、慌てて何后に告げて曰く、「始初大将軍を謀害せんと設けし者、止むる蹇碩一人、並びに臣等の事に干らず。今大将軍袁紹の言を聴き、尽く臣等を誅せんと欲す。乞う娘娘憐憫せよ。」何太后曰く、「汝等憂うる勿れ、我当に汝を保たん。」旨を伝えて何進を宣す。太后密かに謂いて曰く、「我と汝寒微に出身し、張讓等に非ずんば、焉んぞ此の富貴を享けん。今蹇碩不仁、既に已に伏誅す。汝何ぞ人の言を信じ、尽く宦官を誅せんと欲するや。」何進聴き罷り、出でて眾官に謂いて曰く、「蹇碩謀を設けて我を害せんとす。其の家を族滅すべし。其の餘りは妄りに殘害を加ふること勿れ。」袁紹曰く、「若し草を斬りて根を除かずんば、必ず喪身の本と為らん。」進曰く、「吾意已に決す。汝多言する勿れ。」眾官皆退く。 次の日、太后何進に命じて尚書事を參録せしめ、其の餘り皆官職を封ず。董太后張讓等を宣して宮に入り商議して曰く、「何進の妹、始初我彼を抬舉す。今日彼の孩兒即ち皇帝位に即き、内外の臣僚、皆其の心腹なり。威權太重し。我將に如何せん。」讓奏して曰く、「娘娘宜しく臨朝し、簾を垂れて政を聴き、皇子協を封じて王と為し、國舅董重を加えて大官とし、軍權を掌握し、臣等を重用すべし。大事圖るべし。」董太后大いに喜ぶ。次の日朝を設け、董太后旨を降して、皇子協を封じて陳留王と為し、董重を驃騎將軍と為し、張讓等共に朝政に預る。何太后董太后の專權を見て、宮中に於いて一宴を設け、董太后を請いて席に赴かしむ。酒半酣に至り、何太后起身して盃を捧げ再拜して曰く、「我等皆婦人なり。朝政に參預するは、其の宜しき所に非ず。昔呂后重權を握り、宗族千口皆戮せらる。今我等宜しく九重に深居すべし。朝廷の大事、大臣元老に任せて自行商議せしむるは、此れ國家の幸なり。願わくは垂聴せよ。」董太后大いに怒りて曰く、「汝王美人を鴆殺し、心を設けて嫉妬す。今汝の子を倚りて君と為し、汝の兄何進の勢を以て、輒ち敢えて亂言す。我驃騎を敕して汝の兄の首を斷たしむるは、反掌の如し。」何后も亦怒りて曰く、「吾好言を以て相勸むるに、何ぞ反りて怒るや。」董后曰く、「汝の家屠沽の小輩、何の見識有るや。」 兩宮互いに爭競し、張讓等各々勸めて宮に歸る。何后連夜何進を召して宮に入り、以前事を告ぐ。何進出でて、三公を召して共に議す。來早朝を設け、廷臣をして奏せしめて曰く、董太后は原係藩妃、久しく宮中に居るべからず
合仍遷於河間安置,限日下即出國門。一面遣人起送董后;一面點禁軍圍驃騎將軍董重府宅,追索印綬。董重知事急,自刎於後堂。家人舉哀,軍士方散。張讓、段珪見董后一枝已廢,遂皆以金珠玩好結搆何進弟何曲並其母舞陽君,令早晚入何太后處,善言遮蔽:因此十常侍又得近幸。
六月,何進暗使人酖殺董后於河間驛庭,舉柩回京,葬於文陵。進託病不出,司隸校尉袁紹入見進曰:「張讓、段珪等流言於外,言公酖殺董后,欲謀大事。乘此時不誅閹宦,後必為大禍。昔竇武欲誅內豎,機謀不密,反受其殃。今公兄弟部曲將吏,皆英俊之士;若使盡力,事在掌握。此天贊之時,不可失也。」進曰:「且容商議。」左右密報張讓﹔讓等轉告何苗,又多送賄賂。苗入奏何后云:「大將軍輔佐新君,不行仁慈,專務殺伐。今無瑞又欲殺十常侍,此取亂之道也。」后納其言。
少頃,何進入白后,欲誅中涓。何后曰:「中官統領禁省,漢家故事。先帝新棄天下,爾欲誅殺舊臣,非重宗廟也。」進本是沒決斷之人,聽太后言,唯唯而出。袁紹迎問曰:「大事若何?」進曰:「太后不允,如之奈何?」紹曰:「可召四方英雄人士,勒兵來京,盡誅閹豎。此時事急,不容太后不從。」進曰:「此計大妙!」便發檄至各鎮,召赴京師。
主簿陳琳曰:「不可!俗云:『掩目而捕燕雀』,是自欺也。微物尚不可欺以得志,況國家大事乎?今將軍仗皇威,掌兵要,龍驤虎步,高下在心:若欲誅宦官,如鼓洪爐燎毛髮耳。但當速發,行權立斷,則天人順之﹔卻反外檄大臣,臨犯京闕,英雄聚會,各懷一心:所謂倒持干戈,授人以柄,功必不成,反生亂矣。」何進笑曰:「此懦夫之見也!」傍邊一人鼓掌大笑曰:「此事易如反掌,何必多議!」視之,乃曹操也。正是:
欲除君側宵人亂,須聽朝中智士謀。
不知曹操說出甚話來,且聽下文分解。
合に仍りて河間に遷し安置し、日を限りて即ち国門を出ず。一面人を遣わして董后を起送し、一面禁軍を点して驃騎将軍董重の府宅を囲み、印綬を追索す。董重事の急を知り、後堂に自刎す。家人哀を挙げ、軍士方に散ず。張讓、段珪董后の一枝已に廃するを見て、遂に皆金珠玩好を以て何進の弟何曲並びにその母舞陽君に結搆し、早晩何太后の処に入り、善言を以て遮蔽せしむ。因って此の十常侍また近幸を得たり。 六月、何進暗かに人をして董后を河間の驛庭に酖殺せしめ、柩を挙げて京に回し、文陵に葬る。進病を託して出でず、司隸校尉袁紹進に入見して曰く、「張讓、段珪等外に流言し、公董后を酖殺し、大事を謀らんと欲すと言う。此の時に乗じて閹宦を誅せずんば、後必ず大禍と為らん。昔竇武内豎を誅せんと欲し、機謀密ならずして、反ってその殃を受く。今公兄弟部曲将吏、皆英俊の士なり。若し尽力を使わば、事掌握に在り。此れ天贊の時、失うべからず。」進曰く、「且く商議を容れよ。」左右密かに張讓に報ず。讓等転じて何苗に告げ、また多く賄賂を送る。苗入奏して何后に云う、「大将軍新君を輔佐し、仁慈を行わず、専ら殺伐を務む。今無瑞また十常侍を殺さんと欲す。此れ乱を取るの道なり。」后その言を納る。 少頃、何進后に入りて白し、中涓を誅さんと欲す。何后曰く、「中官禁省を統領するは、漢家の故事なり。先帝新たに天下を棄て、爾旧臣を誅殺せんと欲す。宗廟を重んずるに非ず。」進本より決断無き人なり、太后の言を聴き、唯唯として出ず。袁紹迎えて問いて曰く、「大事若何。」進曰く、「太后允さず、如何せん。」紹曰く、「四方の英雄人士を召し、兵を勒して京に来たり、尽く閹豎を誅すべし。此の時事急にして、太后従わざるを容れず。」進曰く、「此の計大いに妙なり。」便ち檄を発して各鎮に至り、京師に赴くを召す。 主簿陳琳曰く、「不可なり。俗に云う、『目を掩いて燕雀を捕る』、是れ自ら欺くなり。微物尚お欺くを以て志を得ず、況んや国家の大事をや。今将軍皇威を仗り、兵要を掌り、龍驤虎歩、高下心に在り。若し宦官を誅さんと欲せば、洪爐を鼓して毛髮を燎るが如し。但し当に速発し、権を行い立断すれば、則ち天人これに順ず。却って外檄を反し大臣を檄し、京闕に臨犯し、英雄聚会し、各々一心を懷く。所謂干戈を倒持し、柄を人に授け、功必ず成らず、反って乱を生ず。」何進笑いて曰く、「此れ懦夫の見なり。」傍邊一人掌を鼓して大いに笑いて曰く、「此の事反掌の如く易し、何ぞ必ずしも多く議せん。」之を視るに、乃ち曹操なり。正に是れ: 君側の宵人を除かんと欲せば、須く朝中の智士の謀を聴くべし。
不知曹操甚の話を出だすかを說し、且く下文の分解を聴かん。